第58話 魔王は生きるも死に絶える

 


 帰りたい。



 奴と目が合った刹那、そう思った。


 真っ黒な人影が目の前に一つ。

 欲望の塊だという不快なやつが、俺を見てきたのだ。

 例えるならゴキブリがすり寄ってくる感じ。

 ゾワリとする恐怖が全身に広がっていく。


(……いや、怖がっている場合じゃないだろ)


 ここでたじろいでは、全員で助かるという願いが果たされない。

 魔王の魔力に勝つのなら、むしろ上から目線であるべきだ。

 鼻息を一つ鳴らし、俺は腕を組んで見せる。


「なるほど、知能も随分高くなっているな。丁度良いタイミングだったってことか」


 ここは精神世界。

 才能も魔法も一切関係のない場所だ。

 そして俺は魔王の魔力に立ち向かう。

 勝者はただ一人、鋼の意志を持つ者のみ。



 ……ならば、俺は負けるはずがない。


 決して諦めない自信が、この胸にある限り。



(……さあて、奴は上手く話に乗るだろうか)



 □□□



 俺の目的は一つ。

 魔王の魔力に宿る意志を、根本から叩き折ることだ。

 可哀想だ、などとは言ってられない。

 奴が成長すれば、逆に勇者パーティーを全滅させてしまう。

 そうなる前の今しか、チャンスはない。


 ただし、敵もそう単純ではなさそうだ。

 俺を警戒しながら、奴はその場から立ち上がった。

 互いの距離を測りとり、俺を凝視し続ける。

 すぐに俺を殺そうとしないのは、未だ意志が弱いからか。

 それとも、純粋なる興味ゆえか。


 魔王である己を倒すため、俺がどういう方法を取るのか。


 奴の関心はそこにある。

 逆に言えば、俺が奴の気を引いている限り、簡単に殺される心配はない。


 だったら俺は、僅か1秒すら注意を逸らさせない。

 思考を止めず、最適な言葉を探し出せばいい。

 息を大きく吸って吐き、俺は声を発した。




「俺にお前を倒す力はない」




 言い切ってみせる。


「聖剣も魔法も、お前を倒しきることはできなかった。なのに俺がお前を倒せる訳がない」


 流石の自称魔王も少し驚いたようだ。

 きっとハッタリか秘策が俺の口から出ることを予想していたのだろう。

 そして奴の動揺は、この精神世界を大きく震えさせた。

 心が乱れている証拠だ。

 この機会を逃す手はない。



「だから俺は、2つ質問をした」


 1つ。お前は生きているのか。


 1つ。お前の一番欲しいモノは何か。



 ……まるで意味が分からない問いだろう。

 魔王も(真っ黒のため見えにくいが)眉間に皺を寄せている。

 それを知ったからと言って、お前は何を得るのかなどと、思っているに違いない。




 ……それで良いんだ。


 だってこの質問は、俺が知りたいから尋ねた訳じゃない。



 お前に教えるために、尋ねてやったのだから。



「俺は3つ質問をするって言ったよな。そして既に2つを終えた」


 そして全てが終わるのだ。

 さあ、最後の問いを投げかけよう。






 お前という生物の、矛盾を証明してやるんだ。







「魔王……お前に【死にたい】という欲望はないのか?」





 ドクン



「……何ダト?」



「お前は自分で言ったよな、『俺は生きている』って。そして一番に永遠が欲しいって」


 けれど、それはおかしい。


「生きるっていうのはさ。死ぬことがあるから成立するんだ。2つは表裏一体の関係なんだから」


 生きていれば死ぬ。

 死なないのなら、ソレは生きていない。


「まあ、魔力の塊で、しかも生まれたばかりのお前には分からないだろうな。一体……生きるって何なのか」



 ドクン


「しかも、お前は生きて魔王であろうとする。全てを欲する絶望であろうとする……それも変なことだろ?」


 腹が減ったから、飯をとる。

 宝が欲しいから、冒険する。

 知を得たいから、勉強する。


 何かを欲しいと思うから、欲望が生まれるのだ。

 そんなのは当たり前な事実。


 けれどコイツは、順序が逆だ。


 魔王であろうとするために、強欲になろうとする。

 それはつまり、欲望を欲すること。

 だからこそ、欲望の方向は際限なく広がっていく。

 手に入れたいモノに、何の価値がなくとも。


「お前が永遠を求めるのも、本当に望むモノがないからだ。本能でも知性でもなく、ただ強欲でいようとするから、全てを求める」



 だから、亀裂が生まれる。

 本来、生物にはあり得ないことすら求めてしまうのだ。

 それは、この精神世界で聞こえた声が証明していた。


「お前は魔王であろうとするがゆえに、【死】すら求めている。魔王として生きたいくせに、な」



 ドクン



「……ソンナ筈ハナイ」


 否定する声が、僅かに震えていた。

 魔王として生きる自分が、永遠を望むことで「生きる」ことを放棄している。

 生きる上で必要な【死】を、自ら放棄している。

 それはつまり、生きれない


「残念だが、お前は否定してはいけないんだ。だって全てを手に入れる魔王が、万人が必ず手に入れる【死】を、求めない筈はないんだから」



 ドクン


 遠くから地鳴りが聞こえてくる。

 外を渦巻く霧の勢いが増していく。



「言ったろ?魔王、お前は生物として破綻しているんだ。マイナスを欲してしまう時点で、相反することを求めた時点で、お前はただの魔力なんだ」


 確かに、魔力の意志としては生きたいと願っているのかもしれない。

 ただしこの魔力が欲望の塊である以上、消滅すらも求めてしまう。


 その上、全員が手に入るのに、自分だけが持っていないモノがあったなら……


 ……その欲望は爆発する。



「アレ、俺ハ、俺ハ?魔王デ、イキタイ、死ニタクナイ?イヤ、死ンデミタイ?」


 ドクンドクン


 世界が脈を打ち、グラグラと地面が揺れ始める。

 外で囁いていた欲望の声が、次第に響きを増していく。

 コイツの意志とは関係なしに、欲望が激しく渦巻いていく。


「違ウッ!!俺ハ生キル必要ガアル!!!デモ死ニタイ?イヤ、生キタクナイッ!!死ニタクナクナイ?生キルト、ハ?死トハ?知リタイッ!!デモ知ッテシマウノハ不味イ?………………アアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!」


 魔王は絶叫し、人影は歪みを見せた。

 完全なる自己矛盾を孕んだ魔王に、未来などあるはずない。

 あるのは、自身の欲望による破滅のみ。


 俺は、それを後押ししただけだ。

 いつか来る終わりを、目の前に叩きつけた。


「かつて魔王なら、欲望に抗っていた彼なら耐えられたはずだろうさ。だが果たして……抑止力のないお前はどうなるかな?」


 ドクンドクンドクン


 渦が眩み、俺の横に風が流れ込む。

 奴の混乱が留まることなく世界に伝わっていく。

 荒々しき欲望の声が溢れ出し、絶叫となって響き渡る。

 その声に【死】と【破滅】という単語が増えていく。

 意志がその欲望を拒絶するたび、その悪意は強くなる。


「俺ガ……俺ガ魔王ダッ……死ヌコトナイッッ!!俺ガ死ヲ望ム筈ガ……ッ!!」





「じゃあ、きっとお前は魔王じゃない。ただの狂った化け物だ」




「……ウウ!?」



 その時、何かが壊れる音がした。



「……違ウ、違ウ!!俺ハ全テガ欲シイ!!死ナンテイラナイ!!ケレド死ヲ経験シタイ!!イヤ違ウ!!違ワナイ!!グ、グオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」


 奴は俺に向かって手を伸ばす。

 だがその身体は、欲望の渦に巻き込まれ、掠れていく。

 自分の欲望が、自分を殺しにかかる光景。

 言葉では認めなくとも、奴の意識は敗北を確信してしまったようだ。

 それは無惨な姿であり、当然のことでもあった。

 情けをかける必要はない。



 ……俺の勝ちだ。


「さあて、この世界では強い意志を持った方が勝つらしい。果たして俺とお前、どちらが勝つかな?」



 などと言ってはみるが、決着はとうに着いている。

 奴の影は風に霞んで見えなくなり、俺は怪我1つなく立っている。

 今は、一刻も早く、この場所から離れればいいだけだ。

 奴が自滅する瞬間まで生き残れば、俺の勝ちなのだから。


 俺は満足し、ゆっくりと後ろを向こうとした。




「セメテエエエエ……貴様モ道連レニイイイイイ……」




 ……おいおい、どこからか呪詛が聞こえるぞ。

 負け犬の遠吠えというやつか。




 ……あれ?

 待てよ?



 ハハハ……やめてくれ。


 ここはお前の作り出した空間なんだ。

 そんなに熱心に呟かれたら、この世界が俺に……




「……ヤツヲ殺シタイ」

「……負ケタクナイ、奴ヲ倒シタイ」

「復讐、復讐、復讐ゥ……」

「消滅サセル、消滅サセテヤルウウウッッ!!」




「「「「奴ニ死ヲ与エタイ」」」」」



 ……牙を剥いてくるじゃないか。


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