第44話 魔王は夜明けを受け入れた

 

 

「空が……なんて綺麗なんだ」


 勇者は思わず声を漏らした。

 満点の星空がゆっくりと、それでも目で見える程に回る世界。

 天頂から波紋のように光の孤が広がり、草原の丘を照らし出す。

 星の動く速さを考えればあり得ない輝きであり、文字通り幻想的な景色だ。

 そしてその光が浮かび上がらせるのは二つの淡い影。

 遠目からでしか分からないが、その影は段々と混ざり合っているように見えた。


「終わったんだな……」


 自らの口から流れ出た言葉に驚く。

 一体何が終わったのか、今の彼には理解できない。

 けれどもこの瞬間をずっと待ち続けていたような気がして、理由を思い出そうとする。

 だがいくら絞っても、感じるのは記憶に穴が空いたかのような空虚感しかない。

 勇者はその答えを求めるために顔を上げて目を凝らし、遥か遠く人影を見つめた。










「恐らく、今の私では君を……何十年掛かろうとも諦めさせることはできまい。それに私自身、納得してしまった部分もある。悔しいが、君が私を乗り越えることを認めよう」


「随分と上から目線だが、そうしてくれると助かるな。あと、もう一度言うけど……お前が自分を乗り越えたんたんだ。俺は何もしちゃいない」


「そう、だったな……訂正しよう。君が私に未来を委ねられることを許そう」


 あくまで高飛車な態度をとる魔王に呆れつつも、俺は戦いが終わったことを実感する。

 既に彼の敵意は消え、代わりに煌めく夜空が視界に広がっていた。


「この風景はな、私がこの世界に来て初めて旅をした時の絶景だ。綺麗な夜空が見れると聞いて探し求めた冒険を、今でも覚えている。例えこれ以上の空を、風景を眺めたことがあっても、この景色だけは忘れられない」


 静かにそう言うと彼は辺りを歩き回った。


「何度もこの景色を見たいと思った。この美しき丘に恋い焦がれ、瞳を閉じては常に心の中で夢見た

 な。私はいつも此処にいたいと願っていた。それがまさか、今頃になって表れるとは……」


 服が汚れるのも気にせず、魔王はゴロンと横になり、星が散りばめられた空を面白そうに眺めている。

 余りに身気持ちよさそうにしているので、俺も真似して寝転がった。

 すると……これは確かに……凄いとしか言えなくなる。

 胸の高鳴りは鳴り止まず、次の瞬間には夜空の中心に吸い込まれていく。


「これ以上に景色があるとか……信じられないな」


「そうだろ?」


 魔王は嬉しそうに微笑む。

 それは無邪気な子供のようで、けれども何処か自分自身を見ているようで、何だか歯痒くなる。


「きっと君はこれから先に色んな風景を見るだろう。それでも……私が死んだとしても、この景色だけは忘れないで欲しい」


 彼は俺を真っ直ぐに見つめる。


「君が希望を見ようと絶望を見ようと、この風景があったことを……俺(ワタシ)の中に残して欲しいんだ」


「どうして、そこまで……」





「この丘は、今はもう無いんだよ。戦争で燃え果てた」




 彼は躊躇いもなくサラリと言い放った。

 思い悩んだはずの事実を、軽く空虚に声に出した。

 驚く俺から目を逸らさず、彼は口を動かす。



「この気持ちを……私は強欲だとは思わない。間違った感情なはずがない。君に私の希望を託すのは、私が自分で掴んだ『願い』だ」


 そこに狂気に満ちた魔王は存在しなかった。

 居るのは、ただ最期の時を迎える男だけだ。

 そして彼の覚悟を受け継ぐのは、俺しかいない。



「ああ、分かった。絶対に憶えている」



 これ以上ない単純な口約束。

 けれどもそれだけで十分だった。


「というか、こんな凄い場所を忘れることなんてできないだろ?」


「……フフフ、君ならそう言ってくれると思ったぞッ!!!」


 魔王は立ち上がり、両手を大きく広げた。

 そして思いっきり醜く歪んだ顔で、ニヤリと笑う。



「さて、私が完敗した以上、長話も無駄であろう。負け犬は早々に尾を巻くのみよな。フハハハハハハッッ!!悪逆非道の大王と名高いこの私が、名もなき草原に吹く風に抱かれて一生を閉じるなぞ、誰が予言できようか!!世界に望まれた悪魔の死を熱意ある眼差し看取る者がいるとは、実に滑稽な話だ!私は今、遥か遠き想い出の地にて命を終える!!」


 彼の身体は夜空の星の一つであるかのように、段々と輝いていく。


「人よ見ろ!!これが、貴様らの憎んだ我が血肉が、嘗ての夢を叶えるときだッ!!我が死を大いに嘲笑うがいい、私は其れを喝采として受け取ろうではないかッ!!」


 辺りから、何十万もの蛍が飛ぶかのように、仄かな光が溢れていく。

 大地はうねり空は回り、風が吹き荒れ彼を巻き込む。

 この世界が崩壊するなか、彼は俺を見た。



「私は!!……望んだ全てをやり遂げたぞッ!!」





 あの果物が欲しかった。

 だから泥棒した。


 あの書物が欲しかった。

 だから窃盗した。



 あの置物が欲しかった。だから入手した。

 あの宝石が欲しかった。だから強奪した。

 あの絵画が欲しかった。だから奪取した。

 あの生物が欲しかった。だから調教した。

 あの大金が欲しかった。だから模索した。

 あの技術が欲しかった。だから会得した。

 あの知識が欲しかった。だから学習した。

 あの古城が欲しかった。だから攻略した。

 あの王国が欲しかった。だから占領した。

 あの玉座が欲しかった。だから君臨した。

 あの土地が欲しかった。だから支配した。

 あの権力が欲しかった。だから掌握した。

 あの支配が欲しかった。だから搾取した。

 あの快楽が欲しかった。だから感受した。

 あの称号が欲しかった。だから陵辱した。

 あの時間が欲しかった。だから獲得した。

 あの関係が欲しかった。だから蹂躙した。

 あの真理が欲しかった。だから理解した。

 あの世界が欲しかった。だから戦闘した。

 あの景色が欲しかった。だから手を伸ばした。



 思いっきり高く背伸びして、遠くまで届くよう手を出した。

 疼く心が求めるままに頑張ってみた。

 けれども全然掴めないから苦痛が日々増えていく。

 焦燥が身を包み、理性が濁っては脳髄が欲望に溺れていく。


 欲しい


 ただそれだけが自分にある全て。

 歩くのも走るのも息を吸うことも、手に入れたい物を手に入れるため。

 一度囚われれば他のことなど考えられず、感情が捻じ曲げられ支配される。

 どうしようもない欲望が湧き出すから身体は動かされる。

 そんな自分が最期に見たのは



 ……未来を任せられる自分であった。














 なあ、----














 最期に彼は自分(オレ)の名前を呟いた。

 ハッとしたときには、彼の全身が光の粒子となりこの心象世界に溶けていった後だった。


 空の星が消えていき、群青の地平線から橙色の陽光が差しこんでいく。

 穏やかな風は止み、木の陰が長く伸びては遠くへ繋がっていく。



 もう夜明けはすぐそこだ。



 明色を取り戻していくこの世界で、俺は大きく息を吸い込み上を見た。







「朝焼けも案外、綺麗なもんだな……」






 あの日の俺は、部活から帰って眠りにつく。


 そうして見るはずだった朝日を、俺はやっと迎えることができた。


 今度はもう、狂わない。


 それ以上の景色を知っているから。

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