第43話 魔王は輝く空の下

 

「諦めない、諦めない、諦めない………諦めない、か」


 魔王はその言葉を何度も呟く。

 やがて口を閉ざしたかと思うと、呆れたように声を出す。


「全くもって聞くに耐えん理想論だな。現実を直視せず、夢ばかり追い求めてるのは気持ち良いだろうよ。だがな、そんな生き方は人間である限り不可能ということを考えられんのか」




 ……それとも、既に狂っているのか



 侮蔑を含んだ声で、魔王は俺を否定した。

 そして苛立ちを感じさせながら、軽蔑したような目で俺を見る。



「結局その生き方は、この魔王と同じ末路を辿るばかりだ。生きる目標がない者に栄光などはない。手段と感情が身体を蝕(むしば)み、己が身を破滅に追い込むだろうよ。貴様を縛り付けるのは『欲望』か『意志』か、ただそれだけの違いでしかない。貴様がそんな愚策を施したところで、お前が絶望に落ちるという結末は変わらんのだ。何故それを理解しない?」


 奴の言い分、それはつまり俺の生きる意味が歪んでいるということだ。

 欲望に縛られるか、生き様に縛られるか。

 そんなの結局はどっちも変わらずに、閉ざされた選択を間違った方向へ歩いていく。

 成功も名誉も歓喜も意味もなく、最期に残るのは後悔だけ。

 そんな狂気に満ちた人生ならば、ここで未練を断ち切り、人間であるうちに死ぬことが正しいことなのではないか。

 既に道を踏み外した魔王は、俺にそう問い掛けたのだ。

 今なら踏み止まることのできる、過去の自分に。

 けど……






 ……そんなこと、どうだって良いんだ。




「理解とか、そんなもの今の俺には必要ないんだ。俺は常に最善を尽くそうと努力する。その一瞬を後悔しないように生きていく。身体が拒んでも、感情が騒いでも、欲望が溢れても、精神が荒んでも、知性が留めても、全てが誘っても、俺の決意には関係ない。ただひたすらに前を往く。それが俺の決めた道だ」


 邪魔があるなら突き破り、呪縛があるなら押さえ込む。

 自らの限界なんて曖昧なもの、勘定に入れる暇なんかない。

 できるかどうかじゃない。やるかやらないかでもない。

 今からやるか、既にやっているか。それが問題だ。



「確かに、俺がいつの日か欲望に負ける可能性もあるだろう。だったらその時は、全力で逆らって生きてやる。お前ができなかったことを俺が成し遂げてやる。そして絶対に……俺は魔王になんてならない」


 そもそも、欲望は生きている以上なくすことができない。

 だったらそれを抑えつけるより、受け入れて生きていった方が簡単だろう。

 魔王のように力ではなく圧倒的な心で支配しようとすれば、多少なりとも効果はあるはずだ。


「世迷言をほざくなッ!!私が、この魔王たる私ですら不可能であったことを、貴様のような青二才に出来る訳があるかッ!」


「ああそうかもな、けれど……だから負けたんだよ、お前は」



 自らの強欲を押さえつける。

 それが未来の俺が、魔王ができなかったこと。

 ただ……だからと言って俺ができない理由にならない。


「お前は言ったよな。その強欲に負けて、気付けば魔王の力を手に入れたって。だからなんだよ。お前が入っている魔王の力こそが、欲望の原動力になっていたんだよ」


 空を飛べない鳥は、空を飛ぼうとする。

 空を飛ぶ鳥は、より速く飛ぼうとする。

 速く飛べる鳥は、何よりも遠くへ行こうとする。

 速く遠くへ飛べる鳥は、より出来ることを増やそうとする。


 そして何でもできるようになった鳥は、鳥以上の存在になろうとする。


「人ってのは、自分が出来るかもしれないことにしか夢を持てない。逆に言えば、力さえあれば叶えたいことは増えていく。魔王、お前は自分の強欲を自分で広げていったんだよ。その欲求を直そうとすることが、結果として欲望を増幅させていたんだ」


「だったら如何どうした!?」


 魔王は叫ぶ。

 気付けば座っていたはずの椅子は消え、俺たちを中心に周囲の暗い空間がグルグルと回り出していた。なるほどな、心象世界とはよく言ったものだ。

 いくら皮を被っていようと、心は目の前に表れる。

 だが魔王本人はこの異常に気付いていない。


「私がこの毒々しい衝動を封じるために、他に道があったというのか!?否、私自身が乗り越えようとすることでしかこの苦痛から解放されるはずもないッ!!それを、この私の抵抗を、無駄であったと馬鹿にするつもりか、オマエはッッ!!!」


「違う。お前が必死に運命と抗ったことは間違っちゃいないし、無駄だったとも言ってない。だからほら、何百年かは掛かったけど……やっと答えに辿り着けたじゃないか」


「何だと………まさかオマエは……!?」


 魔王はきっと何度も戦ったはずだ。

 その身を削るような欲望に対し、数々の方法を試しては失敗し、それでも諦めなかったはずだ。

 強欲を押さえつけようとするその衝動も、強欲の一つなのだから。

 彼は最後まで進み続けようとした。

 その心が折れる刹那の時まで、涙を流していた。


 そして狂気に堕ちた今でさえも、それは彼の中で微かな願いとなって生き続けている。


 だからこそ、やっと巡り会えたのだ。

 望み続けていたその日に。


 欲望から解放されるこの瞬間に。




「そもそも欲望ってのはな、止めようとすればするほど増幅するんだ。だから俺は普通に生きてやる。昨日の自分と同じように、そこそこ人生を楽しんで生きてやる」


「ハッ、そんなことで貴様がこの強欲を……」





「乗り越えられるさ。だって俺は、お前とは違うんだから」





 あの日から次の朝を迎えた俺なら、きっと同じ過ちを犯すだろう。



 けれど俺は、勇者にあった。


 彼に諦めないことの正しさを学んだ、


 射手にあった。


 彼女に折れない心の作り方を教わった。


 戦士にあった。


 彼から心の強さを実感させられた。



 そして……




 ……俺は賢者にあった。




「俺はあの日のお前と違って、急にココに呼ばれて何度も死んだ」


 そして何度も立ち上がった。

 敵であるはずの勇者たちと話して、進むべき道を見つけ出した。


「なあ、魔王……今の俺に欲望があるとするならな、それは『生きたい』ってことだけなんだ」


 それ以上に素晴らしいことなんて、俺は一生知ることもない。


 ここから抜け出して


 勇者たちと話がしたい。


 お前と色んなことを語り合いたい。


「ほらな。俺にとって欲望なんて、こんな程度の最高な願いでしかないんだよ」



 だが、それでも。

 魔王は何かを否定したそうにしながら歯をくいしばる。

 自分が成し得なかったことを、果たして俺ができるのかと。

 だから彼の勘違いを紐解いてやる。



「お前はこれまで生きてきた。そして俺を呼び出し、強欲との決別を果たそうとしている。これは魔王、お前の成果なんだ。俺が終わらせるんじゃない、お前が成し遂げたんだ。俺が呼び出される原因となった魔法も、あの部屋の存在も、勇者たちとの闘いも、全てがお前の行動による結果だ。最後の自由への挑戦が、お前自がその手で成功させたんだよ」



 例えそれで、魔王の精神が消滅したとしても、お前の悲願は叶うのだ。

 そしてお前が戦い抜こうとした意志は、俺が受け継ぐ。



「だから魔王、お前が心配することなんて何もない。俺が間違いかけても、それを止めてくれる人だっている。前に進めと教えてくれた人がいる。だから……お前のことは俺に任せろ」



 そうして、回る世界がユックリと静止していったとき。

 魔王は目を閉じ、そして呟いた。




「そうか……私は欲望に勝ったのか。ならば、致し方ない。認めよう」



 空にポツポツち小さな灯りが広がっていく。

 それは数百万にも広がり、星となり、一つの宇宙を描いていく。

 いつの間にか穏やかな風が吹き抜け、草木がたゆたい、月明かりが仄かに地面を照らす。

 天上の光は色がつき、強く煌めいたかと思えば淡く空に溶けては消えた。

 それは、いつの日か見たあの光景と一緒だった。



「私の……負けとしよう」





 小さな丘のすぐそばで


 鮮やかな夜空が輝き始めた。

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