第41話 魔王は慾望に落ちていく

 



「魔王、お前を倒すッ!!」



 輝く聖剣とこの身に誓おう。

 かの邪悪の根源たる王を、光と共に滅ぼすと。

 勇者である俺が、力なき民衆の想いを胸に込め、必ずや絶望を断ち切ってみせると。

 そして、皆の未来に一筋の光を繋いでみせるッ!!

 俺はそう宣言した、はずだった。


 数秒後に眠りに落ちるまでは。





「……うん?此処は……」



 ……どうやら少しばかり意識が飛んでいたらしい。

 まさか魔王を前に恐怖が溢れて思わず……倒れこんだ訳ではないな。

 どうやら俺は、先程とは別の場所にいるみたいだ。

 周囲は闇に覆われ、一切の光の無い空間。

 足元すら確認できない異様な暗さに呑まれた世界。

 俺は記憶を辿り、この場所の正体を突き止めようとした。

 数々の冒険において多くの土地を旅した俺に、知らない場所などないはず!!

 だから、俺は大きく声に出してみた。


「……此処は一体どこだ!?」


 確かに!!

 さっきまでの俺は魔王と対峙していたはずだ!!

 パーティーを組んだ射手、賢者、戦士と共に、最後の決戦に挑もうとしていた!!

 だがしかし!!気付けばあの真っ白な部屋ではない場所に立っている!!

 俺は全神経を集中させ、周囲の様子を探りだそうとする。

 しばらく警戒したところ、どうやら敵味方関わらず、この空間には……誰の気配もない。


(……魔王の結界、もしくは幻術か?)


 こんな時にこそ、冷静さを見失ってはならない。

 俺は素早く聖剣を構え、次なる脅威に備えようとした。

 だが、腰につけていたはずの鞘も、そもそも握しめていた剣も存在しないことに気づく。

 咄嗟に腰や服に忍ばせたはずの暗器を探すも、全て外されている。

 どうやら既に攻撃手段を奪われていたらしい。

 いやそもそも、必要最低限の衣服を除いて、全てのアイテムがなくなっている。

 頭に巻いていたバンダナすら、どこかにいってしまったようだ。

 ならばどうするかと、先程から静寂の広がるこの暗夜で、俺が次に取るべき行動を考えた。


「仲間はいない、武器もない……ならば徒手での闘いになるか?いやそもそも、敵の狙いが分からないぞ。俺を寝かせておいて拘束も殺しもしていない。今だって隙だらけの俺を倒すチャンスはあった筈……もしや、魔王の目的は俺じゃない?」


 勇者をほったらかす魔王など聞いたこともないが、実際問題その状況に立たされているのだ。

 立ち止まっていても仕方ない。取り敢えず俺は、この暗闇を歩くことにした。

 どうやら地面はあるらしく、なだらかな丘のように流線型をしていた。


「地形があるということは、此処は幻想の世界ではないのか?だが、現実にしては空が真っ暗だ。それにこの場所……どこかで……」




 ……魔王が……



 ふと、誰かの声が耳に届いた。

 俺は思考を止め、聴覚を研ぎ澄ます。



 ……


 ……


 ……


「……気のせいか?」


 いや違う。

 俺は微かに聴こえた声の方向へ走り出す。

 するとやはり、俺の耳が正しかったようだ。

 段々と、小さな光の様だった囁きは膨らみ、男の話し声が聴こえてくる。


「もしや魔王か?」


 だがこの世界における、他の手がかりは皆無。

 突っ走るほか選択肢はないだろう。

 俺は警戒しながらも、ある一定の距離まで近付いた。

 暗い世界の中、二つの人影が小指程度の大きさに視認できる。

 どうやらこれ以上近付くことは、何故か見えない壁があるらしく、物理的にできない。

 けれども、二人の男が会話しているらしいことは察することができる。

 俺は彼らの言葉を聞き逃すまいと、身体を壁に押し付け耳を傾けた。

 1人の声は奈落の底から響くような、不気味な程に綺麗な声。

 口調も堂々としているからか、かなりの強者といった印象を受ける。

 そしてもう1人の声は……




 ……どこかで何度も会ったような、不思議な懐かしさを感じた。









□□□






「不自然だと、気付かなかったのか?まあ無知なるあの頃の私がココに召喚されたとして、理解する事なんぞ僅か一握にも満たぬだろうが。だが暗示はそこらに散りばめられていた筈だ。それとも、散々に罵倒したその精神が、元来は貴様自身の心理から生み出たと、信じたく無いのか?フハハハハハハ、其れこそ強欲の塊では無いかッ!!」



 目の前で俺を嘲笑う魔王。

 こんな馬鹿げた奴に俺がなる?

 たった一晩を明かすかどうかで、此処まで歪むものなのか?

 あり得ない、そう否定するのは簡単だ。

 魔王が嘘を吐いている可能性だってある。

 けれど……あの朝を迎えた俺に、何が起こるかなんて予想もつかない。

 本当は、だからどうしたという話なのだ。

 今の俺と魔王は全くの別人、生き様だって違う。そんな事実を知った所で、俺のやるべきことは変わらない。相手を消滅させ、俺がこの魂を奪い生き抜く、それだけなのだ。


 けれど……


「そうだ!!貴様が私を倒した所で、此処に残るのは魔王オマエなのだ!私の根源であるその精神が、この先成長した所で結末は変わらぬ。また強欲に駆られ、大罪を犯す悪魔が生まれるのみだ。宣言してやろう、貴様は必ず魔王ワタシになる!!私や魔王になろうとしたのではない、既に魔王となるしかなかったのだよ!!封じ込められていたその衝動が何時の日にか解き放たれるだろう!あの日の私のように!」


「俺が……いつかオマエになる、だと……!!」


 ふざけるな、そう感情のままに口を動かしたい。

 だが俺の理性が、意識がどうしてもそれを止めてしまう。


「フン……勘違いするなよ、前世の君。私の所為ではなく、あの身体に過大なる欲求が宿っているのだ。私は親切にも、貴様が肉体の支配権を得たとして、あの心臓を焦がすような衝動に駆られる可能性もあるということを示したのみだ」


 足場が揺れる感覚を覚え、今にも倒れそうになる。

 言うべき言葉が腹に溜まっては、恐怖に掻き消され、霧散していく。

 決意したはずの心が今、俺の中で崩れかけている。

 駄目だ、このままでは俺は……


「魔王とは即ち、人には有り余る狂気を孕んだ人間のことよ。その精神は肉体を変容させ、人知を超え、見るも悍ましい化物に成り果てる。倫理も道徳も正義も法も悪も、総てを理解した上でなお、その狂った脳髄を止める術がない実に忌まわしき呪いだ。貴様も見ただろう、私の一部が乗り移った勇者を。ほんの数滴でさえ理性が壊れるのだ、私が今日此処まで自我を保った事は誉れであるな。いや、貴様からすれば既に壊れているのであろうが」


 魔王の言葉に、俺はその光景を思い出す。

 誠実を象ったような性格の勇者が、全身を震わせながら吼え、荒ぶるままに仲間を攻撃しだしていた。魔王による精神支配もあっただろうが、それ以前に彼の身体が内側から「何かの」衝動に耐え切れず悲鳴を上げていた。それが、魔王の心が僅かに混ざったせいだとすれば。

 あの勇者ですら、魔王の強欲に打ち負けたということだ。


 ……今の俺に耐え切れるはずがない。

 心は縛られ、磔はりつけの魂は貫かれ、涙が吸い尽くされて壊れるだろう。

 何より、俺が魔王と同化し始め、奴の力が俺に流れ込んできたとき。


 ……愉しいと、思ってしまたのだ。


「今のお前の貧弱な志では、私を射殺すには劣り過ぎる。だが其れでも、この私は貴様に魂の座を譲ってやろう。だがな……」


 グワリと歪んだのは、俺の視界か、この精神のどちらだろう。

 目眩が、震えが、緊張が、幻聴が、恐れが、不安が、絶望が、溢れ出し、零れ出し、落ちて、堕ちて、墜ちて、陥ちていく。


「貴様が己が試練を乗り越え、日常を手に入れたとしよう。だがな、飄逸ひょういつな生活をする中で、貴様は怯え続なければならないのだ。お前自身に潜む無限の絶望に。其処でお前が魔王になろうとも死のうとも構わぬ。お前が魔王になるか、貴様の死によって私が魔王として蘇るか、それだけの違いだからな。そんな未来に、貴様は生きようと思うのか?」


 俺の歩んできた道が、音を立てて崩れはじめる。

 希望のために進んだはずの最後には、黒く染まった地獄しかない。

 生きようとした事が間違いなんて、そんなの……




 ……気付くわけないじゃないか。




「これで貴様も理解できたはずだ。私がこの肉体の所有権を失うこと、ソレが目的であるとな。飽くなき挑戦の末に待ち望んだものがこの精神からの解脱とは……フフフ、誰が思いついただろうな。だが……おかげで現状、私はあの欲望の呪縛が抑えられている」


 そう言って魔王は首を鳴らし、愉悦の表情を見せた。


「軽い、軽いなあ。あの呪われた強欲から解き放たれた心は実に心地良い。貴様もいずれ分かるはずだ、あの呪縛に犯された後でな。このまま消滅するのも悪くは無い。まあそれも、貴様次第ではあるのだが……その様子では、救いようも無く結果が出たようだな」


「久方ぶりに味わう爽快な気分だ、フハハハハハハハハハハッ!!!さあ、前世の君よ!!選択の余地も無く、恐怖に囚われたまま、最悪の勝利を掴むと良いッ!!」



 ……俺は……




 ……俺は……







 ……俺は……







 ……何のために、戦ったんだっけ










 そして視界が霞みかかったとき、思い浮かんだのは……








 ……何だ、簡単な事だったじゃないか。









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