第40話 魔王は未来を過去にする
空はなんて青いんだ。
見慣れた街を飛び出した早朝、俺はその景色に驚いた。
今日は何故か4時に目が覚めた。
ベットから這い出して背伸びをし、ふと外に出てみると、肌寒い空気が流れた。
けれど、そんなことは気にならなかった。
……いつも歩く道から、夜の薄暗さが抜けさっていく。
ただの晴天だというのに、広がる日光は鮮やかで、漂う雲は愉しげで、まるで異世界がすぐそこまで迫ってきているようだった。
気付けば身支度を済ませ、玄関を飛び出していた。
俺は地平線を超えようと、足に力を込めて蹴り上げた。
俺は今、新しい光景を手に入れたんだ。
さっきまでの自分なんて、もういらない。
「……私の魂は、君の魂でもある。然るに、私の思考や記憶といった類が、君の中にも流れてくる筈だ。フハハハハハハッ‼ 今頃になって、数百年の時を経てから、今再び過去を振り返る事になろうとはな。人生とは実に面白い造りをしているな」
「今のは……お前の記憶、なのか?」
一種ではあるが、俺の視界には「街」が広がっていた。
賢者の記憶を見たときの感覚に似てはいるが、こちらはより鮮明で、他人の記憶であるという事を忘れるぐらい没入していた。そして何処か、懐かしく感じていた。
これが、コイツの見ていた風景か。
何て輝きに満ちているんだ。
だって今のって……
「勘違いしてくれるな。私の記憶は、憶えていないだけで貴様のモノでもある。この記憶を私がお前に見せるのではない、
「俺が思い出す……?」
そう呟いたとき、再び感覚が塗り替えられる。
見知った友人、通う学校、受験したテスト……
俺の記憶らしきものも飛び出してきたらしく、頭で混じり合い、思わず呻いて眼を瞑った。
魂が乗っ取られてきているせいからか、俺から相手の記憶を選んでみることはできない。
……目を開けば、億万の星が降り注ぐ丘の上に立っていた。
周囲に視界を遮る木々もなく、この天を掻き回すように、流星群が煌めいては、次々と弧を描いていく。
夜空が零れ落ちたような光と闇の中、俺は仰向けになって宇宙を眺めていた。
美を讃える言葉はどれもこの世界を表現するに不十分だろう。
けれど、そんな事を考える余裕もなく、空に目を奪われ息が止まってしまう。
「……ハァ」
心が夜空に落ちていく。
瞬きの時間すら惜しく感じてしまう。
自分の知る限り、これ以上の絶景はない。
「……だから、まだまだ死ねないな」
俺はこれ以上の景色を、見つけてみせる。
そしていつか、俺はありとあらゆる未知なる景色を眺めてみせるのだ。
俺の二つの瞳では足らないぐらい、この世界は広いのだから。
……そして数年が流れたところで、視界にが暗転する。
しばらくして、俺の目の前には見慣れない言語の本が開かれていた。
……俺は全てを手に入れようとした。
最初に必要となったのは、知識である。
手につく書物を片っ端から読み漁っては、その文章に含まれる裏の意味までをスッカリ理解しようと試みた。学力や記憶力が優秀である、とは言い難かったが、好奇心が身体を突き動かし、本を閉じるまで休ませてはくれなかった。特に魔法について、気付けば「世界最高峰の魔術師」などと呼ばれるようになっていた。
多くを知れば、自然と実践も必要立ち思い知る。
机上の論理が真か偽か、全ての言葉が正しいとは限らない以上、自分でソレを見極めるなければならない。
百聞は一見にしかず、
百見は一考にしかず、
百考は一行にしかず、
百行は一果にしかず、
行動あってこその博識である。
幸いにして、私には人望があったようだ。
未知への冒険という志と共に、多くの才人が私を教え、導き、正しては前へと押してくれた。
そして新たな発見を喜び、異文化に驚き、日記が厚くなっていった。
……だからだろうか、私は自分を恐れるようになった。
このまま世界を巡って行った先に、終わりが来てしまうことはないのだろうか。
私の想像を超えるような発見が、この先に現れるのだろうか。
この世界の過去も未来も、私が生き続ける限り、いつかは手が届く。
その力も知識も私にはあったし、この渇望が止むことはなかった。
だからこそ日々を重ね、年月を費やすことで、私は全てを手に入れようと足掻いた。
より困難な道を、遥か高みの
……だが、私の強欲とやらは、永遠に満たされることなどなかった。
気付けば、この欲望を持つ自分を、私は嫌いになっていた。
「だから永劫なる時を這いずり回ったさ。いつか飢餓する心が潤う日を目指して、この旅が終わる日を目指して、邪悪と恐れられても、最悪と非難されても、この魂が救われる事を目指して」
「……」
彼の記憶から流れてくる感覚と意思。
それをきっと……前世の俺は知っていた。
思えば、おかしいのだ。
全てを欲すると謳いながら、俺の記憶については無関心であった。
魔法のある世界とない世界、それは全くの別物である。
現に俺の世界には、勇者や賢者なんて存在もなく、異世界なんて概念もない。
だからこそ俺の世界の様子を見て心踊る、それが「魔王」としての妄念。
発展した科学技術、全く異なった文化や歴史、何より地球に広がる新たな景色。
彼ならきっと俺の世界に乗り込もうとするはずだろう。
自分の欲望のままに蹂躙しようとする筈なのだ。
そのチャンスがやってきたのに……彼はまるで諦めたかのように言った。
「そうだ、そうなのだ。前世の君よ、私は終焉を求めている。フハハハハハハハッッ、気付かぬとでも考えていたか?残念にして、貴様の予想は外れていたということだ。至上最高峰の魔術師は並大抵の知能ではなし得ない二つ名なのだよ。自分の心理を把握することが出来ぬ者に与えられる筈もなかろう。そう、そして今ので気付いただろう?遠慮なく言え、私は貴様の何たるかを!!」
そう、俺は魔王の前世なんかじゃない。
彼の幼い頃にあった記憶、それは俺が知っている記憶だった。
けれど、それって……
「お前は……」
俺があの日……家に帰って寝ていた夜。
魔王によって見せられた、最初の思い出。
輝くようにして現れた朝焼けは、俺の街に降り注いでいた。
あの記憶を俺は知らない。けれど、あれは俺の記憶だ。
普通の一生を送ったはずの俺がもつはずの思い出だ。
「お前は……俺がこの世界に呼ばれなかったまま、次の朝を迎えた俺だ」
それはイフの話だと思っていたけれど……違っていたんだ。
今の俺自体があり得ない存在であったのだ。
俺が普通に成長し、大人になり、生きてきた結果、間違って真っ直ぐに、一生懸命歪んで成長してしまった男。何故か異世界に招かれた男。魔法を覚えてしまった男。魔王になってしまった男。
「向こうの世界を食い漁った私は、幸運にも別世界へと辿り着くことができた。どうやって世界の壁を越えたか? フン、過程なんぞ対して重要ではない。私がココに来た、それだけが不変の真実であり、最も畏怖されることなのだ。まあ語ってやらん事も無いが、今のお前に果たして受け止めきれるかな?」
今なら魔王の顔がハッキリと見える。
いや違う、俺が無意識にフィルターを掛けていたんだろう。
心の中の拒絶感が具現化していたのだ。だが、その霧も晴れてしまった。
……何百年と生きたせいか、一見は別人のようになっている。
だがその輪郭と二つの眼は紛れもなく、鏡でみたことのあるパーツであった。
「理解したかな、前世の君。私が捨てた可能性よ。それとも、貴様がなるはずだった私を、どう受け止めれば良いのか悩んでいるのかね?」
「……だからか、お前が自分を嫌いなんて言ったのは……」
「そうだ。捨て去ってしまった過去なんぞ、今更見るに耐えん。全くの別人とも言えるだろうな、何せ欲望に狂わなかったのだから。間違えることを選ぶことすらできなかったのだから。貴様はテストで赤点を取り続けた愚かな過去の自分を、愛することなどできまい? 故に私は伝えたのだよ」
ソイツは不敵に笑ってみせた。
「私は
……俺も同感だよ。
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