第39話 魔王は決して悪くない










少年はその空に飽きていた。









雲が風に乗って飛んでいく様子をつまらないと思った。

季節と共に変わる鳥のさえずりも、雨や雪の降る音も。


……何より、視界を鮮やかに覆い尽くすその空の色を、見飽きてしまった。


それを自覚したとき、彼の足は外へ飛び出していた。



……何時だって思い描くのは、未知の景色。

紅く光る月、星の輝かない夜、太陽の消えた朝。

海に映る夕焼け、山に降り注ぐ流星、地平線の彼方から広がる陽の光。



少年は求めたのだ。


自分の知らない空を眺めることを。






数百年振りの今日、あの想像は目の前で輝き始めた。











「……下らない詭弁だな」


魔王は冷たく言い放つ。

その途端に目の前で黒い煙が渦巻いたとき、彼は姿を現わした。

相変わらず表情は分からないもの、服装は俺の着ていた衣装のようである。

だが光沢や派手さはなく、色褪せたローブが闇と同化している。

そうして今まで積み上げてきた関心の一切を失ったかのように、俺に向かい溜め息をついた。


「愚言もここまで極まるとは、よくも興を醒ましてくれたものだ。少しばかり未知なる語らいに心躍らせてはいたが、昔の私がここまで能無しだったとはな。話す気が失せたぞ。消えるが良い」


「そうか、お前はこれを詭弁と取るか。だったら俺は恥ずかしいぜ。来世の自分が、人の話を聞かない、こんな強情で自意識過剰な駄目人間だっとはな」


ふん、と魔王は鼻を鳴らしその場に腰掛ける。

何時の間にか彼の側には黒い椅子が用意されており、魔王は足を組んで頬杖をついた。


「貧小な犬ほど吠えるとは言うが、よくもそんなに減らず口を叩くものだな。私が、この強欲が象徴と畏怖されるこの魔王が、自らの夢に飽きただと?異口同音して否定される戯言だと心得ているのか」


「きっとそうなんだろうな」


俺はそう言いながら、魔王と同じく腰を下ろす。

いつの間にか俺にもイスが用意されていた。いや違う俺が用意したんだ。

ギシッと音を立てるのは、自室にあった青い回転イス。

中古品だったけど、座り心地が絶妙でお気に入りだった。


「勇者も、賢者も言っていたよ。魔王ってのは諦めが悪くて尽きることの無い欲望の塊だってな。だからこそ誰も、お前自身ですら気付かなかったんだろうな。お前が終わりを求めていたことに」




巫山戯ふざけた事を抜かすな!!」




魔王はガタンと音を鳴らした。

そして荒ぶるままに立ち上がり、怒鳴り散らす。


「何度も馬鹿げた話を…………私が終わりたがる? 生に執着し欲に塗れ世界から見放され絶望を知り幸福を渇望し残虐を苦とせず万物に飢えこの身から溢れ出る欲深さがこの世に轟き渡った男が、一体今更何を願うものかッ!! この手が望むは全世界だッ!!! 断じて終焉なんぞでは無いッ!!!!」


その姿は、魔王の魔力によって暴走した勇者を思い出させる。愉悦を持った振る舞いをする彼とは裏腹に、感情のままに喚く王。きっとどちらも彼の本性なんだろう。その両面性があったからこそ、彼は魔王と呼ばれるまで成り上がれたんだ。


「何百年も私は夢を追い続けた、追い続けられた。絶望を乗り越え、窮地で歯を食いしばり、死にたいと嘆く事もあった。だがしかしッ!!この魂が夢を手放す事は一瞬たりとて無かったッ!!傲慢こそ我が人生にありッ!!!この揺るがぬ想いを貶(けな)す事は、万死に値するぞッッ!!!」



「別に悪く言ったつもりはない。人生とか、ほんの十数年間しか生きてない俺が何十倍も長く生きたお前に語る事はできないと思うし、むしろお前みたいな真っ直ぐな生き方は凄いと感心しているんだ。魔術師としても、王としても結果を出し、後世にまで伝わる伝説を作った。俺の世界じゃ、1000年後には英傑として崇められるぜ」


「……なら良いが……私も少々取り乱し過ぎたな」


そう言ってイスに深く腰掛ける魔王。

この切り替えも政治の駆け引きに必要な才能の一つなんだろうな。きっと他に他にも数多くの技術や知恵をその身体に刻み込んだに違いない。




だからこそ普通は彼が、に気付かないなんてことはありえない。


きっと誤りが起こるのは、彼が歪めていった本音のせいだろう。

多分誰も気付いてあげられなかった。最初はほんの少し好奇心の強い性格なだけだったのだろう。けれどもそれが数百年に渡り、ユックリと狂っていった。元々彼も心情を理解できる人など僅かだったのだ。しかも邪悪の王としている限り、誰も心の歪みを咎めるはずがない。

そうして彼自身も気づかぬままに、彼は間違っていったのだ。


「魔王、さっき俺が言っていたことを愚問とするなら尋ねたい」


だったら、俺が教えなくちゃいけない。

彼が自分を理解するまで何度も説明してあげなければ。



そうしなければ、彼は救われない。



「自分の精神を、誰にも負けない強い気持ちがある誇るんだったら……」



息を吸って吐く。






「……お前は何で、その気持ちを悪く言うんだ?」










「私が、自分のことを悪く、だと?」


「欲しいと思ったものを手に入れようと、やりたいと願ったことを叶えようとするのは普通のことだ。そしてお前はその望んだ夢を実現しようとしている。悪いことじゃない、むしろ人間としてこの上なく正しい行為だ。なのに何故……その夢を傲慢とか、欲望とか、そんな言葉で汚すんだ?胸を張るべきことなのに、お前は自分が悪者であるかのように振る舞おうとしている」


まるで自分が夢見ることは悪いことだと主張するように、彼は必死に夢を黒く染めあげようとする。さっきの暴言だってそうだ。「傲慢こそ我が人生」なんて、自ら卑屈な発言をしているようにしか思えない。


欲望と言われれば、夢と言い換えれば良い。

傲慢と言われれば、それこそ武勇であると声高らかに宣言すれば良い。

邪悪と言われれば、それでも自分は正しくあるのだとハッキリ断言してやれば良い。


彼は他人からの評価に囚われ過ぎているのだ。

夢を追うことは決して間違いじゃないと、そう信じきることができなくなっているのだ。

自分に素直であればあるほど、悪名が噂され、障害は厳しくなり、敵も味方も関係なく彼を恐れる人は増えていった。彼が歪んだ原因はそこにある。


人々こそが、彼を終わりなき強欲の魔王に仕立て上げたのだ。




「お前が自らを皮肉る必要はない。けどそれを無意識にしているってことは……本当は理解しているんだ。世界を求めるのは自分が望むからじゃない、他人にそう思われているからだって」


「……私が、他人のために自らの夢を叶えようとしている……そう言いたいのか?」


不満の入った魔王の声。

けれども先ほどより否定的な感情はない。


「俺の言っていることなんて、たった一つの視点からでしかない。だから嘘か本当かを判断するのは俺じゃない……お前だ」


「………」


彼は口を閉じ、俺を見つめた。


そして彼自身のことを語り出した。




「私は……幼い頃から変わった性格でね」



そして目を瞑り、懐かしそうに話し出す。

同じ魂だからだろう、彼の頭に浮かぶ記憶が俺の中にも流れ出してきた。






「私は、自分が嫌いだったんだよ」







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