第38話 魔王は答えを声にする
目の前にいるはずの男。
だというのに、その姿形はおろか、声すら靄がかかったかのように認識できない。
ふと、俺は自分の手を見る。
そこには長く忘れかけていた、間違いなく自分自身の腕があった。
「……我が前世である君よ」
前方からの声に、俺は顔を上げる。
「……お前は、私の事をどう思っている。たまたまお前の未来の姿である私を、全くの別人だと考えているのか?」
「……そんな訳ないだろ」
この世に輪廻転生があるのならば、魂にも因果関係があるはずだ。
伝説から考えると、聖人の生まれ変わりは賢人であるし、殺す者と殺される者は役を変えながら互いに復讐し合う。
まあ、今世での苦しみは前世で悪行を犯したせいだ、なんて事を聞いた覚えもあるが、今の俺にとってはむしろ逆なんだが。
ともかく
「同じ魂を持った俺たちの違いはただ、居場所が違うってことだけだ」
同じ心を持った人は記憶をリセットしながら何万回人生をやり直しても、結局は同じ人生を繰り返す。
本質が変わらなければ、変化など起こるはずもない。
全ての条件が一致しているのだ、結果は一通りしか存在しない。
平行世界だとか、もしもの事象とか、そんな事はあり得ない。
同じような世界が複数あったとしても、同じ人は同じ台詞を吐き、同じ行動をとり、同じ生き方をしていく。
「きっとお前が俺の世界に居ようが、俺がこの世界に居ようが関係なかったんだ。人間の本質なんて、一度死んだくらいじゃ変わらない。それでも今のお前が俺と違うっていうのなら、お前がダラダラと生き延びて精神が腐りきっているせいだろう」
奥の男はゆっくりと手で顔を覆い、その隙間から俺を見る。
赤くおぞましく輝く瞳。
けれども今は何だか悲しい姿にしかみえない。
そして男は立ち上がった。そもそも光のない世界だから男が座っていたのかすら分からなかったが、俺には腰を上げたように見えた。それでも男の表情はやはり認識できない。
「……腐る、精神が腐る、か。実に面白い表現を使ったものだ。まるで私の生涯を一切否定するような物言いだな。ここで互いの人生観なぞを語り合う意義も皆無だが、最初で最後の謁見を許しているのだ。僅かばかりの敬意を払おうとは思わんのか?」
「畏まった表現ってのは他人にしか使わないのが普通だ。お前を皮肉る訳でもないし、折角の話ができる機会なんだ、腹を割って話す方が良いに決まっているだろ?」
「……成る程、そう判断するか」
男はそう言うと、俺に向かって歩いてくる。と思った瞬間にすぐ横を通り過ぎた。
振り向く間もなく、背後で声がする。
「君がここに来た理由を考慮すると、私の事を十全に警戒するのも仕方ない。だからこそ伝えてはおくが、私は君と戦う気などは毛頭ない。過度な敵対心は捨て去れ、語り合うには余計な感情だ」
左後方、そう思い振り向くと今度は上から声がする。
「……人は誰しも生きる意味を持っている。私ですらそうだ。ただし少しばかり欲が過ぎたようだがね」
声の方向に見上げた途端に、足元から響く。
「私には時間が足りなかった。君からすれば有り余っているだろう時間を生き続けていてもだ。強欲は身を滅ぼす、などとは言うがその瞬間は今まで来ることがなかった。全ての空を掴める日まで、私に終わりが来ることは無いと感じる程に、私は時の呪縛から解放されていたのだよ」
ドクン、と身体の内から鼓動が強く高まり、脳内に直接声が届く。
「 今この瞬く間でさえ、私は君を消化し、現実で勇者を倒し、街一つなら壊滅させることができる。賢者が魔王復活には時間がかかるとほざいてはいたが、とっくの昔に準備は完了していたのだ。にも関わらず、私は君を殺そうとはしなかった。理解できるかな?」
そうか、そもそも格が違いすぎるのだ。
人としての器があるとすれば、同じ魂であっても月とすっぽんぐらいに、大きさも硬さも強さもまるで歯が立たない。獲物を手の内で転がし遊ぶ捕食者を想像する。
だが……それは違うのだ。
「……理解、それはお前が俺に質問しているのか?それとも、お前自身が分かっていないから訊ねたのか?自分の中に湧いた感覚が何なのか、お前は分かっちゃいないんだろ?」
「何だと?」
声は胸の中で疑問を口にした。
俺は確信する。
偉そうな口調であっても、上からの態度を取っていても、奴には悪意がない。それに慣れてしまっているだけなのだ。そして何よりも大切な事が一つ。
奴は自分のことを、分かっていないのだ。
「さっき言ったろ、精神が腐っているって。別に悪いことじゃないんだ。ちょっとした罪悪感が無くなることも、面倒な事を避けていく事も、誰しもが経験するし、乗り越えられる訳じゃない。それこそ聖人でもなければ不可能だろう。心が固まっていくことは珍しくないんだ。ただお前の場合、自分の固い心の内にある感情を理解してないだけなんだ」
「……回りくどいな、ならば問おう。私は何に気付かず、この空間に君と二人で漂っていると言うのかね。確かに何百年もの時を過ごせば感情が鈍くなる事は認めなくもない。しからば、感覚が麻痺した私に、何の感覚が蘇ったというのだ?」
きっと彼には考えもつかなかったのだろう。
今更になって、俺という存在に出会って初めて感じたに違いない。
伝えたところで把握されないということもあり得る。
だからこそ、俺はお前に言ってやった。
「お前は自分の夢に疲れを感じたんだよ。俺という、自分を終わらせる者と出会ってな」
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