第35話 賢者の大きな勘違い

 


 ……子供の頃、世界一周をしたいと思った。


 色んな景色を見てみたい。

 色んな不思議を見てみたい。

 

 けれどもどうやら、一周だけでは世界を見通せないみたいだと理解した。

 旅行に必要なお金も時間も、自分には足りなすぎることも理解した。

 

 それでとても悲しい気分になったけど、できる限り挑戦しようと決心し、10歳で初めて街の外を見て回った。

 

 知らない人、知らない風景、知らない建物、知らない文化……凄く楽しかった。

 たった数日のことだったけれど、あのワクワクを忘れたことはないし、いつかもう一度行こうと誓っていた。

 例え何年かかっても良い、けれどもっと世界を周ってみたい。

 狂おしいほどに届かない夢だとしても、世界全てを自分の中に留めておきたい。


 カレはいつか、世界を深く愛していた。




 そんな望みをいつの間にか歪めてしまったのも、この世界だというのに。













「魔王といえば、狂気の存在だ」






 ……俺が死に戻りを繰り返す中で、勇者は暴走したことがある。

 その姿はまさに、魔王に憑依されたときと同じであった。

 最初は賢者が魔法で勇者を操ったのだと思っていた。

 けれど、違ったんだ。


「勇者に魔王の魔力が残っていた。もちろん僅かばかりの量だろうけど」


 可能性があるとすれば、これしかない。

 俺と勇者は……魔王の魔力が染み付いている。

 それは巨悪の原動力とも言うべき代物、吸い込めば悪影響が出るのは当たり前だ。


「魔力は魔王の意思で作られていたと言ってたけれど……魔王が最後に考えてたことは『勇者パーティーを殲滅する』ということ。もしその魔力が、魔王復活の機会を狙っていたとしたら……勇者の隙を突いて暴れ出そうとする」


 だが魔力の大半は俺の身体にあり、迂闊に動くことはできなかった。

 そもそも魔王の意思があるからと言っても、魔王本人であるとは限らない。

 巨大なコンピューターをバラバラにすれば、残るのは単純な仕組みで動くcpuだけ。

 判断の基準となる理性も、高度な思考も持たない、ただのプログラム。


 まさに魔王から溢れたウイルス、といった表現がピッタリだろう。


「だから勇者は中途半端に暴走したんじゃないか?理性は中途半端に消失、身体は異常暴走、しかも其処から魔王の意識を感じ取ることはできなかった」


 ウイルスによる発症の原因となったのは、おそらく感情の昂り。

 これは普通の病気だって言えることで、過剰なストレスを与えられた人間は脆(もろ)いモノだ。

 嫌な例えだが、鬱病や自傷行為、挙句に自ら命を絶つことだってある。

 それは鋼のメンタルを持つ、勇者だってそうだろう。


 心が弱ったときこそ悪人に付け込まれるとは言うが、大悪党である魔王がその好機を逃す筈がない。そもそも勇者の目の前で戦士が死んだことすら、魔王の策略の内だったのかもしれない。


 だからこそ、勇者は目の前で仲間が死んだ直後に狂化した。



 戦士が死んだことについては考えなくとも良いだろう。

 賢者による妨害か、魔王が扉の取っ手に細工でもしたのか、魔王の魔力がそうさせたのか。

 犯人の目星がつけられないが、どれも十分にあり得るだろう。いずれにせよ、戦士は扉を開けようとした時点で死ぬ定めにあったのだ。過ぎたことではあるものの、非常に可哀想である。


 勇者に魔王の禍々しい魔力があったら、射手や戦士が気付くのでは?


 そんな疑問も浮かんだが、答えはNoだ。

 理由と言われれば「俺がいる」からで十分だろう。


 勇者らに初見で魔王と疑われるほど、俺からは凶悪な雰囲気が醸し出されていた。そんな毒煙を撒き散らす俺がいる中、体内に潜伏した微量な魔力など気にしてはいけないだろう。例え違和感を感じたとしても、俺が近くにいるせいで少しばかり吸い込んでしまったと思うだけだ。


「……で、ここから考えると、俺の中にも魔王の魔力が潜伏している。魔法陣に吸収されてバラバラになったとは言え、勇者ですらあの狂い様なんだ。魔王の魔力が殆ど詰まった俺も時間の問題」


 賢者の言っていた、時間がないという言葉の意味がようやく理解できた。

 むしろこれまで「俺」でいられたことが奇跡のようだ。きっと何度も死んでは時間が巻き戻されるという処置のお陰で、魔力が不安定だったせいだろう。けれども時間切れに近い。今になってやっと、魔王が自分の身体を包み込んでいく感覚を味わう。「今日の自分が明日も存在するという証明はできない」。そんな哲学的な言葉にゾッとしたことはあるけど、その逆を証明できてしまう方が一層恐ろしいとは今まで気付かなかった。



「魔王は、もうすぐ表に出てきて、俺の身体を支配する。それを防ぐには………」





 一時的な解決する方法の一つに、俺を魔王ごと封印するということがある。

 けれど、魔王が封印したくらいで終わりとは思えない。いつか俺の意識を完全に消し去り、復活しようと企むだろう。かといって普通に俺を殺しただけでは、魔王が身体を支配するだけで意味がない。だったら根本的に排除するしかない。


 俺の意識っていうのは、魔王の魔力があるから存在している。

 つまり魔王の魂を、俺が乗っ取っているという訳だ。

 一心同体と言うつもりはないが、俺がいる限り魔王も存在するという意味ではそう解釈もできるだろう。






 だったら魔王を完全に殺すには………






「これで、私が言った自害の意味が理解できたかしら?」





 俺ごと魂を奪ってしまえば良い。






「ああ、けど……」



「……命はね」


 賢者が静かに語り出す。

 母親が子供に諭すような声で、優しく話す。


「……人になくてはならないものなのよ」


「何の話だ?」


「黙って聞きなさい……命は大切なもの。だから人は奪い奪われてを繰り返して生きてる」


 彼女は俺の胸にソッと手を添える。

 その温かな感触が服の上からでも伝わり、俺の心臓の鼓動が高まった。


「この胸が脈を打ち続ける間、人は生きようとしているの。 それは死んだ後も変わらない」


「死ねば終わりだろ?」


「いいえ、貴方が言ってた通り、この世界は輪廻で動いている。魂は何度も生まれ変わり、何度も終わって、それでも生きたいから転生する。そうやって生と死をループしながら、命は動き続けるの」


「……そうか」


「だから、自分の命を絶つということはタブーよ……決してあってはならない。それは命が動き続けることを止めるということ……ループが終わって、次の生が永遠にこないことなのよ」


「なるほどな」


「そして、自害して止まった命は……どうして動くというのかしら」



 そのことを受け入れて、彼女は俺に自害を望んでいる。

 自分たちのために、この世界のために、俺が生を手放すことを。

 本当ならそれが正しいのだろう。


 俺は魔王の前世である。

 つまり既に自分の人生を全うしているはずなのだ。記憶こそはないが、過去の……本当の俺はきっと、正しい今日を過ごしている。布団の中で眠りにつき、目を覚ませば朝がやってくる。魔王となって勇者と対峙することもなく、自分なりに日々を過ごして死んでいったのだろう。そんな人間が二度目の生を与えられることは異常であるのだ。だったら大人しく世界に貢献する方が良いだろう。


 だが……











「……フフ」



 俺は笑みをこぼした。

 賢者が俺を睨み、触れていた胸を強く押す。強く、と言っても少しよろめく程度だが。

 そうして眉間にシワをよせ、彼女は俺を怪訝そうに見た。


「何かしら?私の話に笑うところはなかったと思うのだけれど」


「いや、ごめんな。君は……すごく優しい人なんだって分かったからさ」


「……自害しろって命令している人間をそう思うなんて、頭がイかれてるのかしら」


「いや十分優しいよ……それに」









 そう、彼女は俺が知っている中で一番優しい人だ。

 理由を教えてあげるのも良いけれど、その前に一つ誤解を解いてあげよう。

 本当は賢者が語り出してすぐに気付いたのですぐに指摘してあげるべきだった。





 賢者は盛大に勘違いしている。









「魔王を倒すために、俺が死ぬ必要なんてないんだ」
















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