第36話 魔王と最後の絶対難問
不快と嫌悪が脳内で渦を巻いている。
余りにひどい、という感想が言葉にしなくとも伝わってきた。
阿呆も極めればこれ程までに怒りを燃え上がらせるものなのか。まるでティーパーティーで酒を頼んだ人を見るような呆れと苛立ちと、むしろ悲愴を感じたような目で、彼女は俺を見た。そこに俺は、虫ケラ以下としか認識されていないのだろう。
「……私が今まで、何を言ってきたのか分かっているのかしら」
もちろんだ、と返答する。すると彼女はより深く眉間にシワを作る。
そんな少女にあるまじき表情は、俺への評価がドン底に落ちるのを感じさせた。きっと俺を雑草より生きる価値のない生物と思っているのだろう。
彼女の口は優しさ溢れる口調から一転、冷徹で淡々とした語りへと変わっていった。
「私は、貴方が話を理解していると思っていたわ。完全にではないにしろ、自分の状況がわかる程度にはね。けれどそんな妄言を吐くってことは……魔王以上の愚か者ってことよね」
何だと……妄言?
俺が自害しなくていいことが、詭弁だっていうのか?
そんなことはないと強く反発したい。だが、今のところ俺は信用を失いかけており、このまま俺がこの流れを止めないと、拷問による強制自殺をさせられてしまう。まずは彼女を納得させなくては。
「賢者、俺が愚か者かどうかは後にしてさ、まずは話を聞いてくれ」
「分かったわ、まずは目を瞑って膝をつきなさい。そして遺言を残すといいかしら」
「落ち着けって。俺は絵空事を言った訳じゃないんだ。死にたくないから現実逃避した、ってことでもない。そう、まずは理由を聞くんだ」
「どうせ得意の科学で解明したとか言うんでしょ?そんなの信じられないわ」
科学が得意?一体何をどう勘違いしたんだろうか。けれども彼女はもう理解させることを諦めたらしく、杖を握る手に力が籠ってきている。このままだと論理を説明する暇すら与えてくれなさそうだ。
彼女の言いたいことは察しがつく。大まか天才の賢者である私が思いつかないような解決策を、一般人の貴方ごときが考え付くはずもないでしょ、みたいなことだろう。例えるならば教師が解けない難問を生徒が容易く答えてしまう、そんな状況と今のコレは同一なのだろう。俺からしてみればそれは偏見であるし、賢者自身がそういう生徒だと思うのだが、聞き入れてくれる気は毛頭ないようだ。ならば別視点から攻めるしかない。俺は首をすくめ、手上げのポーズを取る。
「賢者、お前の言い分は分かった。説得は諦めよう」
押してもダメなら引くしかない。批判的な立場を崩すのには、味方であると理解させればいい。
「そうだな……ところで話は変わるけど、俺は君に感謝したいんだ」
ハアッと溜め息をつく賢者。俺に対する感情が一周して、可哀想となったらしい。そして相変わらずのジト目のまま俺を哀れむように眺めた。
「貴方には残念だろうけれど、泣き言は聞かないわ。選択を受け入れなさい」
「コレは純粋な気持ちだよ。俺がここまで来れたのも、君が頑張ってくれたからだ」
「おだてても、貴方の運命は変わらないの」
「 ただ君に言いたいことがあるだけなんだ」
「最後の言葉くらいなら、聞いてあげるけれど」
「今まで、ありがとう」
目の前にいる可憐な少女。
俺は礼を言うとと共に、その小さな身体を抱きしめた。
フワリと虹色の髪がなびき、果実のような甘い香りが漂う。細く柔らかい感触を腕の中に感じる。俺を疑っていた彼女は抵抗することもなくストンと俺に身を委ねた。そして体温が混ざり合い、呼吸が重なり合うのを感じる。心臓の鼓動が伝わってくる。口をポカンと開けていた賢者だが、数秒後に目を見開き、顔を真っ赤にした。
「…………ッ!!!」
「君の優しさがあったから、俺は諦めずに前へ進めた。これが俺にできる、精一杯の表現だ」
「………ッ!!…………ッ!!」
「ギザな野郎と思ってるかもしれないけど、俺だって恥ずかしいんだ。けど、君に理解してもらうにはコレしか思いつかなくてね」
「は、放すかしら!!」
「例えば君の殺し方。それまで俺は斬殺や射殺みたいに、痛みを伴いながら死んでいった。けれど君は、俺が苦しまなくてもいいように、眠りに落ちるみたいな感覚で意識を奪っていった。君のおかげで、死という絶望に囚われてた俺は平常心を保っていられたんだ」
けれどその事実を伝えられない限り、俺は彼女を冷酷な殺人鬼と思い込み、今この瞬間もその第一印象から抜け出せずにいたはずだ。あれも彼女なりの優しさだったんだろう。それでいて俺の前で悪役を演じることで、心の距離感を作っていた。最後まで恨みを買うことで、俺が俺自身を憎み葛藤することがないように。だが余りにも死に過ぎたことで、「殺される」ことは大して意味がなく、「なぜ、どうやって殺されたか」の方を常に考えていた俺には理解できた。それに本来、このタイムリープも拷問をすればすぐに終わるはずなのだ。けれど、彼女は俺の意志を尊重して待ってくれた。
この胸の中にいる賢者が、聖人に見えるだって当然のことである。
「君は誰よりも優しい。俺は……もう君を直視できない」
「分かったわ、だから腕を開きなさい!!」
赤くなった顔を更に紅潮させ、賢者が必死に俺を押しのけようとする。そんなかよわい小動物みたいな仕草をされると、色々と抑えきれなくなりそうだ。悲しいことに筋力は俺の方が勝っており、しかも慈愛の塊とも言うべき賢者は、俺が傷つくことを避けてか魔法を使わないようだ。恋人でもない男子の抱擁にここまで可愛い姿を曝け出してくれるとは……何てゲームのヒロインだ?いや、天使か。
……なんて調子に乗ってる場合じゃなくて。
そろそろ潮時か。
俺が抱きついたのは、当然だが色情のせいではない。虹色の髪を持つ美少女を多少魅力的だとは思うが、目的は別にある。というか昨日まで頭脳は高校生、身体はチェリーボーイな俺に、女子を抱き締めるほどの勇気はない。それを振り絞って恥ずかしい行為に及んだのだが……報酬は得られた。
「……それじゃあ、俺の話を聞いてくれるか?」
賢者はめいいっぱいの声を上げ、それに答えた。
「聞いてあげるからーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
……ゼイゼイと荒い息をあげて、賢者は俺を見る。
彼女の、ここまでの焦り顏は一度も見たことがなかった。瞳がグルグルと渦を巻くのは現実にあるんだなあ、なんて感心してしまった。
「……それで、話って何なの?」
ここで「好きだと告白する」という選択肢が思いつくが、今はより賢者を困らせるだけだ。俺の話を受け入れられるように少し気持ちを整理させる、それがこの「軽い」ハグの意味である。実際にこれ程の効果をあげることは想像もせず、3秒で十分だと考えていた上に彼女が余りに嫌がるのならすぐにでも離そうと思っていたのだ。けれども、賢者の抵抗しているようで力の抜けた攻撃に、つい魔がさしてしまった。結果オーライではあるが、反省しておこう。さて、もうそろそろ本題に入らなければ。
「君は確か、魔法の一つに「俺の脳内を覗き見る」ものがあるって言ったね」
そう、アレは俺が勇者と決闘をする直前、賢者が死に戻りの理由を説明しろと言ってきたときのことだ。確か魔法で相手の脳内を見ることは、時間を巻き戻すより簡単なことだ……みたいな台詞だったと思う。
賢者、お前はそう言っていたよな?合ってるよな?
「……貴方のピンク色な脳内は見たくないかしら」
あらぬ誤解に心を痛める。
……まあ否定するにも時間がないし、今はそれで良いや。
やはり、そういう魔法はあるらしい。だったら話はすぐにオチが付く。
「それって………俺もかけることはできないのか?」
「私の頭脳には何人たりとも触れさせないわ」
「……いや、そうじゃないんだ。俺が言いたいのはつまり……」
言い換えれば、ソレは真理になるんだと思う。
何万年もの間、万人が一生を賭けて挑み続けた答え。
途中で狂気に駆られる才人も、無我の境地に達する覚者もいた。
そうして、俺もどうやらずっと悩んでいたらしい。
成る程、俺が何度も死に続けるに値する難問である。
けれど、魔王(アイツ)はその答えを得るために、数百年抗ってきたのだ。
俺がここで、決着をつけてやる。
「俺が言いたいのはつまり………
自分の正体と向き合う
それは「自分が何者か」を理解することに繋がる。
多くの哲学者が悩み抜いたであろう史上最強の難問を、俺はぶち破る必要がある。
「……自分の命を自分のものと認識していないからこそ、そういう発想がでるのかしらね……」
賢者がボソッと呟く。表情は一変して曇り、頰から温かさが失われる。
その僅かな言葉は、深く哀愁の念が込められていた。
そんなこと分かっている。俺が俺(マオウ)でないからこそ、俺が俺でありたいからこそ、彼女に訪ねたのだ。けれど予想していた通り、俺の問いは愚問であったと知る。
「……もし、それができたとしても……今度は失敗が許されないかしら」
「そりゃそうだ。俺がアイツを見てるってことは、逆にアイツも俺を見てるってことだからな。俺に付け入る、絶好の機会をあげているとも取れる。けど、だからこそ、俺はアイツと直接会うことができる」
「その直接というのが危ないの……彼は常に貴方を消し去ろうとしているのだから、気を抜けば一瞬で自我を奪われるわよ。そしたら……」
「お前は俺を救えない、って?逆だよ、もう十分に救ってもらった。今度は俺が一人で立ち向かう番だ」
「貴方は、最悪の存在と一人で勝負しようというのかしら。何の能力もない貴方が」
「ああ、俺は勇敢でもないし、戦力にもならない。射幸しようにも運がなく、賢人なわけでもない。だから勇者パーティーに勝てることなんて何一つない」
「だったら……私が」
「けど、勝ちはしないけど負けるとも言ってない」
勇猛果敢に悪戦苦闘、それでも最後は射石飲羽。
自害か勝負かを選べるのなら、全てを出しきって終わりたい。そもそも「諦める」なんて文字は俺の単語帳にないし、「敗北」なんて覚える意味すらないと破り捨てた。
「ハァ……そんな自信はどこから来るのかしら」
「そんなもん、決まってんだろ。俺自身だ」
「……けど」
賢者の気持ちは分かる。失敗すれば魔王が蘇り、下手すれば俺は消滅すら許されずにもがき続けるだろう。異世界の知識の手掛かりとなる俺の記憶を、消すには惜しいと思われる可能性があるからだ。なんにせよ、自害するよりも何倍も苦しむ羽目になるだろう。
だが、そんな屁理屈なら幾らでもコネられる。嫌な予想なんて数え切れないくらい立つ。それでも、死ぬことよりは怖くない。生きている限り諦めない、そう決めた俺に迷いなどある筈もなかった。この想いを、たった一言で納得のしない賢者に気付かせる。
「俺を信じろ」
俺は常に最善の道を歩いてみせる。
そう言いきってみせると、賢者はしばらく沈黙し、ためらう素振りを見せ、それでも最後は顔を上げた。
「……しょうがないのだけれども、貴方の質問に答えてあげる」
その瞳は、悲哀と愛情に満ちていた。
「答えは……貴方の想像通りよ」
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