第05話 注射器
誰かに揺り起こされ、俺は目覚めた。
あたりは薄暗く、橙色の明かりが照らしていた。
――そう、光があったんだよ。
光は、赤く燃えさかる
その松明の持ち主は、長いひげの生えた年の頃三十ぐらいの男だった。
「ここはどこだ」と問うと男は「知らない」と答えた。だがそのすぐ後に「地球でないことは確かだ」と付け加えた。
「あんたは誰だ。なぜ俺はここにいる。どうして服を着ていないんだ」
と矢継ぎ早に尋ねると、
「落ち着け。順を追って話してやる。その前に、腹は減っていないか?」
古代民族的な首飾りを男は付けていたのだが、それは正確には首飾りではなく、干した魚の肉だった。正直なところ、欲しくはなかった。俺はここに来たばかりで気が動転していたし、素性も知らない人間から何かを受け取る気はしなかった。それに干物もなんだか汚らしい感じがした。
それでも、魚肉を目の前に突き出されると途方もない空腹が襲ってきて、俺はたまらずかじりついた。自覚はなかったが何時間も食事を口にしていなかったようなのだ。魚は美味かった。あっさりしていて、川魚のようだった。
「俺は、
「俺も同じサラリーマンです」
次いで俺は野萩に自己紹介した。それは稲穂くんに言ったのとほとんど同じセリフだったよ。
「二番目と三番目の質問に答えてやろう。なぜここにいるか。そしてなぜ服を着ていないか」
野萩の顔から一切の柔らかさがなくなった。それは目立ちはしないもののずっと彼の顔に宿っていたもので、それが急に
「俺たちは連れてこられたんだ。何者かによってな。そいつらが服を剥ぎ取った。だから俺たちは服を着ていない」
「誰が、どういった目的で?」
俺は男の下半身に目を向けた。そこは裸ではなく、植物の繊維でできた腰巻きが覆っていた。
「これか? これはな、松明に使っている木――イチイだと思うが――の表面から剥ぎ取ったんだ。裸でいるよりはいくらか心地が良い。それになにより人間として最低限の尊厳を保っていられる――――それで、その『誰が』と『目的』についてだが」
野萩はじろりと俺を見た。
「それを話すにはまず、信憑性ってものを得る必要がある――
「話ならさっき――」
「ここに来るまでの最後の記憶を話せ」
「最後の記憶……」
記憶をたどった。長い時間、野萩を待たせた。野萩は待った。そして俺は思い出した。
「女……女といた。飲み屋の女だ」
全部を思い出した。俺は体の震えを抑えきれなかった。息は荒くなり、心音はバクバクと高鳴った。
「話せ」
ソフトウェアの開発で、俺は北九州市に
その女と出会ったのは今から少し前のことだ。女は臨時雇用で来ていたんだ。まだ二十歳になったばかりで、場末のスナックには似つかわしくないほど華やかな顔立ちをしていた。女が俺に気のある素振りを見せてきたのは、思えば出会った当初からだ。
女はひたすらに話を聞いてくれた。巧みな話術でなんでも聞き出して、俺の
女から電話が掛かってきたのはそれから一週間くらい後のことだ。俺たちは連絡先を交換していたのだ。
『助けて。彼氏に殺される』
深夜三時。かろうじて電話を取った俺の眠気は霧散した。
『どこにいる!?』
女は福岡の住所を告げた。俺は着替えてタクシーを拾い、駆けつけた。安アパートがあった。トタンばりの壁、古い木のドア。表札を一軒一軒たどり、目当ての部屋にたどり着いた。
鍵はかかっていなかった。
部屋に入った。すぐに居間だった。明かりがついていた。無人と思われた。ふと何者かが俺の両腕をつかんだ。
半狂乱になったが、それが女だと気がつくのに時間はかからなかった。
『来てくれてありがとう』
女は笑った。俺も笑った。違和感に気付いたのは、俺の笑みが安堵の表現であるのに対し、女からは嘲りのニュアンスが感じられたからだ。
『君の彼氏は?』
女は答えなかった。答える必要はなかった。なんせ目の前にいる話し相手が床に沈み込んでしまったのだから。
両足に力を入れてみたが無駄だった。全身の筋肉という筋肉が
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