第十七話
流唯と妃花留は非常階段を下り、地上に降りて中庭を抜け正門へ向かう事にした。通路を行って挟み撃ちにされてしまうよりは、中庭を行った方が四方八方に逃げる事が出来るだろうとの考えからだった。階段を音が響かないようにゆっくりゆっくり下っていく。
「大丈夫、大丈夫。お化け屋敷みたいなものよ」
「何それ〜。朱璃先生?」
流唯は人の声真似をするのが得意だ。自分の手をギュッと力強く握ってきているので私が緊張していると思い、リラックスさせるため先生の声真似をしながらそう言ったのだろう。私が流唯の方を見ると得意気に笑っていた。
「ちょっと~笑わせないでよ。声だしちゃダメって言われたでしょ」
私も朱璃先生っぽい口調で言い返した。しかし、流唯は『まだまだ甘いな』とでも思ったのだろう。軽く笑うと人差し指を立て、もう片方の手で人差し指と親指で輪っかを作り、『10点』と、言ってきた。流唯ほど上手く声真似が出来る訳ないでしょと思い睨み付ける。
「おー怖っ!初めて会った時のパクさんみたいな顔!」
そんなこんなしていると地上が見えてきて、最後の階段を下りきり、取り敢えず無事に地上に降りる事が出来たと流唯と目を合わせ安堵の表情を浮かべた。
その時、ふと階段の影の方に視線がいってしまった。何の意識もせずにそちらに視線を向けてしまった。そこに踞っていた男と目が合ってしまった。目が合った瞬間、全身を鳥肌が駆け巡った。
死んだ魚のような目をしていた男は次の瞬間、目に精気が入ったような輝きを示し、こちらに飛びかかって来た。
私は流唯を突き飛ばすと襲い掛かって来る男を押し返そうとするが、当然女性の力では坑えるはずもなくその場に押し倒されてしまった。
覆い被さってこようとする男を、腕と足をバタつかせ追い払おうと必死の抵抗をする。突き飛ばされた流唯は一瞬何が起きたか分からないような表情を浮かべたが、異変を感じ取ってくれ、近くにあった棒を拾い男に殴りかかった。
しかし、男は流唯に何度殴られても微動だにすることなく、こちらへの襲撃を止める気配はなかった。
「流唯!水よ、水!」
私にそう言われ、『はっ!』としリュックからペットボトルを取り出すと男に投げつけた。ペットボトルは男にぶつかって点々と転がる。男は一瞬、ペットボトルの方に視線を逸らしたが再び襲い掛かって来る。
腕を伸ばし転がるペットボトルを拾い上げると、フタを開け強く握り中の水を顔に吹き付けてやった。
そこでようやく手を離し顔についた水を手のひらで拭う。そして、濡れた手のひらを夢中で舐め始めた。
「うげーっ!気持ち悪っ!」
人が普段する事がない不気味な動作に不快の表情を浮かべる。流唯も不気味な光景に不安になったのだろう後ろから抱きついてきた。
「ありがとう。私を守るために突き飛ばしてくれたんでしょ」
「もー!流唯はー!フタ閉めたままペットボトル投げつけたって意味無いでしょ」
「ごめん、ごめん。急だったから、、つい」
まったく!肝心な時に天然を発揮してくれる、、。でも何もなかったから本当に良かった。私は頭や服についた砂埃を払いながら立ち上がる。
「早速、水使っちゃったね」
水の減ったペットボトルを見ながら言った。
「大丈夫だよ。水ならいつでも補充出来るし」
そう言って近くにあった水道の蛇口を無意識で捻ってしまった。
「ちょ、ちょっと!それ、ヤバくない!?」
流唯が蛇口を捻るのを咎めてきたが、一瞬何を言っているのか意味が分からなかった。その場に水が打ち付けられる音が鳴り響く、、。次の瞬間物陰からわらわら感染者達が這い出てきた。
「嘘でしょ、、」
周りはあっという間に感染者達で覆い尽くされてしまった。人とは思えない不気味な動きに恐怖を感じ悲鳴を上げそうになるが、朱璃先生に言われた言葉を思い出しグッと堪える。
悲鳴を上げてしまえば此方に注意を向けてしまうかもしれない。流唯も口を抑えながら私に抱きついてきた。私はその手に手を重た。一人じゃなくて本当に良かった。お互いの存在を心強く思う。
「大丈夫。狙いは水のはずだから、ゆっくりこの場から離れましょ」
目を合わせないように注意しながら、ゆっくりゆっくり後ずさりする。感染者達は今までと同じく、水の場所を確認すると急に俊敏になり蛇口の方に駆け出した。
私達二人は目を伏せるように頭を抱え縮こまる。何人か私達の体にぶつかりつまずく者は出たが、集団を無事やり過ごすとゆっくり立ち上がり、奴らの動きに注視しながら後ずさりして行く、、。
蛇口に向かって我先に群がりだした感染者達は、前にいるものを突き飛ばしたり、飛びかかったりの取っ組み合いが始まりだし、次から次から増えて重なっていく、、。
「いやー、もう、マジ無理。エサ場に群がるハイエナかよ!」
流唯のことを『天然なんだから』と、嘲笑ったところだったのに自分も天然を発揮してしまった。日常の何気ない動作で蛇口を捻ってしまった。それがいけないという事がすっかり頭から消えてしまっていた。
「ちょっと、妃花留!水出しちゃダメでしょ」
周りに感染者がいないことを確認してからキツめにそう言われた。
「ごめんなさい、、」
その指摘にぐうの音も出なかった。
自分のうかつな行動で招いてしまったピンチに背筋の凍る思いをしてしまった。流唯にも申し訳ない事をしてしまった。自責の念が込み上げてくる、、。
私達はそのままゆっくりゆっくり後ずさりしていると、何かにぶつかり転倒してしまった。転倒した原因は階段の下にいた先程の男のせいだった。
男が腕を振り上げる、、。
先ほど襲われた時の恐怖感が蘇り、体が強張ってしまい思うように動いてくれない。『駄目だ、やられる』と、思った次の瞬間、、男は私達には目もくれず腕を振り上げたまま蛇口の方に向かって走って行った、、。
「はぁー、、」
「もう無理なんですけど、、」
まだ出発して間もないというのに、二人共もう既にクタクタになってしまった。『正門まで行きます』と、カッコつけて言った事を後悔する。
こんな状態で無事に正門まで行けるのだろうか?だからといって今さら後戻りも出来ないので、覚悟を決めお互いに身を寄せ合いながらゆっくり歩を進ませる。
蛇口に感染者達が群がっているお陰で、この周辺には人の気配は感じられない。今のうちにここを抜けてしまおう。
「結果良かったんじゃない」
私がそう言うと調子に乗るなという意味なのだろう。流唯が小突いてきた。
しばらく行くと岡島さんの姿が見えた。岡島さんは器用にロープを使い柴村さんと野間さんを二階に引き上げる。
二人は反対側の棟にロープを渡すと滑車を使いあっという間に渡っていった。岡島さんは無事に渡った二人を見送ると、軽くガッツポーズをし笑みを浮かべる。そこで私達に気付き幾分驚きの表情を見せたあと、こちらにグッドのポーズをして来た。
私達も無事を祈ってグッドのポーズを返す。軽く頷くと建物の中へと駆け出して行った。
岡島さん達の行動に勇気をもらい、私達も一気に中庭を抜け建物の前に到達した。この先の通路を抜けると、パクさんに襲われたエントランスに抜けることが出来る。そこから外に出れば正門は目の前だ。
しかし、パクさんに襲われた時の恐怖が甦ってきて、なかなか中に入る扉を開けることが出来ない。扉越しに中の様子を伺う、、。
「何も聞こえないわね。行くよ?」
流唯の問い掛けに私は軽く頷いた。
覚悟を決めゆっくりゆっくり様子を伺いながら扉を少しずつ開ける。中からヒンヤリした空気が流れてきて全身に震えが走った。
ヒンヤリした空気により恐怖心が煽られ身体が縮こまる。覚悟を決めたはずなのに身体が硬直し動かなくなってしまう。通路の明かりも先ほどより幾分暗いような気がし、恐怖心を煽ってくる。その時、白いものが飛び出てきた、、。
「!!」
「ふ、風船!」
白い風船が飛び出てきて目の前を点々と転がっていく、、。
「誰だよ、、こんなところに風船置いたの!?しかも白って、、」
流唯が怒りの声を上げる。
もし目の前に『自分が風船を置きました』と、名乗り出る者がいたら、殴らずに我慢出来るか保証できない程の怒りが込み上げてくる。
現在のこの状況では冗談でしたでは済まされない悪戯になるだろう。本当に心臓が止まりかけた。まだ鳥肌が引いてくれない。まだ腰砕けになりその場にへたり込んでしまっていて立ち上がる事が出来ない。
「妃花留大丈夫?」
私の絵に描いたような見事な腰砕けっぷりに、流唯は怒りが収まったのか笑いを堪えながらそう声を掛けてきた。
私は頬を赤らめながら軽く手を上げそれに答えると、締まりのない顔をしたまま立ち上がる。せっかく岡島さんに勇気を貰ったというのに出鼻を挫かれた気分だ。
皆頑張っているのに、私ってホント、、ダサい、、そんな思いが込み上げてきてこのままではいけないと思い両手で顔を叩き気合いを入れた。
「よし、行くよ!」
と言って中に飛び込んだ。
視線を奥の方まで走らせるが、人の気配は感じられない。一気に通路を突き抜けるつもりだったが、両脇に幾つも並ぶ扉から言い知れぬ恐怖を感じ、気後れしてしまいなかなか歩を進ませる事が出来ない。
いつ感染者が扉から飛び出てくるか分からないとの恐怖心に煽られ尻込みしてしまう。再びお互いに身を寄せ合うと覚悟を決め、ジリジリゆっくりと進んで行く。
流唯がいてくれて本当に良かったと思う。自分一人ではとても進めなかっただろう。朱璃先生だったらサクサク進んでいたのだろうか?あの性格だからきっとサクサク進んでいたに違いない。私の方が適任だとか言ってしまった自分を恥ずかしく思う。
一つ目の扉を過ぎ、二つ目の扉を過ぎる。ここまでは特に何もない。幾分落ち着いてきて進む歩が早くなる。三つ目の扉を過ぎようとしたとき右側の扉がゆっくりと開いてきた。感染者が飛び出して来た時のために流唯はペットボトルを取り出す。私は後方に逃げても問題ないか振り向き逃げ道を確認する。
しばらく様子を見ていたが何も変化が起こらないようなので、ゆっくり様子を見ながら歩を進ませる。扉は一人で開いてしまっただけなのだろうか?ゆっくり進み、前まで来ると中を覗き込んだ。覗いてから覗かないで一気に通り過ぎてしまえば良かったと思った。
中には死んだ魚のような目をした感染者が座り込んでいたのだ。そして、今までの者達と同じように目が合った瞬間、目の中に光が点り此方に襲い掛かってきた。
その時、急に大きな爆発音が辺りに響き渡った。その爆発音に感染者の目線が逸れ、注意がそれた。その隙をついて私は勢いよく扉を閉めると流唯の手を引きエントランスに向かって走り出した。
エントランスに出ると壁に背を付け通路側の様子を伺う。幸い感染者は追いかけて来てはいないようだ。ホッと胸を撫で下ろす。
そこで耳がキーンとなっていることを認識し顔をしかめる。この耳鳴りは先程の大きな爆発音のせいなのだろうか?私達が元いた場所の方から聞こえてきた。何が起こったというのだろうか?朱璃先生達は無事なのだろうか?
しばらく耳を押さえていると籠ったような耳鳴りのような感じは落ち着いてきたので、『先に進もう』と声をかける。
皆はきっと大丈夫。むしろ一番ヤバイのは私達の方。皆に良い報告を持って帰るために私達の今やらなくてはいけないことは先に進む事。
『ギュッ』と、流唯の手を握ると向こうも手を力強く握り返してきた。先程の爆発で電気の配線が切れてしまったのか天井の照明が次々と消えてしまっていく、、。エントランス内の電気は全て消え、窓からこぼれる明かりだけになり、薄暗い不気味な雰囲気となってしまった。
エントランスからは私達が来た通路の他に3本ほど通路が伸びているのが見える。それと階段が両脇に二つ見える。どの通路も奥の方は暗闇に包まれていて見通す事が出来ない。
奥の暗闇から急に感染者が飛び出してきたらどうしようとそんな恐怖心が襲ってくる。正面玄関は見えている。あそこまで行けば正門はすぐ目の前。覚悟を決め恐怖と戦いながら歩をエントランス中央へと進める。周囲を警戒しながら今までと同じように音を立てないようにゆっくりゆっくり進む。
今までは狭い通路だったので直ぐ脇に壁があった。壁の方からは襲ってこないとの安心感があった。壁があるだけでホッとする感じがあったが、エントランスではそれがない。四方八方を注意しなくてはならない。
恐怖心で何度も立ち止まってしまった。恐怖心と戦いながらゆっくりゆっくりと進む。あと少しあと少し。走り出したい気持ちを抑え、音をたてないよう気を付け進む。 そして、ようやく正面玄関まで無事辿り着くことが出来た。ここを抜ければ正門は目の前。はやる気持ちを抑え進む。入り込む光がどんどん強くなる。正面扉に手を掛け開き外へと飛び出た。全身に暖かい光が差し込む。ようやくここまで来れた。嬉しい気持ちを共有したく流唯の表情を伺う。きっと流唯も嬉しい気持ちを爆発させているだろうと思っていた。
「こんなことってあり!?」
しかし、流唯は目を見開き絶句していた。全く予想外の反応を不思議に思いながら視線の先に私も目を向ける。そこには絶望の光景が広がっていた。正門には無数の感染者達が群がっていたのだ。
「冗談でしょ、、あれだけ苦労してここまで来たのに、、」
どうすることも出来そうのない数に、流唯が絶望の声を上げガックリと肩をうなだれさせる。
感染者は水や音に反応する。それはきっと本能からくるものなのだろう。本能はあるので、本能でこの正門を越えると自由になれると感じ、ここに集まっているのかもしれない。扉に飛びついたり、体当たりしたりして正門を越えようとしている。
正門の開閉は電子制御になっているが、電子制御を解除し手動で開閉する方法は聞いてきた。しかし、この状態で扉を開けてしまっては感染者達は村に飛び出て行ってしまうだろう。開けることは出来ないだろう。今持っているだけの水の量では全ての人数の意識を反らすことは無理だろう。私達は仕方なく来た道を引き返えさざるを得なかった。
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