第15話 襲い来る感染者

「きゃーっ!せんせー、せんせーー!!」


「声出しちゃダメ」


 私は思わず声を出してしまった妃花留ちゃんの口を塞ぎ、目を塞ぎゆっくり後退させる。私も感染者と目が合わないように目を伏せながら後退する。


 ドアが開きそこから一人の男がユラユラ、ヨロヨロ這い出てきた。ノアノブに手を掛けドアを開けるのではなく、四つん這いになり頭と肩でドアを押して開けてきた。


 普段、人がするような動作ではないので、気持ち悪さをより引き立たせる。無表情、焦点があってない目、感染者で間違いないだろう。所長室に緊張感が一気に広がった。


「朱璃ー、朱璃ー、水用意できてる?」


 囁くような声で問い掛ける。


「出来てるわよ」


 妃花留ちゃんを後方に回すと、朱璃からペットボトルを受け取る。先ほど薬を混ぜ込んだ水に中身を入れ替えておいたペットボトルだ。きっと私よりペットボトルの方に反応するはず。


 男は目が合うとこちらに向かって走り出した。恐怖で腰が引けるが私はペットボトルを高々と掲げ、左右に大きく振った。


 私に向かって飛び込んできた男の視線がペットボトルの方に向く、男は私ではなくペットボトルの方に飛び込んできた。


 やった!思惑通りだ。


 男は私から乱暴にペットボトルを取り上げると、勢いよく水を飲み始めた。


 成功だ!薬の混ざっている水を飲んでくれた。しばらく休ませればきっと元の優しい研究員に戻ってくれる事だろう。


 乱暴に取り上げられたので、右手に痛みを感じ顔をしかめ右手に視線を落とすと、かなりの量の出血が見られた。


 爪で引っ掻かれてしまったのだろうか?


 止血しようとした時、開け放たれてしまったドアからまた一人の男がヨロヨロと這い出て来るのが見えた。


「朱璃ー、ペットボトル!」


「あなた怪我してるじゃない!?」


 私の真っ赤に染まった腕を見た朱璃は声を上げた。


「大丈夫だから早く!」


「私がやります」


 そう言って岡島さんは私が先ほどしたようにペットボトルを高々と掲げ、左右に大きく振った。


「野間、お前はドアを閉めるんだ!」


「はい」


『ピッ』、『ピッ』、『ピッ』とまた通路の方から解除音が響き渡った。



「朱璃、手伝って」


 先ほど水を飲んだ感染者は放心状態となっていたので、また暴れると怖いので顔を布で覆って視界を塞ぐことにした。


 後頭部で縛っている間ずっと動かないでいてくれたので助かった。水を飲むとしばらくは静止した状態になるのかもしれない。


 岡島さんに水を渡された感染者も同じだった。ペットボトルの水を飲み切ったところで動かなくなったので同じく布を被せ後頭部で縛る。


「ドア閉まらんのかー?」


「閉まりませーん」


 通路に並ぶドアをロックしようとするが、此方では制御できなくなっているようだった。


 そうしている間に通路の方の部屋のドアが一つ、二つと開いていく、そこから一人、二人と感染者がヨロヨロ這い出て来る。


「野間さん、ドアはいいからこっちに逃げてきて」


 こちらに走って来た野間さんの前に立つと、ペットボトルを持ち通路の方を睨みつけた。


 白衣の影は6つ見られる。足元に視線を落とすとペットボトルは8本あった。


 大丈夫だ、足りる。


「有美さんは下がっててください、僕がやります」


 野間さんは私からペットボトルを取り上げると前に出た。


「大丈夫です。ペットボトル渡すだけですから」


「渡すだけって怪我してるじゃないですか?」


「今度はうまくやりますから」


「大丈夫なんですか?」


「大丈夫です」


「分かりました。でも無理しないでくださいよ」


 岡島さんも全く引こうとしない私の姿を見て苦笑いしていた。



「向こうは6人、一人ずつ取りに来てくれれば助かるんですけどね」


「そうですね。でも無理でしょうね。我先にって感じで向かって来るでしょうね」


「朱璃も手伝って」


「無理、無理、無理ーっ」


 流石の朱璃も尻込みしてしまっているようだ。


「じゃあ、女生徒連れて隠れてて」


「隠れるってどこに?」


「あなた先生でしょ。しっかりしなさい」


 私に凄まれ、朱璃はスゴスゴと女生徒を連れ部屋の隅に移動し始めた。


 部屋のドアから這い出ると、ゆっくり立ち上りこちらにヨロヨロと向かって来る。


「一人くらい、後の階段の方に行ってもいいのに全員こっちに来ますね」


「ホントね。なんでこっちに来るのかしら?」


「でも有美さんの言った通りでしたね。ああやって感染者を出したり、出なかったりさせていたんですね」


「当たっても嬉しくないわ」


 私でも思いついた事なので、作戦を練ってきている連中なら当然思いつく事だろう。


 でもこれでハッキリした。向こうには相当な切れ者がいる。


 二人のSPが前方に立ち、私はペットボトルをすぐ渡せるように後方に控える。


 そうこうしている間に一人が飛びかかって来た。一人、二人目までは良かったが、三人目は私達をすり抜け朱璃の方へ向かう。


 それに岡島さんが素早く反応し、下半身に飛びついた。同じくすり抜けた四人目も野間さんが後ろから飛びつき押し倒す。


「朱璃、顔出さないで、目を伏せてて!」


 思わず大声を出してしまった。感染者がこちらに向かってくる。


 私は最後に向かって来る五人目、六人目の前に仁王立ちし、両手にペットボトルを握り大きく広げ手首の力で軽く振る。


 チャプン、チャプンと、音が上がり五人目、六人目はそれに反応し左右のペットボトルにそれぞれ飛び込んできた。


「イッターっいっ!」


 また乱暴に取り上げられたので、両腕に痛みが広がり苦悶の表情を浮かべた。


 しかし痛みに苦しんでいる暇はない。取っ組み合いとなっている二人の援護へと向かう。


 下半身に飛びつき押し倒した後、床に指を立て岡島さんの体ごと引きずり朱璃の方へ向かおうとしている。


 なんて力なの!?そんなに向こうに行きたいの?朱璃は大きな目をしているから特に狙われやすいのだろうか?


「朱璃、顔出さないでってば」


 私に凄まれると慌てて顔を伏せた。


 感染者から目を離した瞬間、ドスンと鈍い音が響き渡った。振り返ると岡島さんが苦悶の表情を浮かべている。


 体勢から考えて感染者の膝が後頭部に入ったのだろう。目が虚になって意識が飛びそうになっていた。


 感染者は岡島さんの腕からすり抜けてきそうだったので慌てて駆け寄り、ペットボトルを口に無理やり押し付けた。


 私から荒っぽくペットボトルを取り上げると、水を夢中で飲み始めた。


 野間さんはどうなったのかと思い、周りを見渡す。野間さんは感染者の背中に乗り動きを封じようとしていたが、おんぶしているような状態になり立ち上がってきた。


 こいつも朱璃の方に向かって行こうとしている。


「野間さんすぐ行くからもう少し粘って」


「りょーかいでーす」


 力の籠った声を出しそう返事してくる。


 私は急いで転がっているペットボトルへ向かい走った。拾い上げ反転し野間さんの方へ向かおうとすると、二人は揉み合いになっていた。


 野間さんは体を捻ってバランスを崩させ感染者を転倒させると、班長直伝の抑え込みなのだろうか、先ほど見た班長さんの抑え込みの体勢に入った。


 と思ったが、簡単に跳ね除けられてしまっていた。


 倒れ込んだところに覆い被さってきたので組み合っていると、岡島さんが感染者の後ろから首固めをしてきた。


 それを見た野間さんは腕が動かないように上半身に抱きつき押さえ込んだ。


 私は口にペットボトルを押し付ける。ゴクゴクと水を飲み出し、どんどん抵抗する力が弱くなっていき、飲み終わったところで動かなくなった。


 そこで顔を布で覆い視界を塞いだ。



「ぷっはー。終わりましたねー」


 二人は全員を縛り上げ終わったところで、ガックリと腰を下ろしたので水を差し出した。


 当然薬の入ってない普通の水を。


「やりましたね。お疲れ様です」


「お疲れでーす」


 二人とハイタッチを交わし喜びを分かち合う。


「腕大丈夫ですか?」


 私の両腕は引っ掻き傷が酷く、みみず腫れになり真っ赤になっていた。


「名誉の負傷ってやつですかね?」


 そう言って苦笑いを浮かべると、二人は本当にお見事でしたと讃えるように拍手をしてきた。



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