第13話 抗インフルエンザ薬

「有美、少しは休んだら?」


 忙しなく動き続ける私を心配したのだろうか、朱璃がそう声をかけてきた。


「大丈夫よ」


 朱璃の心配をよそに薬品棚の抗インフルエンザ薬の在庫を確認すると、あと10人分くらいは有りそうだった。


「ちょっと朱璃、手伝って」


 所長室の棚には数種類の薬品が並び、棚の一番下に災害時用の保存食、水がセットになっているダンボール箱も貯蔵してあった。


 表面には保存期間5年と書かれていて隣に雑な字で去年の日付が書いてある。所長が着任した時に買い揃えた物なのだろう。


 私は所長に承諾をもらい棚から引っ張りだそうとするが、意外に重量があったので朱璃に助けを求めた。


 が、朱璃が助けに入る前に野間さんがそれに気付き引っ張り出してくれた。


 野間さんにお礼を言うと、ダンボール箱のフタを開ける。中は食料品の箱と水の入ったペットボトルの箱とに分かれていた。


 ペットボトルの入った箱を出そうと思い取っ手に手をかけようとしたら、、。


「それを出せば良いのですか?」


 私が持ち上げようとするのを遮り、野間さんが箱を持ち上げ外に出してくれた。


 2リットルボトルが6本入った箱をヒョイと持ち上げると、私が羨望の眼差しを向けているのを感じたのか。


 野間さんはこれくらい何ともないですよ。と照れくさそうに笑った。


「有美、水なんか引っ張り出してどうするの?」


 朱璃が不思議そうに訪ねてくる。


「彼等は水に飢えている。水に薬を混ぜとけば勝手に飲んじゃうと思わない?」


 私が得意気な笑みを浮かべてそう言うと、朱璃は人差し指を立て軽く振りながら、なるほど!とウインクしながらそう言った。


 朱璃は天然でふわっとしている印象だが急にこのような愛くるしい仕草をしてくる。

 自然な流れでサラっとしてくるので、嫌味がなく好感がもてキュンとしてしまう。

 男だったらその可愛い仕草にいちころだろう。現に野間さんは頬が赤くなったように見える。


 それを察した私は野間さんの事を拳で小突いてやった。それにビクッと反応すると冷静さを装い、取り繕うように言ってきた。


「なるほど、感染者の暴走を止められるかもしれないですね」


 早速、残ってた人達でコップ一杯分の水を10個小分けにする。


「どれくらい混ぜれば良いのですか?」


 薬を手に取り分量を野間さんが聞いてくる。


「2錠潰して入れて」


「2錠で良いのですか?」


「まあ80キロ以上の人は1回4錠が通常量になるんだけど、今回はいないと仮定して2錠でいきましょう」


 私の言っている意味がいまいち分かってないようで、野間さんはチョトンとしていた。


 私の手元にある抗インフルエンザ薬は、2錠を単回服用することで治療が終了となるタイプのお薬だった。


 なので2錠でいいと言ったのだが、野間さんは単回服用で治療終了の抗インフルエンザ薬が存在するなど知らなかったみたいだった。


「へぇー、2錠だけでいいんですかっ!」


 私は他の人にも聞こえるように少しトーンを上げ説明を付け加える。


「抗インフルエンザ薬はね、少し前までは5日間飲み続ける事によってウイルスの増殖を抑えるものが主流だったんだけど、症状が落ち着いたら5日分きちんと飲み切らずに、そこでお薬を飲むことを止めてしまう人が多かったの。そうすると体内にウイルスが残っちゃって、その残っちゃったウイルスは抗インフルエンザ薬に耐性を持つようになってしまうの」


「きっちり飲み切ってもらって、インフルエンザウイルスをやっつけてもらわないと薬に耐性を持つウイルスが出てきてしまうのね。薬が効かないウイルスが増えると厄介でしょ。だから飲み残しがないように1回飲み切りのお薬が開発されたの。それがこれ」


「ひえー!1回飲むだけで良いのですか?」


 いつの間にそんなに進歩していたのだろうと思ったのだろう。野間さんをはじめ皆んな、目を大きく見開き驚きの表情を向けてきていた。


「いったい何人が今回のインフルエンザウイルスに感染して発病しているか分からないけど、これで10人は助けられるはず」


 作業を進めながら私はしみじみと言った。


「もっと薬が豊富に有ればいいんだが」


 そのやり取りを横目に見ていた岡島さんがボソリと言った。


「薬なら地下の薬品庫に行けば、数万人分は有るんじゃないか?」


 作業を手伝いながら坂口所長がさらりとそう言った。


「数万人分だって!なんで、そんなに備蓄しているんですか?」


 坂口所長はその言葉を発した後、一斉に全員から責められる。


 なぜその事を早く言わないのか?1錠数千円もする薬をなぜそんなに備蓄出来るのか?など的確な指摘なものから、そもそもなぜこんな事になってしまっているのか?や、汗かき過ぎ、暑苦しい、臭いなど感情的な事からくるものまで色々捲し立てられた。


「皆んなでそんなに責めなくても、、」


 さんざん口撃を受けた坂口所長は耐えられなくなり顔を伏せてしまった。


「僕なんか、どうせ、臭くて暑苦しいんだ、家族にも邪険に扱われてるし」


 拗ねていじけてしまった坂口所長を見かねた朱璃が助け船を出そうとしたのだが、、。


「いや、いや、流石にデブで加齢臭がキツイは言い過ぎですよ!」


 澄んだ目でそう言ってきた。多分朱璃のことだからフォローしたつもりなのだろうが。


「いや、そこまでハッキリとは誰も言っていないし」


 冷めた目で朱璃に突っ込みを入れる。


 会った時から思っていたことが、ついつい口から出てしまったのだろうか?坂口所長は朱璃の言葉にますます陰に入ってしまった。


「えっ!どうして?」


 私に突っ込まれても朱璃は全然意味がわかってないようだった。朱璃の時々でる天然は恐ろしい。悪気が無いから更にタチが悪い。


 皆んなを冷静にさせ、坂口所長を何とか宥め着かせた私は、坂口所長を傷付けないよう言葉を選びながら話始めた。


「薬品庫になぜそんなに備蓄してあるのですか?」


「大沢先生の力が大きいかな」


 世界的な大流行を危惧し世界中で抗インフルエンザ薬の備蓄は検討されている。


 日本でも備蓄を増やすことは検討されていて、それで大量に保管されているとの事だ。


 もし万が一、世界的な大流行が起こってしまっては数万人分の備蓄でも少ないらしい。


 多分大沢先生は薬品メーカーからのキャッシュバックを期待していたからなのだろうが、大沢先生の名誉のためにもその件は黙っておくことにした。


「岡島さん。取りに行けないですかね?」


 私の表情を伺ったあと野間さんはそう言った。


「敵の動きが読めない以上は、此処を離れるのは危険だろう。もう一人隊員がいれば向かわせても良いところだが」


 そこで岡島さんは言葉に詰まった。


 班長さんと保乃が向かいの棟に向かっている以上、現在の坂口所長の護衛は岡島さんと野間さんだ。


 先程はSP二人がついていながら大沢先生を守り切れなかった。二人でも危険すぎるというのにどちらかが離れるなんて言語道断。得策とは思えない。そう思っているのだろう。


「班長達が戻って来てから動くべきだろうな。取り敢えず我々の任務は此処を死守しておくことだ」


「了解です」



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