第12話 回復した感染者
班長達が戻ったところで私は質問攻めにされた。状況を説明して欲しいのは私の方だというのに。
「班長さんが出ていった後、安全を確認しながら私達はここの片付けを始めたんです」
私は歯切れが悪いし有美は動揺して混乱状態なので、朱璃が事の詳細を説明し始めた。
朱璃は昔から何事にたいしても無頓着というか、肝が据わっているというか動じない所がある。
目の前で人が殺され、しかもその犯人が幼馴染みとあれば、誰でも有美のように心が何処かにいってしまうのが普通なのだろうが、朱璃は本当に強い。
「そうでしたか、何となく状況は飲み込めました」
班長はそう言った後、私の方に向きを変えこう言ってきた。
「それで柴村どうするつもりだ?」
「決まってます。私の大親友にこれ以上、罪を重ねさせる訳にはいきません。犯罪を未然に防ぎます」
「しかし、誰を狙っているのか分からないようでは動きようがないぞ」
「きゃーっ!」
班長と話し込んでいる時、部屋の瓦礫を片付けをしている妃花留ちゃんが急に叫び声を上げた。
「どうしたの?」
班長と共に駆け寄ると、流唯ちゃんが妃花留ちゃんに話しかけていた。
「あれ、あれ」
指差した方向に人影が見える。通路の奥の方からヨロヨロと誰かが歩いて近付いて来る。
白衣!?と思ったが、白衣は着ているが先程の感染者のようには見えなかった。
顔には血色があり、視線もしっかりしているように見える。普通の人間のように見える。
「みんなー、誰か近づいて来るー!」
流唯ちゃんのその声を聞いて全員が飛び出てきた。
「皆んな、あの人の顔を良く見てよ。一番最初に私達に襲いかかってきた人じゃない?」
妃花留ちゃんは少し興奮ぎみに話すが、人影はまだ遥か彼方。異常者ではない普通の表情に見えるのは分かるが、同一人物かどうか判断しかねる距離だ。
「妃花留ちゃん、ずいぶん目がいいのね」
壁伝いに歩き、ゆっくり近づいてくる。急に突進してこないかと身を強張らせていたら、顔がはっきりと視認出来る距離まで近付いたところで有美が飛び出していった。
危ない!と思い私も一緒に駆け出す。
有美に声をかけられるとその男はやや顔を上げ、気遣うように微笑んで見せていた。明らかに先ほどまでの感染者達とは違う反応だった。
有美は更にその男に近づこうとしていたので私は制止しようとしたが、腕を払い除けられてしまった。そしてその男の体を支えるように腕を添える。
すると、その男は『すみません、ありがとうございます』と、言ってきたので、そこで私は警戒心を解いた。
同一人物で間違いないようだ。先程、襲ってきた時とは全く違う表情に胸を撫で下ろしたが、何が起きているのか分からずしばらくその光景を見つめていた。
先程対面した時は常軌を逸していたのに、今はいたって穏やか。班長の方に視線を送ると、班長も何が起きているのか分かっていないようで首を傾げていた。
取り敢えずチョウを部屋に招き入れ、横にさせ事情を聞くことにした。
「体は大丈夫なの?」
チョウは有美が差し出した、コップ一杯の水を飲み干すと静かに話始めた。
「そーですかー、私、そんな事になっていたのですか、なんか、迷惑掛けてしまったようですいません」
一通り有美に詳細を説明されたチョウは、申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「それであなたどうしたのよ?どうして元に戻れたのよ?」
私は急かすように横から割って入りそう問いただした。
チョウ自身も自分の身に何が起こっているのか、把握しているとは思えなかったが私は聞かずにいられなかった。
「それが、はっきり覚えてなくて、記憶がおぼろげなんですけど、取り敢えず薬を飲まなくてはと思い、薬品庫の方に向かったというのは覚えているのですが、その後どうなったか分からないんですけど、取り敢えず目を覚ました時は薬品庫の中でした」
無意識のうちに薬品庫に行って、薬を飲んで元に戻れたという事なのだろうか?
「まあいいわ。それよりこのウイルスを発見したのは誰?今その人はこの建物にいるの?」
チョウが話している途中で、私はチョウがどうなろうがどうでもいい気持ちになり、更に急かすように別の質問をした。
「どうしたのよ!そんなに焦って?」
私の刺々しい態度を有美が咎めてくる。
病み上がりの状態なんだから、そんな喧嘩腰の口調で言わないでよ。とでも思ったのだろうか。
「焦るわよ。恐らく次に狙われるのはその人か、そこの所長さんのどちらかなんだから」
「それはどういう意味ですか?」
いきなり狙われていると言われ、所長はうろたえた表情になりあたふたしだす。
「飛奈は部屋を飛び出す時、一瞬あなたの方を見たわ。それで思ったの二人のうちの一人は十中八九所長さんだろうなって。そしてもう一人はウイルスの発見者、もしくはウイルス研究の責任者なんじゃないかと思うの」
時間が惜しく感じられ、ついつい言葉遣いが乱雑になる。
「飛奈の考えている本当の理由は分からないけど、この施設を創設するのに尽力した大沢拓郎、所長の坂口誠司、そしてここの研究者の第一人者。その三人を狙っているって考えるのが定石でしょ」
「なるほど。それは一理あるな。それでチョウさん、その発見者は今おられるのですか?」
興奮ぎみに話す私では埒が明かないとでも思ったのだろう。班長が割って入り柔らかい口調でそう問いただしてきた。
「無事ならB棟の二階の研究室にいると思います」
「B棟と言いますと?」
「向かいの建物のです」
窓から見える建物を指さしてそう言った。
「よし、私も行こう」
そう言って私の方に視線を送ってくる。
「班長もですか?」
「お前は冷静さを欠いている。一人では何をするか分からん」
「なら、私が」
班長は腕を突き上げ岡島さんの言葉を途中で制した。
「私と柴村で向かう。お前達はここの守備を固めていてくれ」
「分かりました」
「しかし、厄介な事になったなー」
班長はため息混じりになり、困り顔で唐突にそう言った。
「何がですか?」
脈絡も無くいきなりそう言ってきたので私は疑問顔で班長を見つめた。
「よく考えてみろ。今おかしくなっている人達は薬を飲めば元に戻るということがはっきりしたんだぞ。ただの病人となれば映画に出てくるゾンビのようにバンバンと銃弾を浴びせる訳にはいかないぞ」
困り顔をしながら頭を掻く。
数分前のチョウは間違いなく平常心を失い常軌を逸していた。しかし、現在のチョウはどうだろう。完全に正気を取り戻し、受け答えもハッキリしている。
回復の見込みが無く、此方に危害を加えるのが間違いないのであれば、殺してしまっても情状酌量の余地はあるだろう。
しかし、病気で意識が朦朧としているだけで、薬を飲めば元に戻れる患者とあっては殺してしまう訳にもいかなくなる。
「襲ってくるアイツ等が悪いんですよ。正当防衛です」
私は怒り混じりに班長にそう言い返した。力加減なしで複数で向かってこられたら致し方ないではないかと思った。
「警察官のお前がそう言うことを言ってはならん」
立場的にはそうだろう。分かっているけど犠牲者を出さないために、殺らなくちゃいけない時もあるでしょ。と思ったが私はその言葉は飲み込んで口には出さないことにした。
「でもなんで襲ってくるのかしら?」
有美が不思議そうな顔をする。
「目ですよ」
我々のやり取りを聞いていたチョウが少し身を越しながら言った。
チョウの方に全員の視線が集まる。
「目??」
「ええ。目です。潤いのある目に魅力を感じ、舐めたいという衝動を抑えられなくなるんです」
「そうか!そういうことか!ウイルスに侵された者は、異常な程の喉の渇きを覚えるのだったな。だからか!なるほど!そう言うことなら我々が想定した行動理念に該当する」
チョウの言葉を聞いた坂口所長はいきなり大声を上げそう言った。
私達を見た瞬間襲って来た理由は、水を欲しているという単純な欲求から来るものだったようだ。
単純さゆえ、視界を塞がれると視覚から得られる情報が無くなり、水分を得たいと思う衝動が弱まってしまうのだろう。
そういえば流唯ちゃんが襲われそうになったとき頭を抱え込んで縮こまったら、白衣姿の者は方向転換してこっちに向かって来たことがあったなと思う。
単純に私の声に反応しただけと思っていたがそれだけではなかったのかもしれない。視覚から得られる情報から、流唯ちゃんの目から私の目の方へと関心が移っていたのかもしれない。
「保乃。やっぱり行かなきゃダメなの?」
今回、猛威を振るっているインフルエンザウイルスの研究責任者の高畑達也を救出に向かうべく、準備をしている私に有美は不安そうに声をかけてきた。
「目を隠せば向かって来ないっていう事も分かったし、飛奈にこれ以上罪を重ねさせる訳にいかない。それより何より私は警察官。殺されるって分かっている人をほっとく訳にはいかないわ」
有美は心配そうに私の目を除き込み胸の前で指を組む。無事で帰ってこれるか分からないのだから、行って欲しくないと目が訴えていた。
「絶対大丈夫とは言えないけど。大丈夫よ。私達が離れている間に有美達だって狙われることは有るかもしれないんだからね。十分注意してよ」
私は安心させる意味も込め、無理矢理笑顔を作りそう答えた。
「うん」
有美は渋々承諾したようだった。
私は準備を終えた班長と共に皆んなと一旦お別れしその場を後にした。
B棟に向かう途中、感染者と何度か鉢合わせたが、サングラスをしているお陰もあり全くといっていいほどの無反応だった。
走り抜ける音に反応し顔をこちらに向けるが、視線はおぼつかなく焦点が合う事は無く、どこを見ているのか分からない目をしていて襲い掛かって来る事は無かった。
水以外のものには興味が湧かないのだろう。興味が湧かないものには焦点を合わせようとしないのだろう。
この人達も薬を飲めば元に戻れるのだろうか?
必ず助けるから!そう心の中で誓い脇を通り抜けて行った。
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