第9話 天衣の過去

「くっそー、失敗したーっ」


 イヤモニから梨名の悔しそうな声が聞こえてきた。


「梨名大丈夫、上出来だったわ、三人向かったわよ」


 続いてモニタールームで施設内の様子を監視カメラでモニターしている華鈴の声が聞こえてきた。


「了解、撤退する」


 その言葉を聞いた梨名はすぐにその場を離れる準備を始めたようだ。


 屋上からの銃撃は陽動。あわよくばここで仕留めたいとは思っていたが、やはりそう上手くはいかないようだ。自動小銃なんて素人がそうそう簡単に扱えるようなものじゃない。


 日本では簡単に射撃場に通えないし、ましてや自動小銃なんて素人には扱わせてもらえる訳がない。失敗して当然だ。


 しかもこちらの動きを察知していたみたいだった。梨名が銃撃する前に、全員が身を屈めてしまった。銃口が向けられているのに気付かれてしまったようだ。


 隣の建物からの狙撃にいち早く気が付くなんて、やはり特殊訓練を受けているだけあって一筋縄ではいかないようだ。


 梨名は頑張っていた。気配を消し、見えないように十分注意していた。光が反射しないようにも十分注意していた。特にミスは無かったので致し方ないことなのだが、悔しさが滲む。


 が、梨名は最低限の陽動するという役割は果たせた。


 SPの三人が上手い事、大沢から離れてくれた。梨名の達成出来なかった目的は私と天衣の二人できっちり達成して見せる。


「飛奈、天衣、勘のいい奴がいるみたいだから、十分注意するのよ」


「了解、梨名ご苦労様。あなたも十分注意して戻るのよ」

 

「了解、そっちも気を付けて」


「了解」



「二人残っちゃいましたね」


 隣にいる天衣が小声でそう声を掛けてきた。


「そうね」


 願わくはもう一人行ってくれていたら良かったのだが、SPがこの場に二人残ってしまったので、その言葉に渋い表情をして答えた。


 私と天衣は所長室の天井裏に潜んでいた。


 想定通り大沢拓郎を連れてここに来てくれた。そして、想定通り何人かのSPを引き離す事が出来た。


 あとは私と天衣が一人ずつSPを相手し、どちらかがSPを突破し大沢に銃弾を浴びせるだけ。もう少しで私達の目的を達成する事が出来る。


「私が保乃をやる。天衣はもう一人の方お願い」


 そう言って飛び込もうとした時、不意に天衣に腕を掴まれた。私は驚いて天衣の表情を伺う。


「私が二人を引き付けます。リーダーは頃合いを見計らって、大沢の前に飛び出て銃弾を浴びせて下さい」


 天衣の思わぬ提案に私は驚いた。


 確かにその方が大沢暗殺の確率は上がるだろう。しかし、天衣はどうなってしまうだろうか。


 特殊訓練を受けているSPを同時に二人も相手にしなくてはいけなくなってしまう。危険だ、いくら天衣でも危険すぎる。


「言ってる意味分かってるの?いくらなんでも危険よ」


 掴んできた腕を掴み返し天衣の瞳を見つめ表情を強張らせ、強く否定するように首を振る。


「分かってます。でも、絶対にその方が良いと思います」


 確かにそうだろう。しかし、年少の天衣にそんな危険な事をさせても良いものかと思案する。



 天衣は私と出会う前、凍り目の悪魔と呼ばれていた。


 私が天衣に初めて会ったのは拘置所だった。拘置所で拘束衣を着せられがんじがらめにされている時だった。


 私が天衣の存在を知った時、是非とも仲間になって欲しいと思う程の逸材だった。格闘技の天性の才能をもった逸材だった。


 天衣の父親はキックボクシングの世界チャンピオン。母親は柔道の金メダリスト。格闘技の遺伝子を引き継いだ、超がつく程のエリート。


 格闘技界のホープだった。


 幼少の頃より格闘技ではどの種目をやっても連戦連勝。無類の強さを誇っていた。しかし、中学の時に出たある大会で悲劇は起こってしまったのだ。


 天衣の放った上段蹴りが相手選手の後頭部を直撃し、相手選手は亡くなってしまったのだ。


 今までうなぎ登りに評価の上がっていた天衣だったが、その一件の事故以来批判の的となってしまった。


 元々、天衣の才能に僻みを感じていた連中はこことぞばかりに叩き、天衣を爪弾き者とした。


 罵倒し、扱き下ろし、厄介払いするようになった。


 そんな環境に耐え兼ねた両親は一家心中を計ったそうだ。


 山の中で車にガムテープを張り密閉し練炭自殺を計った。しかし、運良く近くの住人に発見され、天衣だけ生き残った。


 生き残る事は出来たが、その後の天衣の人生は正に地獄だった。両親という頼れるかけがいのない存在がいなくなってしまった天衣は大いに荒れた。


 盗み、恐喝、暴行事件を多数起こしていた。何度も警官に追われた。そして何度も警官を撃退した。


 何の躊躇もなく急所を狙い振り抜いてくる打撃技、冷静にその場を逃れようと見極めようとする冷たい目をしている姿から、凍り目の悪魔と呼ばれるようになったそうだ。


 そしてある日、たった一人の少女を相手に警官は十数人で取り囲んだ。


 天衣は臆することなく抵抗する。一人目を払腰でねじ伏せ、後ろから掴みかかろうとした警官を一本背負いにする。


 さすまたで向かってくる警官は、さすまたの先を踏みつけ柄の部分に蹴りをいれる。そうすると手元の部分が警官の腹部に突き刺さり警官は痛みに悶え踞る。


 そして、次に向かってきた警官の喉仏に天衣の右ストレートがカウンターぎみにまともに入った。


 その警官は呼吸困難になってしまったのか喉元をかきむしるようにし、悶えながら死んでいったそうだ。


 その苦しそうな姿に天衣は中学時代の試合で、命を奪ってしまった対戦相手の女の子の事を思い出し戦意を失ったそうだ。


 そこを拘束されてしまったのだとか。


 過失の事故だったとはいえ将来有望な女の子の命を、そして日々、悪者と戦い治安を維持している警察官を殺してしまった。


 天衣は自分のした事の罪の重大さに潰され心を失った。


 そんな時だった。私が拘置所に赴いたのは。拘置所で拘束され心を失い死んだ魚のような目をして、天衣は虚空を見つめていた。


 天衣を解放するに当たって、もし天衣が心を全く持たない冷徹な人間だったら仲間にするのはよそうと思っていた。


 拘置所に忍び込み天衣の前に立ち、目を除き込み私はこう質問した。


「あなたの罪を帳消しに出来る方法を私は知っている。付いて来る気ある?」


 そう伝えると目の奥に光が灯り、潤いだし涙を流し始めた。


 私の思惑は正しかった。天衣は辛かったんだ、天衣は苦しんでいたんだ。天衣は必死で生きようとしていただけだった。


 盗みだって、恐喝だって生き残るために致し方なくしていたに違いない。天衣は優しい心を持っている。


 その目を見た時、そういう印象を受けた。そして私は天衣を仲間にすると決めた。


 あなたが味方になってくれて本当に心強く思う。あなたを味方に引き入れて本当に良かった。


 なんて心強いことを言ってくれるようになったのだろう。



「大丈夫です。私はそう簡単に殺されたりしませんから」


 天衣の提案を決めきれないでいた私を安心させるためか、天衣はそう言って私に微笑みかけてきた。


 それでもまだ決断できていない私に、天衣は掴んでいる私の手に軽く自分の手を添えてきた。


「あんみつ美味しかったです。ここ出たらまたご馳走して下さいね」


 ウインクしながらそう言ってきた言葉に私は『ドキッ』としてしまい掴んでいた手の力を緩めてしまった。


 それと同時に天衣は一人で敵前に飛び込んで行ってしまった。


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