第六話

「うわっ!あっちにもいるわよ!」


 感染者していると思われる人が、ヨロヨロと廊下の奥の方に歩いて行くのが見えた。窓から中庭の方に目を向けると一人、二人と歩いているのが見える。いったい何人感染してしまっている人がいるのだろうか?なぜこんな事態になってしまっているのだろうか?

 こちらの気配に気付くことが無ければ、取り敢えず害は無いことは分かった。遠目に見ていれば問題無く、ただヨロヨロ、ユラユラ歩いているだけのようだ。

 映画の設定でよくあるように嗅覚が優れていて、嗅覚でこちらの動きを探ってくるなどはないように思える。嗅覚が優れていてこちらの動きを探れるのなら、すぐに向かって来ることだろう。遠目に見ているかぎりは問題無いように思えるのでそれは無いように思える。

 嗅覚でこちらの動きを探れるなら本当に厄介なことになってしまう。視界に入らないように注意する事や、音を立てないように注意する事は可能だが、匂いがしないようにするのは難しい。その点では本当に助かった。

 視界に入らないようにして音を立てないようにすれば、ある程度動き回っても問題はなさそうだ。私達は音を極力立てないようにし、感染者達の視界に入らないように心掛けながら進んだ。


 私達はエレベーターではなく階段で行くことを選択した。大沢はかなり不満のようだったが、エレベーターが三階に到着し扉が開いた時、目の前が感染者達で溢れかえっている可能性も考えられるし、不具合が起こり止まってしまうことも考えられる。階段の方が安全だろうと考えたのだ。

 階段まで辿り着くと岡島さんと栗林が下の階、地下から上がってくる者はいないかを確認し警戒する。

 班長と光牙は先行し、上の階の状況を確認しに行く。問題ない事を確認すると手招きしてきた。私はその合図を確認すると皆を先導する。


「ゆっくりで大丈夫だから足元に気を付けて、音を立てないように進みましょう」

ささやくような声でそう声を掛ける。


 全員、固い表情のまま軽く頷いた。言い知れぬ恐怖と不安感でいっぱいなのだろう。有美、朱璃も手が震えているように見える。流唯ちゃんは身体中に震えがあるようなのでそっと肩に手を添えてあげた。

 すると幾分、笑顔になり手すりに手をかけゆっくり進み出す。普通の女子高生の女の子が経験するような事ではないだろう。恐怖で体が震え動けなくなってしまうのは致し方ないことかもしれない。

 何とか全員、上の階まで辿り着く事が出来たので私は合図を出した。それを見た栗林が一気に私達の横を駆け抜けて行く。

 班長と合流すると二人で上の階の安全を確認しに行く。光牙はそのまま残り二階の通路側を警戒し続ける。岡島さんは下を警戒しながらゆっくり上ってきた。

 ここまでは感染者達の気配は全く感じられない。三階の安全を確認した班長が合図を出す。私達は同じようにゆっくり音を立てないように進む。


「この通路の先が所長室です」


 三階まで進むと坂口所長が一つの通路の奥の方を指しながらそう言った。坂口所長の額には大粒の汗が浮き上がっていた。階段で三階まで上がっただけで掻く汗の量とは思えない。それなりの責任とプレッシャーを感じているのだろうか?

 これだけの事が起こってしまっては当然責任問題を問われることになるだろう。一体なぜこんな事態になってしまったのか?危険なウイルスと知っているのであればそれ相応の対策はしていたはず、予想を越えた感染力だったのか?それとも単純な人為的なミスからきたものなのか?

 今後至る所から質問攻めに合い、責任を追及され、感染してしまった研究員の今後の保証はどうするのか?など事後処理が山積みとなることだろう。



「班長どうしましょうか?」


 所長室までの通路にはいくつかの扉が並んでいるのが見える。いきなり扉が開き感染者が飛び出して来る事も考えられる。が、先程と違い幸い扉があるのは片側だけで、反対側は村の田園風景が見える外窓になっている。片側だけに注意すればよさそうだ。


「よし。扉を押さえながら進んで行こう」


 そう言って班長は一番近くに合った扉にそっと手を添え、ドアノブの根本をしっかりと掴むと全体重を預ける。そして、後ろを通り抜けるよう手をヒラヒラとさせてきた。

 隊員達は交互に同じように扉に手をつけ、問題がない事を確認すると同じようなジェスチャーをする。私は全員の後方に付いた。

 所長室までの行程は意外と順調に進むことが出来た。最短ルートで進んできたが、運良く感染者に出くわすこともなく進むことが出来た。班長の的確な判断もあり意外と順調に私達は無事に所長室の近くまで辿り着く事が出来たようだ。

 しかし、もうすぐ所長室だというのに有美は浮かない顔をしている。浮かない顔というか疑問があるような不思議そうな顔をし、窓の外を眺めていた。


「どうしたの?早く行きましょう」


 私は有美にそう声を掛ける。早く行って安全を確保し、薬を飲んで体調を整えた方が良いとの意味を込めそう言った。


「門が閉まっている」

「門?」


 有美の視線の先、外の方に視線を向けると確かに入り口部分にあった門が固く閉ざされているのが見えた。それがどうしたというのだろうか?


「この研究所はね、もしもの時のために高い塀に覆われていて、頑丈な門があるの」


「頑丈ゆえに大きく重厚なので普通は開け閉めなんてしないで、ずっと開けっぱなしになっているのよ」


 それがどうしたというのだろうか?私はいまいち有美の言わんとしていることが分からず返答に困っていると、、。


「坂口所長が大沢先生に感染している可能性がある限り、ここから出すわけにはいかないと言ってたでしょ」


「ええ」


「でも、感染している可能性があるのは私達だけじゃない。そもそも感染した研究員達が外に出たらどうなると思う?」


「感染が外に広がってしまうかもしれないわね」


「そうでしょ。門が閉まっているってことはそれを避けるため、誰か閉めた人がいるって事でしょ。ちょっとさっきから何か違和感ない?」


 そう言われてみれば何か違和感を感じる事もあったような気もするが、その違和感の正体が分からず何かモヤモヤした気分になっている。有美も同じ感じがしているのだろうか?


「研究所に残っている誰かが気を利かせて閉めたんじゃない?」


 私達の会話を聞いていた朱璃が『そんなの気にするような事でもないでしょ』的な感じでさらりと言った。


「それにおかしいのよ」

他にも気になる事が有るのだろう、朱璃の言葉には耳を貸さず有美は難しい顔をしている。


「何が?」

「インフルエンザウイルスはね、空気感染しないのよ」


「えーっ!だって、冬になると手洗い、うがいしろってしきりに言ってるじゃん」


 ニュースなどで帰宅後は手洗い、うがいをして予防に努めてくださいとよく聞く。あれは空気感染するから喉や手などに付いたウイルスを洗い流してくださいという事ではないのだろうか?


「インフルエンザウイルスは飛沫感染もしくは接触感染なのよ」


「飛沫感染?接触感染?」


 感染症が流行した時よく聞いていた言葉だが、なんとなくで覚えていたので詳しく思い出せずにいて難しい顔をしていると有美は説明をさらに続けた。

 

「飛沫感染っていうのは、咳やくしゃみなんかで放出された飛沫を吸い込んで感染しちゃうってことね。普通に話しているだけでも飛沫は2メートルは飛ぶって言われてるわ」


 と、いうことは班長と向かい合って話をしながら食事をしていると、班長の飛沫を吸い込んでしまっているって事?


「嘘ー!何か気分悪くなってきた、、」


「何想像してんのよ、、」


 有美は私の反応に冷めた視線を送る。確かに有美が言いたい事とは関係ないことを想像し勝手に気分悪くなってしまったが、、。


 そんな目で見ることないでしょ。


「接触感染ってのはウイルスが付いたドアノブとかに触った手で口を触ってしまい感染することね」


「乾燥する冬なら1~2日はインフルエンザウイルスは生き続けられるって言われているわ。でも、湿度が高いとそう長くは生きられないって言われているのね」


 それがどうしたというのだろうか?私は言っている意味がいまいち分かってないような顔をしていると、有美は呆れ顔をしながら続けた。


「つまり私が言いたいのは、空気感染しないはずなのに別の研究室の、しかも別の階の接点の見当たらない人が同時に感染しているのっておかしくない?ってことよ」


「え?ど、どういう事よ?もしかして誰かが意図的にバラ撒いた可能性があるって事?」


 誰が意図的にインフルエンザウイルスをバラ撒き、インフルエンザウイルスに感染させるように仕向けている可能性が高いと言いたいのだろうか?


「それにおかしいでしょ。外との連絡手段が全て断たれているなんて」


 確かに携帯も無線も電話回線も通じなくなっている。誰かが意図的に使えなくなるように妨害電波を流し、電話線を切断し外部と連絡とれないようにして、私達をこの場に閉じ込めようとしているのだろうか?

 しかしそんな事をして何のメリットがあるというのだろうか?私達を閉じ込めたいのであれば何か理由があるはず。それは一体なんだというのだろうか?それともただ愉快犯がそうしているだけなのだろうか?


 急速な感染拡大に、外部との連絡が急に不能になる。確かに偶然、同時に起きるような事柄ではないように考えられる。これまで起こっていることは誰かが意図的に仕組んだ事なのだろうか?しかし、そう考えると別の事柄に疑問点が浮かんでくる。

 急に現れ、いきなり襲って来たというのにその後は何の音沙汰もない。私達を混乱させたいのであればその後何も無いのはおかしい。

 所長室までの行程中、誰とも出くわさなかったこともただの偶然だったのだろうか?それとも何か意図があって、わざと襲ってこないように仕向けている誰かがいるというのだろうか?あれから全く何も無いということには確かに誰かに仕組まれているような意図を感じることも出来る。

 でも、そんな事が出来るものなのだろうか?正気を失った人間を襲い掛からせたり、動かないよう命令させたり出来るものなのだろうか?指示通りに操れるものなのだろうか?出来たとしてもなぜそんな事をする必要があるのだろうか?


 私は考え事をしながら部屋に入った。考え事をしていたから部屋に入るのが最後になってしまった。


「まさか!ここに誘導された!?」


 最後に入りドアを閉めようとした瞬間だった。窓の奥、向かいの建物の屋上で何かが光ったような気がした。


「皆伏せてー」

私は有美と朱璃に飛び付き床に押さえつけた。


 次の瞬間だった。窓ガラスが割れ無数の破裂音が響き渡る。金属が打ち付けられる音、金属と金属がぶつかり合う音。自動小銃による銃撃と思われる音が鳴り響いた。


「きゃーっ!」


「全員、身の安全確保を最優先にしろーー!」

班長の声が響き渡る。


 私が敵の動きをいち早く察知出来たお陰で、全員銃撃を受ける前に身を屈めることが出来た。今のところ全員無事のようだった。

 有美が疑問点を次々と口に出してくれたお陰で、私は誰かが意図的に私達をこの場所に誘導するように仕向けたんじゃないかと考えた。此方には黒い噂のある大沢先生がいる。もしかしたら大沢先生の命を狙っている奴等の仕業かもしれない。


「柴村の声がなかったらヤバかったな」

班長は私の機転のお陰で助かったとの意味を込めそう言ってきた。


「班長。向かいの建物の屋上です。私、行きます」

銃声が止んだところで岡島さんが向かいの建物の屋上に人影を見つけそう進言してきた。


「待て。俺も行く。野間お前も続け」

「了解です」


「ここは任せたぞ」

私と栗林にそう言い残し、三人は部屋を飛び出して行った。

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