第四話

「ちょっとあの人何かヤバくない?」


 エントランスに入り有美が『これほど立派な施設で働けるのは全て大沢先生のお陰です』など、大沢の事を持ち上げているとき、女生徒の一人の稲森妃花留(ひかる)がこちらに近付いて来る男性に気付きそう言った。

 視線の先を見ると確かに虚ろな視線をした、焦点が合っているのか合ってないのか分からないような目をした、表情から感情が読み取れない男性がヨロヨロと歩いて来ている。

 白衣を着用していることから見ると、施設の職員というのは分かるが様子が変なので有美の意見を伺おうとする。施設の職員であれば有美は顔を知っているかもしれない。知らない人物なら警護のため職務質問も必要になるだろう。


「ねえ。あの人ここの職員?」

有美の肩を叩き振り返らせ男性の方を指差し見るよう促す。


「えっ!あー、パク君じゃん、それがどうかしたの?」


 急な問いかけだったので幾分驚いたようだったが、男性に視線を向けると直ぐ男の名前を呼んだ。どうやらここの職員で間違いないようだ。


「ちょっと様子おかしくない?」


「そうね、、疲れてるのかな?今研究が軌道に乗ってて、休む暇が無いとか言ってたし」


 そう言った後、有美はパクに軽く手を振りながら挨拶した。そしてその後、、。


「大丈夫?体を休めるのも優秀な研究員の努めよ」

と言った。


 その言葉に反応しパクが有美の方に視線を送ったと思った次の瞬間。パクは有美の方へ猛然とダッシュして来た。

 何かに取り憑かれでもしているかのような姿に、私は咄嗟に間に入りパクを掴み上げ投げ飛ばした。そしてそのまま床に押さえ付けようとしたがパクは奇声を発しながら激しく抵抗する。


「光牙、足押さえて」


 一人じゃ無理だと思い後輩の野間光牙に手伝うよう促す。二人がかりでパクを押さえ付けると班長がロープを取りだし縛り上げ始めた。

 岡島さんと栗林は大沢拓郎をガードするように側に立つ。朱璃と女生徒2人はその光景を唖然として眺めていた。縛られたあとも大きく暴れ奇声を発し続けるパクに一同は言葉を失う。


「彼はいったいどんな研究をしていたのですか?何か危険な薬物でも扱っていたのですか?」

縛り上げるのに苦労したせいか班長は息を切らしながら有美にそう聞いた。


「いやー、、詳しい内容までは、、」

 首を傾げる有美に代わって所長の坂口が話始める。


「彼はインフルエンザ脳炎の研究をしていました」

その言葉にその場にいる全員の視線が集まる。


「それはどういった研究なんですか?」

班長がもっと詳しく話してくれるよう促す。


「毎年冬に流行するインフルエンザはよくご存じだと思いますが、脳炎とはそのインフルエンザウイルスが原因で重症化してしまう症状の一つです。彼は容易に脳炎を起こすタイプのウイルスを分離するのに成功し、脳炎に移行するのを防ぐ手立てを日夜研究していました」


「もしかしてそのウイルスに感染して、パクという方は脳炎を起こしてしまっているということですか?」


「可能性は有りますが、、」

所長はそこで言葉に詰まる。


 今研究しているウイルスの危険レベルは十分承知のはずだ。その研究員がそのウイルスに感染するとは考えにくい、そう思案しているのだろうか?


「脳炎を起こすとこんな奇声を発するような状態になるものなの?」

驚きの表情でパクを見つめ固まる有美に私はそう聞いた。


「脳炎を起こすと痙攣、意識障害、異常行動を起こしてしまうようになるので可能性はあるけど、、」


 そちらの専門ではないので分からないという事なのだろうか。有美も歯切れの悪い回答をする。そんなやり取りを繰り返していると、、。


「え、えーい。よく分からないが何だか気持ち悪い。私を早くここから連れ出せ」

大沢拓郎がそう迫ってきた。


「先生。申し訳ないのですが、もし彼が今研究しているインフルエンザウイルスに感染していたとしたら、彼と接触したこの場の全員を容易に外に出すわけにはいかないんですよ」


 申し訳なさそうな顔をして卑屈そうに所長の坂口はそう言った。大沢拓郎はその言葉を聞いて怒りを顕にし、捲し立ててくる。


「一般的な抗インフルエンザ薬は有効ですので、せめて服用してから、、」

などと弁明するが、大沢拓郎の怒りは一向に収まらない。


「もしかしたら他にも同じ症状を患ってしまっている者もいるかもしれないです。先生。取り敢えず身の安全を確保し、大事に至る前にその抗インフルエンザ薬を服用しなくては、、」

班長が仲裁に入る。


「抗インフルエンザ薬はここに有るのですか?」

怒り狂う大沢の体を押さえながら所長の方へ振り向きそう聞いた。


「私の所長室にいけば数十名分は保管してあります」

「そうですか。ではそこに案内してください」


「班長。ヤバイです。団体様の御到着です」

その時、周りを注視していたSPの一人栗林が言った。


 栗林の視線の先には生気が感じられない眼をした、白衣姿の者が六人あまりこちらにヨロヨロと歩いて来ていた。そして、私達の存在に気付くと先程と同じように急に動きが俊敏になり襲い掛かって来た。


「不味い!取り敢えず中へ」

班長は近くの部屋の扉を開け中に入るよう促す。


「流唯ー」

その時、朱璃の声が響き渡った。


 朱璃の視線の先を見ると女生徒が走って行く姿が見える。恐怖に耐え兼ね走り出してしまったのだろう。


「朱璃はここで待ってて、私が行く」

私は追いかけだそうとしている朱璃を制止しそう声をかける。


「一人じゃ危険だ。野間、お前もついて行け」


「はい」

私が走り出した後、班長のそんな声が聞こえてきた。


 そうしている間に岡島と栗林は白衣姿の者達と交戦状態に入った。打撃は全く意味をなさない。

 殴っても殴っても直ぐに起き上がって来る。痛みは感じてないようだ。足払いをし動きを止めても、直ぐ起き上がり向かって来る。

 関節を決めても動きを封じ込めることは出来なかった。組み合うと筋肉トレーニングを欠かさないSPの有能株が力負けし押し込まれる。


「何なんだよコイツ等!」


 相手の勢いに栗林が弱音を吐くと岡島が『弱音を吐いても誰も助けに来ないぞ』と、叱咤激励をする。


 班長は室内に全員招き入れた事を確認すると二人の援護にまわり、二人から白衣姿の者を引き離すと中に入りドアの鍵を閉めた。


「ぷっはっー。マジかよアイツ等!マジの化け物になっちまったのかよ!」

岡島が荒れた呼吸を整えようと着衣を緩めながら言った。


「脳炎の影響で力の加減をして無いんだろう」


 元来、人は自分の体を壊さないよう筋力をセーブしていると聞く。そのセーブが外れてしまっているのだろうか。


「これからどうしますか班長」

栗林が問う。


「柴村が戻って来るかもしれん。ドアの前の奴らを排除しよう」


「班長、マジですか?またあの中に戻るんですか?」

栗林は青ざめた表情を浮かべドアの方を指差す。


 そこで大沢の怒りが舞い戻り、また怒鳴りはじめた。その時『ガタッ』っと音がし、何かが動いたと思い視線を移すと白衣姿の者が後ろから飛び出し大沢に襲い掛かった。

 しかし、班長がその気配をいち速く察知し白衣姿の者を羽交い締めにし押し倒す。柔道の寝技が得意な班長はそのまま寝技に持っていき押さえ込む。


「凄い力だ。早く縛り上げてくれ」


 班長の寝技が決まれば普通は身動ぎ一つ出来なくなるが、白衣姿の者はジタバタと班長の寝技を外さんばかりの勢いで暴れる。


「ロープ、ロープ」

SPの二人が何かしばれるものはないかと辺りを見渡す。


「これは、、」


 そこへ有美がガムテープを差し出した。ガムテープでグリグリ巻きにし、奇声を発し続けているので猿ぐつわをする。それでもまだジタバタと身動ぎし、飛び出さんばかりの勢いで目を見開いているので、朱璃が『気持ち悪い』と、言いながら目にガムテープ貼るとようやく静かになった。


「目を塞ぐと大人しくなるのか?」

その光景を見ていた岡島がそう言った。


「先生。あまり大きな声を出さないで下さい」


 白衣姿の者は部屋の中に潜んでいたと思われる。入って来てからしばらくは大人しくしていたはずなのに急に襲い掛かり暴れ始めた。

 なぜこのタイミングだったのか考えた時、大沢の怒鳴り声が響き渡った瞬間飛び出してきたので、声に反応したのではないかと思い班長はそう言ったのだ。


「ああ、、そ、そうだな、、」


 肝を冷やしたのだろう大沢は班長の言葉を素直に受け入れた。そういえばエントランスでも大声を出して怒鳴っていたので、白衣姿の者が集まって来たのかもしれない。そう思えてきた。


「携帯が繋がらない」

妃花留が困り顔でそう言う。


 その言葉に全員が自分の携帯を確認し始めた。そして、『私のも、、私のも、、』そんな声が広がっていった。


「無線機も駄目です。柴村も野間も応答がありません」

栗林が言う。さっきの揉み合いで壊れてしまったのだろうか。


「固定電話も駄目ですね」

部屋にあった電話の受話器を取り、岡島が首を振る。


「ドアの向こうに白衣姿の者はいなくなったようですよ」


 ドアモニターから外を確認した有美がそう言う。モニターを除き込むと確かに人の姿は全く見えなくなっていた。


「班長どうしますか?柴村の援護に行きますか?」

その言葉を聞いた栗林がビクンと反応する。


「いいや。無線が使えない以上、入れ違いになってしまっては大変だ。二人とも優秀な刑事だ。きっと無事任務を遂行してくれるだろう。今は信じて待とう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る