第27話

 お昼時を過ぎたこともあって、遊園地にあるレストランの人混みは落ち着き始めていた。

 それでも、カラフルな内装と明るい音楽が、わくわくする雰囲気を盛り上げる。


 かわいいキャラクターを模したオムライスを平らげて、お金を出そうと財布を取り出すと玲香れいかちゃんに遮られた。


「……ここはわたし支払しはらうわ」

「そういうわけにはいかないよ! ただでさえ午前中は迷惑かけちゃったし……」


 ――足つったり、転んだり、いなくなったり。

 度重たびかさなる失態を考えれば、わたしが奢るべきまである。


 それに、こういうところの食べ物は見た目はかわいくても、値段は全くもってかわいくない。

 三桁で済むような小さなオムライスが、四桁するんだから。


「……気にする必要はないわ。……夏休みの間に短期のアルバイトをしてきたの」

「余計に出させるわけにはいかないんだけど!?」 


 お母さんとお祖母ちゃんからお小遣いをもらって来ている自分が恥ずかしい。

 わたしが家でゴロゴロしている間、玲香ちゃんは汗を流していたんだ。


 ここで都合よく奢られてしまっては、わたしの人としての矜持きょうじが……。


「ほら、わたしはお母さんからもらったお小遣いがあるから。そのお金は自分のために使って!」

「……ご家族のお金なら、なおさら大切にするべきだわ。……これは、私からのお小遣いだと思って」

「同級生からのお小遣いなんて聞いたことないよ……」


 どちらが奢るかの小競り合いを、レジの店員さんが困ったような笑顔で待ってくれている。

 幸いなことに後ろにお客さんはいないけど、いつまでもレジ前を独占するわけにはいかない。


 玲香ちゃんのクールな瞳にゆずらない意思が宿っているように見えて、不本意ではあるけど財布をしまう。


 仕方がないから作戦変更。後でわたしも同じくらいお金を出すしかない。


「わかった、ご馳走になるね。今度はわたしが出すから」

「……その必要はないわ」

「必要あるの!」


 ようやく会計を済ませて外に出ると、太陽の光と人混みによる溶けるような熱気が襲ってくる。


 暑さをやわらげようとパーカーを脱いでも気休めにしかならない。買ったばかりの手持ちファンは微風を送るばかり。

 LEDライトで七色に光る機能なんていらないから、もっと涼しい風を送れるようにしてほしいところだ。


「うう、プールの水が恋しい……」

「……そうね」


 同意は得られたものの、玲香ちゃんは暑さなんて感じてないみたいに背筋がするりと伸びている。

 気持ちの問題なのかと思って真似してみても、暑さは和らぐ気配はなくて項垂うなだれる。


「……冷感スプレーを持ってきたのだけど使う?」

「使う使う、ありがと~」


 服の上から借りたスプレーを吹きかける。

 清々しい香りと、ひんやりした感触が肌に張り付いて熱を吸収していく。


「生き返る~。これからどうしようね」

「……時間も押しているから混まないうちに観覧車はどうかしら?」

「観覧車ならもエアコン付いてるだろうしいいね」


 そこかしこから子供たちの笑い声や、アトラクションの叫び声が楽しそうに響いてきて遊園地全体が活気で満ちている。

 入園した時に買っておいた、アトラクションチケットを片手にそびえ立つ観覧車へと向かう。


 観覧車の前には、長くない列ができていた。

 待ち時間もほとんどなく、案内に従ってゴンドラに乗り込む。


 地面から離れていく独特の浮遊感。

 段々と景色が小さくなるにつれて、地上の喧騒も遠くなっていく。


「……この間、読んだ小説も観覧車が舞台になっていたわ」

「へー、恋愛小説?」

「……観覧車という完全密室での殺人事件をえがいたミステリー小説」

「殺人事件!?」


 いきなり物騒なワードが飛び出してきた。


 なんで、今その話したの!?

 これから観覧車に乗るたびに「あー、密室で二人きりだ。刺されるかも」ってよぎっちゃう!

 ていうか、この状況ですら怖い!


 一人戦慄していると、スマホの通知音が鳴る。

 確認してみると、水族館入り口のパネルでれいかちゃん(幼女)がピースしてる写真が送られてきていた。


「……ちびっ子から?」

「うん。水族館に着いたみたい!」


 メッセージと共に続々と写真が送られてきた。

 楽しめているようで、わたしも嬉しくなってくる。


「わたしたちも一枚送っちゃおっか」

「……」

「撮るよー! ピース、ピース!」


 正面からスマホのカメラでカシャリ。

 律儀にピースまでしてくれている。


 取って付けたようなピースが一周回ってさまになっているのは、素材が良すぎるからだろう。

 ここまでくると、どんなに変哲なことをしても似合いそうだ。


逆立さかだちで撮ってみる?」

「……何故そんな思考に至ったかは知らないけれど、あなたもいたほうがちびっ子も喜ぶと思うわ」

「え、わたし?」


 思わず自分自身を指差す。


 いくら相手が完璧美少女とはいっても、小さな子供相手ならわたしも多少の需要はあるのかもしれない。


「じゃあ、二人で逆立ちして撮ろっか」

「……逆立ちから離れなさい」


 呆れたように言いながらも、玲香ちゃんが隣に座った。

 スマホをインカメラにして構える。腕を限界まで伸ばしているからプルプルと震える。自撮り棒がどれだけ革新的なアイテムなのか痛感させられた。

 すぐ横の息遣いがくすぐったい。


 ゴンドラ内にシャッターの音が響く。

 ピンボケの写真になるかと思ったけど、スマホの手ブレ補正機能のおかげで綺麗に撮れた。 


「玲香ちゃんが写ってると華があるね!」

「……あなたも可愛く写っているわ」


 告白された翌日にクレープ屋さんで撮った一枚を思い出した。

 あの時は動揺やら緊張やらで情けない姿をさらしたけれど、今回はポーズも表情も上手く作れている。

 美少女のオマケとしては悪くないんじゃないだろうか。


 当たり障りのないメッセージと共に写真を送信。

 満足しているわたしとは裏腹に、玲香ちゃんは何か言いたげに画面をじっと見つめていた。


「……私たちは……客観的に見て恋人には見えないわね」

「女の子同士だもんね。友達に見えるよね」

「……恋人らしいこと……してみる?」

「えっ」


 玲香ちゃんの右手が横髪を優しくかすめる。

 空気が冷たいせいか、その手はいつもよりも僅かに温かく感じた。


 慌てて壁際まで後退しても、この狭さじゃたいして距離にならない。


 いつもみたいに逃げようにも、ここは宙に浮かぶ密室。

 逃げ場など存在しないわけだ。


「そ、そ、そういうのはもっと関係が深まってからじゃない!?」

「……嫌なら振りはらってくれて構わないわ」


 手を振り払うような胆力なんてあるわけがない。

 話題を少しでも逸らそうと外を指さす。


「あ! 見て! あれさっきのレストランだよ。あれとか、ほら、水族館もここから見える!」

「……私と恋人らしいことするのは嫌?」

「嫌とかじゃなくって……! ただ――」


 ただ――なんだろう。

 喉に出かかった何かが声になる寸前でかすむ。


 女の子同士に抵抗がある?

 違う。


 騙してる罪悪感で胸が痛む?

 それも少し違う。


 不自然な沈黙をどう受け止めたのか、玲香ちゃんが薄い溜息を吐く。

 そして、温度が下がった声で思考を引き裂くような一言を呟いた。


「……あなたが何か隠しているのは知っているわ」


「…………え?」


 わたしの内面を無理やりえぐられたかのような衝撃。

 身体中を流れる血液が凍りつく。


「……言いたくないのなら、それでも構わないと思っていたの」


 毒でも回ってきたみたいに息が苦しい。


「……でも、この関係があなたを悩ませているというのなら……私は恋人として寄り添いたい」


 『恋人』という言葉が重くのしかかる。


 観覧車の頂点。

 まだ明るい太陽に照らされて、黒髪が艶めいた。

 私を心配する優しい声が追い打ちをかける。


「……百島。あなたの隠していることを教えて」

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