第26話
「ままっ!」
「れいかっ!」
幸いなことにれいかちゃんのお母さんも迷子センターに向かっていたようで、親子の再開はすぐに果たされた。
明るい声音とは対照的な、震えた語調がどれだけ心配していたかを物語っている。
小さな体を宝物のように抱きしめる背中は、間違えなくわたしたちには真似できないであろう母親そのものだ。
「本当にすみませんでした。
「迷惑なんてそんな。素直な子でしたよ! ね!」
「……そうね」
お母さんが申し訳なさそうに、わたしたちやプールのスタッフさんたちに謝って回る。
物腰の柔らかい人で、とてもじゃないが怒っている姿なんて想像できない。
そんな親の苦労を知ってか知らずか、れいかちゃんがこちらへ歩いてきた。
「くーるびゅーてぃのお姉さんと、ひゃくしまのお姉さんも一緒にあそぼ」
無邪気な笑顔に思わず二つ返事で「いいよ!」と言ってしまいそうになった。
でも、今日の目的は何を隠そうデートなのだ。
しかも、午後から遊園地の方にも行く約束もしている。
「れいか、お姉さんたちにも予定があるのよ。ママと向こうで遊びましょ」
「えー、お姉さんたちがいい!」
再びの
隣の玲香ちゃんに目配せで「どうする?」と聞いてみる。
「……私は構わないけれど」
「じゃあ、一緒に遊ぼっか。れいかちゃんはどのプールで遊びたい?」
「あれ!」
指を差した先にあったのはプールではなくて、水上の透明なバルーンに人が入って楽しむアトラクション、ウォーターバルーンだった。
テレビとかで存在は知っているものの、実物は初めてだ。
その物珍しさからか『
「いこっ!」
期待の
あれって見た目に反して、相当疲れるって話だけど……。とてもじゃないが断れる雰囲気ではない。
「……私がちびっ子の相手するから、あなたはそこで休んでなさい」
「えっ」
体力が尽きかけてるわたしを気遣ってくれたのだろう。
玲香ちゃんが屈んで足元にいる暴君様と目線を合わせる。すごいお姉ちゃんっぽい動きで感心してしまった。
「……定員が二人までのアトラクションのようだから……私と入りましょうか」
「うんっ!」
「……フロートは百島に預けておきなさい」
「はーい! ひゃくしまのお姉さん見ててね!」
右腕に抱えた空気パンパンの魚型フロートを手渡される。
二人が何か話しながら順番待ちをするのを見て、脱力して息を吐く。
こんなに濃い一日は久しぶりだから、疲労が一気に襲ってきた。
午後の遊園地も午前の二の舞いにならないようにしっかり休まないといけない。
こちらに手を振るれいかちゃんに、笑顔で手を振り返した。
「もうちょっと、もうちょっとだけ!」
時計の長針が何度か回った頃。
ウォーターバルーンに加え、水上アスレチックや噴水プールを遊びつくしてなお、れいかちゃんは遊び足りないようだ。
小腹を満たすために買ってきたイカげそ焼きにかぶりつく。
「もうちょっとだけ!」の繰り返しにより、お昼の時間はとっくに過ぎてしまっていた。
「れいか、そろそろ行くわよ」
「えー、もうちょっとだけ遊んでもいーじゃん!」
「ホテルでパパも待っているのよ。水族館も行くんでしょ」
「そーだけど……」
ぐうの音も出ない正論に、れいかちゃんは助けを求めるようにこちらを見た。
可哀そうだけど予定があるならしてあげられることはない。
「……お母様の言う通りね。ご家族に迷惑をかけるものではないわ」
「むー……。なら、お姉さんたちもすいぞくかん、いっしょにいこ!」
「……悪いけれど、私たちはこれから隣の遊園地に向かう予定なの」
「じゃあ、れいかもゆうえんちいく! いかないと、お姉さんたちにあえなくなっちゃうもん!」
わたしたちは日帰りだから、水族館まで行くわけにはいかない。
れいかちゃんはお父さんを待たせてるみたいだから、遊園地に連れて行くわけにもいかない。
ここまで慕ってくれること自体は嬉しいけれど、こればかり仕方がないことだ。
……でも、不満が残るままお別れっていうは後味が悪い。
どうしたものかと悩んでいると、視界の端にボードとペンを持ったスタッフさんが映る。
「すみません、そのボールペン少しだけ借りても、いいですか!」
「どうぞー!」
近くにいたスタッフさんからペンを借りて、ベビーカステラの入っていた紙袋を千切り数字を書いていく。
そうして書き終えたものを持って、不満そうにしているれいかちゃんに手渡す。
「これ、わたしの『LINNE』のIDだから。これでお電話しよっ」
「おでんわばんごう?」
「そうだよ。わたしは遊園地で色んな写真を撮ってくるから、れいかちゃんもお母さんのスマホで水族館の色んな写真撮ってきて。見せ合いっこしよ!」
れいかちゃんは手に持ったIDを不思議そうに凝視した後で、笑顔になった。
「うん。いっぱいしゃしんとってくる!」
「楽しみにしてるね! 約束だよ?」
「うんっ!」
こうしてわたしたちは指切りで約束を交わした。
ブンブンと手を振るれいかちゃんと、丁寧にお辞儀をするお母さんが去っていくのを見送り、ほっと胸を撫でおろす。
安心したからか腹の虫がくぅ――と、空腹を主張する。
「……お昼にしましょうか」
「ち、違うからね! これはベビーカステラとイカげそ焼きの消化音であって、食べたばかりなのにお腹が空いたとかじゃないから!」
「……フライドポテト食べるかしら?」
「無視しないで! 食べるけど!」
差し出されたフライドポテトを口で受け取る。
バターの風味がよく利いていておいしい。小学校の頃に自由研究でふりふりポテトの粉末を再現しようとしたのを思い出した。
味が再現できなくて、お祭りで屋台を出してたおじちゃんに泣きついたんだっけ。
ちょっとした黒歴史とバターの味に思いを馳せるのも束の間。
「……正直、ちびっ子が遊園地まで着いて来れなくてほっとしたわ」
右側の玲香ちゃんは遊園地のマップに視線を落としながら、神妙な面持ちで話し始めた。
意図を探りながらもとりあえず笑顔を作る。
「あはは、かわいかったけど体力が無限だったからね」
「……それもあるけれど」
ぎゅっと右手を握られる。
今日がデートだと嫌でも思い出させてくれる恋人繋ぎ。
「……二人だけの時間を大切にしたい」
人生を何周したらそんな甘い一言を
「そ、そうだよね!」
その場しのぎに過ぎない同調。
この口は玲香ちゃんのような恋人としての甘い言葉を持ち合わせていなかった。
その事実がどこか寂しくて、手に込める力を強める。
遊園地までの道のりが、少しだけ長く感じた。
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