第25話

「うっふっ!?」


 驚愕よりも肺がつぶれる苦しさが先行して情けなくうめく。

 プール特有の塩素の匂いが強くした。


「ちょ、ちょっと……酸欠なっちゃう!」

「……っ! ……そう」


 息苦しさを訴えると、玲香ちゃんはきまりが悪そうに距離をとった。

 わたしもわたしで逃げてきた手前、何から弁解すればいいのか分からなくって口ごもる。


 互いの間合いをはかり合う時間が続く。


「……勝手にいなくならないで。悪い人に騙されてホイホイとついていったのかと思ったわ」

「う、ごめん」

「この人混みだから、危ない人がいないとは言い切れないのよ」

「はい、反省してます」

「……謝らせたいわけではないの」


 玲香ちゃんが右手で顔を覆う。

 相当な心配をかけたようで気疲れが見て取れた。

 申し訳ない反面、滅多に見ない表情に新鮮味を感じる。


「だーれ? お顔こわいよ?」


 重い空気を破ったのは天真爛漫てんしんらんまん暴君ぼうくん様。

 このレベルの美少女に向かって「お顔怖い」と言えるなんて、子供の無邪気さ恐るべし。


 一方で玲香ちゃんは、わたしの肩を陣取るその小さな存在に今さら気づいたようだった。

 まるで未知の生物と遭遇したみたいに警戒が滲み出る。


「……その子供は?」

「この子は迷子になってるところを保護したというかなんというか」

「だーかーら、れいかじゃなくてままが迷子になってるの!」

「わっ、落ち着いて、れいかちゃん!」


 頭上で頬を膨らませるれいかちゃんをなだめる。

 貧弱な体幹だから、暴れられると何かの拍子に落としてしまいそうで不安だ。


「……れいか?」

「そ、そうなんだよ、二人とも同じ名前でさ。すっごい偶然だよね!」

「……そうね」


 玲香ちゃんが居心地が悪そうに毛先をいじる。

 妹がいても小さい子は苦手なのだろうか。一人っ子のわたしにはよく分からない。


「こわい顔のおねえさんもれいかっていうの?」

「そうだよ~。あと、ああいうのはクールビューティーって言うんだよ」

「くーるびゅーてぃ?」


 舌っ足らずで復唱をして小首を傾げる。


「うん。凛としてるというか、かっこいいのにかわいいみたいな感じ」

「かっこいいし、かわいい……!」


 れいかちゃん(幼女)の玲香ちゃん(恋人)を見る目が羨望のものへと変わる。

 肩から慣れた様子で降りると、憧れのクールビューティの下へ駆け寄る。

 

「くーるびゅーてぃのおねえさん。かたぐるま!」

「……クールビューティを名乗った覚えは無いのだけれど」


 邪険に扱うことも、素直に肩車することもできないようで困ったような視線がわたしに向けられる。


「ほ、ほーら、れいかちゃん。わたしの肩が空いてるよ」

「くーるびゅーてぃのお姉さんがいい!」


 助け舟を出したはずがあっさり沈没。


 あれれ、おかしいぞ?

 さっきまで「懐かれたなー」って思ってたのに、もう玲香ちゃんに好感度で負けてる気がする。


「……仕方がないわね」


 諦めるように玲香ちゃんがため息をついた。

 敗北感にさいなまれている間に、ダブルレイカタワーが完成。

 当然ながら、わたしが肩車したときよりも高い。


「ぱぱのかたぐるまよりも低ーい!」

「……プールに叩き落すわよ」


 女の子に高さは求めないで上げて!

 パパより低いハラスメントの被害者Aであるわたしが心の内で嘆いていると、玲香ちゃんはいきなり勢いよく回転し始めた。


「わわっ、わわっ」

「玲香ちゃんっ、叩き落すのは駄目だって!」

「……そんなことするわけないでしょう」


 遠心力でれいかちゃんが上半身が投げ出されるような姿勢になる。

 不安になるような絵面だけど振り回されている本人はご満悦なようで、きゃっきゃと嬉しそうに笑っている。


「すごい、すごーい!」

「……これで満足?」

「もう一回、もう一回!」

「……迷子センターに着いたらやってあげるわ」


 数十秒のスリル体験が終わり、れいかちゃんはすっかり玲香ちゃんに懐いてしまったようだ。

 子供相手でもテンポを乱さない。これが妹持ちの年下を手懐けるスキル……!


「くっ、わたしだってそれぐらい!」

「……また怪我をするわよ」


 もっともな意見で耳が痛い。


「……百島。……早いところ連れて行くわよ」

「ひゃくしまのおねえさんもいこ」


 お人形のような手がわたしの手を引いた。

 身長が低いだけのお姉さんから、一段階レベルアップ。ギリギリで自尊心を保てた。


「ううっ、ありがとう。何か食べる? お財布持ってくるね!」

「……人様のとこの子供なのだから、勝手に甘やかすのはやめなさい」


 ロッカーにしまったばかりのお財布を取りに行こうとしたところを止められる。

 わたしの母性が甘やかしたがっているのに。 


「ぱぱとままみたーい!」

「ぱ、パパとママ?」

「うん。こうやってぱぱにかたぐるましてもらって、ままに手つないでもらうの!」


 そう言われると急に気恥ずかしくなってくる。

 同じようなことを考えていたのか玲香ちゃんとパチッと目が合う。


「そ、それだと玲香ちゃんパパになっちゃうね。なーんて」

「……私は構わないけれど。……ウエディングドレスはあなたの方が似合うでしょうし」

「結婚式の話してる!?」


 話が飛躍しすぎてついていけない。

 わたしがドレスということは、玲香ちゃんがタキシード……それはそれで似合うかもしれない。

 でも、玲香ちゃんほどの美少女にウエディングドレスを着せないというのも勿体ない。


 ……結婚する気満々みたいじゃんっ!

 脳裏で思い浮かべた邪念を四散させるかのように頭を振った。




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