第28話

 パリンッと、弾丸のごとく窓を割ってゴンドラを脱出。

 強化ガラスの破片が舞い、暑い空気がわたしを迎える。


 足場としてはあまりに不安定な観覧車の骨組みを天才的なバランスで乗り継

ぎ、猫さながらに美しく着地。

 一連の動きで乱れた髪を整えてほこりを払う。

 周囲のお客さんが、パフォーマンスか何かだと勘違いして拍手喝采はくしゅかっさい

 どこからともなく取り出したペロペロキャンディを舐めながらクールに立ち去る。


 ――そこまで妄想して、無理だと結論付けた。


 全部無理。

 窓を体当たりで割るフィジカルもないし、骨組みを乗り継ぐような超人的な身体能力もない。

 高いところから落ちたら間違いなく泣きじゃくる。


 そんな現実逃避をしている間に、頂点を通り過ぎたゴンドラがゆっくりと降下し始めた。

 風に煽られて鉄の軋む音がする。

 窓の外に広がる地上はまだまだ遠い。


「……夏休みの間、お祖母様の家に泊まっていたというのも……嘘よね?」

「それはっ……」


 背筋が凍った。

 淡々と語る姿は、まるで推理小説に出てくる安楽椅子あんらくいす探偵。

 完全犯罪だと思われた、わたしの嘘を当然のようにあばく。


 視線を泳がせながら、冷静さを取り戻そうと息を整える。

 外の鉄骨にいたカラスが飛び立っていく。可能ならわたしもついて行きたいくらいだった。 


「責めるつもりはないわ。……でも、私が無意識の内に何かしてしまったのなら教えてほしいの。改善するから」

「……」


 玲香ちゃんが悪いことなんて一つもない。

 ずっと、わたしがダメダメな人間ってだけで。


 否定したいのに口が感電したように痺れて動かない。


「付き合ってみたら違った? それとも、もっと明るい性格の子が好み?」


 抑揚はない。……ただ、冷たい声でもなかった。


「……それとも、私のことが嫌い?」


 鋭利な眼光が弱々しくわたしを刺す。

 せめてもの意思表示で首を勢いよく横に振る。


「それならなぜ、私のことを避けるの。恋人になったからには触れたいし会いたいし話したい。……それって変なことかしら?」


 わたしが黙り込んだままでも、観覧車はゆっくりと回る。

 嘘でもいい。この状況から逃げ出せる何かを喋ろうとしても喉からはかすれた空気が出るだけだ。


 玲香ちゃんは何も言わない。わたしが話すのを辛抱しんぼう強く待ってくれてるような気がした。


 ……やがて地上タイムリミットが近づいてきた。


「……もういいわ」


 優しさと寂しさと諦めが混ざった声。


 落胆された思った。

 愛想を尽かされた思った。

 嫌われたと思った。


 頭が真っ白になる。

 玲香ちゃんは、まだ喋っていたけど真空の壁でもできたようで聞こえない。

 『……もういいわ』。その一言が心にくさびを打ち込むかのように響く。


 玲香ちゃんと恋人らしいことができない理由が今になって分かった。


 好きだから。

 利用してただけのはずなのに


 本当のわたしを受け入れてもらえる自信がないし、利用してたのがバレて嫌われるのも怖い。

 でも、恋人として横にいると心地いい。

 だから、演技だなんだって理由をつけて、この関係を引き延ばそうとしてたんだ。


 深い虚脱感きょだつかんの中でゴンドラのドアが開いた音がした。


 

「あれ?」


 ふと顔を上げると、遊園地のベンチに座っていた。

 目の前に広がる幸せそうな喧騒に唖然あぜんとする。

 荷物はしっかりと手に持っていたけれど、玲香ちゃんがいない。


 放心している間に怒らせて先に帰ってしまったのかもしれない。


 足元のありでも数えようかと思ったとこで、一つ足音が目の前で止まった。


「……お待たせ」


 見慣れた黒髪なびく。

 右手に二本のチュロス、左手に飲料水を持った玲香ちゃんが立っていた。


 片方のチュロスを手渡される。

 チョコスプレーの仄かな甘さが香った。


「……チョコレートで良かったかしら? ストロベリーも買ってきたけれど」

「あ、うん」


 観覧車での出来事が夢だったみたいに自然と声は出た。

 玲香ちゃんが隣に座った。


 状況を飲み込めずにまごついてしまう。

 極度のストレスから、観覧車で何事も無かった世界線に来てしまったのだろうか。


 しばらくして、玲香ちゃんがストロベリーのチュロスを食べ始めたので、わたしも手元のチュロスに噛みつく。

 玲香ちゃんが一口食べて、わたしも一口。餅つきみたいな要領で交互に食べる。

 大好きなチョコレートなのに味がしない。 

 

「……さっきは、無理に聞いてごめんなさい。私が無神経だったわ」


 謝られたと気づくまで数秒かかった。

 観覧車の中では確かに嫌われたと思ったのに、玲香ちゃんは怒っているどころか自分に非があるかのような言い方だ。


 ……全部、わたしが悪いのに。


「……これ以上は詮索しない。あなたが許してくれるなら……あと少しだけデートに付き合ってほしいの」


 震えを噛み殺したような声だった。

 どれだけ勇気を振り絞った言葉なのかは想像もつかない。


 本来ならわたしが土下座して切腹……まではいかなくとも、すべてを正直に話して頭を下げるべきのはずだけど。


「わたしこそ、本当に……ごめん」


 そんな情けない謝罪だけしか出てこなかった。

 『……もういいわ』。真意の分からないその一言を、もう一度言われるのが怖くて仕方なかった。


 

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クラスメイトに片思いしてるフリしてたら、ガチ告白されたんだけど!? ナナミダ @namidassr

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