第23話

 浮き輪の穴に腰を入れてぷかぷかと宇宙ゴミみたいに、流れるプールを彷徨さまよう。


 傍では玲香れいかちゃんが併走するようにゆっくり泳いでいて、時折浮き輪を押したりしてくれている。


 ……いや、言いたいことは分かるよ?

 わたしみたいな貧相なのが浮き輪を占領して、完璧美少女を隣で泳がすだなんて、世が世ならば極刑に値する行為だ。


 勿論、これには深い深い事情がある。


「……足の調子はどう?」

「だいぶマシになってきたかも」

「……そう」


 何分か前までは一緒に泳いだり、水をかけ合ったりして楽しんでいたはずだった。


 すべての元凶は、夏休み中にひたすらダラダラしていたわたし。

 運動不足の身体は遊び始めてすぐ限界を迎え、見事にプールのド真ん中で足をつったというわけだ。

 自分の不甲斐ふがいなさに涙が出てきそう。


「我ながら貧弱すぎる……。わたし鍛えてムキムキになるよ」

「……ならなくていいわ。足に無理のない範囲で楽しみましょう」

「うん。プロテイン飲んで腕立て伏せするところから始めるよ」

「……だから、ならなくていいわ」

 

 無表情のまま玲香ちゃんが浮き輪を押し進める。


 以前までのわたしなら、『怒らせたかも!?』と勝手に怯えていたかもしれないが、今は違うと言い切れる。

 玲香ちゃんの言葉はどこまでも裏表うらおもてがなくて、だからこそ騙している自分のことが嫌いになりそうだ。


 ……もしも、初めから純粋に友達として接していれば、わたしたちの関係は違うものになっていたのだろうか。

 もっと素直に好きって――。


「……百島ひゃくしま?」

「はい!? 何でしょうか!?」


 思考回路に玲香ちゃんの声が割って入る。

 後ろめたさもあってか、咄嗟とっさに出た返事は敬語になってしまった。


「……あれ、あなたが滑りたいと言っていたやつよね?」

「へ?」


 指を差された先には巨大な龍がいた。

 龍と言ってもファンタジーの世界からいきなり怪物が飛び出してきたわけではなくて、看板アトラクションのウォータースライダー『水龍すいりゅう』のことだ。


 青色のスライダーにはうろこの模様が描かれていて、まるでジェットコースターのようにコースが曲がりくねっている。

 極めつけは、後半にある急降下。間近で見ると怖くなってくるほどの角度だ。


「すっごい迫力!」

「……折角、近くまで来たのだから行ってみる?」

「うん!」


 人の少なそうなお昼頃に並ぶつもりだったけど予定変更。


 プールサイドに上がって、あらためて『水龍』を見上げる。


 地上から数十メートルのスタート位置まで鉄筋の階段が続いて、家族連れを中心にそれなりの列ができていた。

 はしゃぐ子供たちの後に続いて、わたしたちも最後尾に並ぶ。


 周辺は草花の装飾が施されていて、雰囲気を壊さないような工夫が感じ取れる。


「……足が痛ければ言いなさい。背負うわ」

「心配し過ぎだよ。すっかり回復したもん」

「……そう」


 元気アピールでピョンピョンと跳ねまわる。

 これでも現役女子高生だ。足の痛みをいつまでも引きずるほどやわじゃない。


「――って、うわっ!?」

「っ百島!?」


 つるりと滑って世界が反転。倒れこみそうになったのを、ギリギリのタイミング玲香ちゃんが受け止めてくれた。

 体幹もいいのか、わたしを支えているとは思えないくらいの安定感だ。


「あ、ありがと」

「……危ないところだったわね」

「そのさ、ちょっと伝えづらいんだけど」

「……どこかぶつけた?」


 玲香ちゃんの心配そうな視線を受けて数秒。

 「あー」とか「そのー」とか、散々言い淀んでから気まずさを引きずるように開口した。


「また、足がつっちゃった」



 玲香ちゃんに背負ってもらって早数分。ちびっ子からの珍妙ちんみょうなものを見る視線に、必死で気づかないフリをする。

 列が進んで鉄筋の階段にも終わりがやってきた。


「ごめんね、重かったよね?」


 背中から降ろしてもらう。

 足の裏に触れた鉄の感触が冷たい。当たり前だけど、玲香ちゃんの肌の方がよっぽど暖かい。


「……羽のように軽かったわ。普段食べてる甘いものはどこに消えているのかしら」

「身長も胸も成長しないし、本当に栄養はどこにいってるんだろう……」

「……基礎代謝が高いのね」


 贅沢は言わないから、世界中の巨乳たちから少しずつバストを貰いたい所存しょぞんだ。


「次の方、どうぞー!」


 わたしたちの番が回ってきて、スタッフの人に呼び掛けられる。

 スタッフのお姉さんはわたしたちを交互に見てから、にっこりして頷く。

 

 『片方スタイル終わりすぎワロタ』という笑顔でないと信じたい。

 玲香ちゃんと比べるから終わってるよう感じるだけで、わたしも多分平均くらいなんです!

 

「お友達ですか? 二人乗りも出来ますよ~」

「え、じゃあ、お願いします。いいよね、玲香ちゃん?」

「……ええ」

「二人乗り用のマット準備しますね。ピンク色の水着の子から乗ってください」


 用意されたのは、浮き輪のように穴が二か所開けられた緑色のマット。

 言われるがままに前側に座って……あれ?


「それじゃあ、黒い水着の女の子も後ろに乗ってくださーい。前の子にしっかり掴まってね」

「!?!?」


 後ろから玲香ちゃんの腕と足が回され、がっちりとホールドされた。

 驚きのあまり飛び上がりそうになったけど、わたしの身体は一ミリたりとも浮かない。


 密着度合いは背負われていた時と同じだけど、背負われているのと抱き着かれているのでは話が違いすぎる。

 心臓の鼓動は大きくなるばかりで、プールの賑わいが随分と遠くに聞こえる。


 ちょ、これじゃただのバックハグじゃん!?


「れ、玲香ちゃん、前後変わらない?」

「……構わないけれど、私とあなたの身長差だと何も見えなくならない?」

「確かに!」


 こんなところで身長差の弊害へいがいが起きるなんて思いもしなかった。


「それじゃあ、そろそろ動かしますよー!」


 悶々と頭を抱えている内に、前の人が滑り終えたようだ。

 今更、別々に滑ろうなんて言えないし、理由も思いつかない。


 もってくれよ、わたしの心臓!


「……やっぱり、別々で滑りましょうか」

「……え?」


 感情の乗っていない声。

 いつも通りなのに怒っているようにも、呆れたようにも聞こえた。


 思わず振り向いたが、玲香ちゃんは既にマットから離れてしまっていて表情が分からない。

 

 え、なんでなんで?

 一緒に滑りたくなさそうな雰囲気が出てた?

 不快になるようなこと言っちゃった?

 

 玲香ちゃんがスタッフのお姉さんに話をつけたようで、二人用のマットが退かされる。


 頭の中を巡りに巡った疑問は、ついに口から出ることは無かった。 


「いってらっしゃーい!」


 スタッフのお姉さんの明るい声に背中を押されて、滑り始める。


 スリルもある、冷たい水の気持ち良さもある。

 それでも心の奥底から溢れる『なんで?』が消えない。


 嫌いって言われた訳じゃない。

 大丈夫、大丈夫。そこまで、大袈裟に考えるようなことじゃないはず。


 胸中を渦巻くのは、中学時代のトラウマ……ではなくて、わたしを好いてくれてる、ただ一人に嫌われたくないという思いだった。


 着水して大きく水飛沫が上がる。このまま泡になって消えたい。





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