第20話

 外に浮かぶ三日月を横目に窓際でうなだれる。

 夏休みに入ってから十日あまり。溜息は日ごとに多くなるばかりだ。


「はぁ……」


 今日も玲香れいかちゃんから連絡はなかった。 

 わたしにとって悪いことじゃないけど、十日以上互いに連絡なしとなると何かあったんじゃないかと勘繰ってしまう。


 事故にあったんじゃないかとか。

 わたしがやらかして嫌われたんじゃないかとか。


 後は……他に好きな人が出来た……とか?


 休み明けに「……あなたより性格良いかわいい女の子と付き合うことにしたわ。別れましょう」とか言われないよね……?


「電話しちゃおうかなぁ……」


 メッセージアプリを開いたり閉じたり繰り返す。


 仮に、このまま連絡したとして――


『十日間も連絡無しって何かあったの!?』

『……別に……自意識過剰なだけではないかしら?』

『あ、はい』


 ――みたいな惨劇が起きたら、わたしは後悔と羞恥に押しつぶされて消えてなくなるだろう。


 連絡するにしても何かしらの口実が欲しい。

 でも声が聞きたくなったとか、寂しくなったみたいな恋人っぽいのは絶対NGだ。


 もう千春ちゃんに聞いてしまおうか?

 いや、駄目だ。千春ちゃんはわたしたちのことをラブラブカップルくらいに思っている。

 わたしから連絡しないのは不自然だろう。


 もっと友達間でもあるような自然な口実……。


「……あるじゃん!」



《宿題で分からないとこがあるんだけど、教えてもらっていい?》


 メッセージを送ると一時間ほどして電話が掛かってきた。

 いつもは即反応があるから、嫌われたのかと思ったけど一安心。


『……どこが分からないのかしら?』

「四十ページ目くらいの図形問題なんだけど……分かりにくいだろうからビデオ通話にするね!」


 画面をタップして切り替え、宿題にカメラを向ける。

 おばあちゃんの家に居ることになっているから、自室だと気づかれないようにカメラワークには注意を払う。


 玲香ちゃんもビデオ通話をオンにしたようで、見覚えのある黒猫の着ぐるみパジャマが写った。

 フードまでしっかり被っているから猫耳の部分が重量に従って垂れててかわいい。


 ……普段使いなんだ。


「玲香ちゃん。カメラ逆になってるかも」

『……そのようね』


 外カメラに切り替わったけれど、動くたびにチラチラと映る黒い袖が気になって仕方がない。


『……これでちゃんと見えるかしら? ……百島?』

「え、うん。大丈夫だよ!」

『……そう。ここの図形は――』


 図形の上を細い指が滑る。

 口実とは言ったものの、この問題が解けないというのは本当だ。


 ただでさえ計算が苦手なのに、円やら三角形やらが絡んできたせいで、わたしには複雑怪奇な魔法陣にしか見えない。

 そもそも図形とか学校卒業したら生涯使わないでしょ。


 玲香ちゃんもわたしの理解の悪さに頭を悩ませるだろう。……と思っていたのだけど。


「うわっ、分かりやすい。教えるの上手いね!」

『……時々、妹の勉強を見ているから』


 二人で勉強している様子を思い浮かべる。

 ……くっ、美人姉妹は何をしても絵になる。


「いいな、わたしお姉ちゃんも妹もいないから、そういうの羨ましいよ」

『……今度、勉強会でもする?』

「それは遠慮しようかなぁ……」


 美人姉妹に挟まる小間使いわたし

 その写真をSNSに上げようものなら、『あれ? 一人だけ釣り合ってなくね』と叩かれまくるだろう。


 そんな話をしながらも教えられたやり方で解いていくと、図形問題はスラスラと解けた。


「できたー! 数学さえ終われば、ワークシートは現代文だけだー!」

『……思ったよりもコツコツと進めているのね』

「こう見えてもわたしは積み重ねを大切にするタイプなんだから!」


 胸を張って答える。

 ……実際は玲香ちゃんの事を考えないように無心で進めてただけなんだけど。


 後ろめたさを隠すのも随分と上手くなった。


 お互いに顔が見えるようにと内カメラに戻す。


『……宿題の見返りと言ってはあれだけど……少し聞きたいことがあるのだけれど』

「え? いいけど……。わたしが教えられることなんて、美味しいスイーツのお店くらいだよ?」

『……それは、また後で聞かせて』


 学校回りの店は粗方リサーチ済みだから、玲香ちゃんの好みに合わせて紹介できるのに。残念。


 でも、他のことなんて何を聞かれても玲香ちゃんの役に立てる気がしない。


『……百島はキスをしたことある?』

「……きす?」


 気の抜けたわたしの思考の中に、突如として爆弾が降ってきた。

 反射的に自分の口元を押さえてしまった。


 キスというと世間一般で恋人同士がするという、接吻せっぷんとか口づけと言われるあれのことだろう。

 間違っても、スズキ目スズキ亜目キス科のキスではないと思う。


「な、ないけど……」

『……そう。……私も未経験なのだけど』

「……え?」


 ……待て。

 玲香ちゃんほどの美少女がキス未経験なんてことはありえない。

 小学校の頃から数多あまたの男子とちゅっちゅしてきたはず。


 そうなると、玲香ちゃんが言うキスというのは恋人間のものじゃなくて、スズキ目スズキ亜目キス科の鱚。

 意味分かんないけど、玲香ちゃんがキス未経験よりは、お魚の話をしている方が現実味がある。


「じゃあ、わたしが鱚の名店探しておくから、今度一緒に行こうよ!」

『……キスに名店が存在するの?』

「調べてみるね」


 愛用のグルメサイトで検索してみると、いくつか店舗がヒットした。

 美味しそうな天ぷらの画像が出てきて喉が鳴る。明日のお昼は天ぷらで決定だ。


「近場でもいくつか鱚のお店あったよ!」

『……それは……専門店みたいなものなのかしら?』

「鱚以外もあるとは思うけど」

『……キス以外も』


 意味深に呟いてから玲香ちゃんは押し黙る。

 フードの端を落ち着かない様子で握る姿がなんだかいじらしい。


『……私たちはキスだけでいいわね』

「えっ、いやいや、わたしは鱚単品はキツイかも」

『……そう』


 写真だけでも、これだけ食欲そそられるのだから、定食をたのんで白米やお味噌汁も一緒に食べたい。


『……法律的に……未成年でも入れる店なの?』

「深夜とかじゃなきゃ入れるみたいだよ」

『……挑戦的な店ね』

「そうかな?」


 お店の概要を確認してみると未成年お断りの表記はない。

 居酒屋でさえ法律的には入れるのだから当然と言えば当然だ。


 玲香ちゃんは何か熟考じゅっこうした後に、納得したように頷いた。


『……百島の気持ちは伝わったわ。……店に行く日までには覚悟を決めておくから』

「うん?」


 意図が掴めずに曖昧に返事をしてしまう。

 直後に電話口の向こうから玲香ちゃんとは違う、明るい声が聞こえた。


『あれ、百島先輩と電話してるの?』


 画面に本人の姿は見えないが、妹の千春ちゃんだろう。


『……妹が来たから切るわね』

「え」

『……では、また』


 直後に通話が切れる。

 正直、二人と同時に話すとなると、どこかでボロが出てしまいそうだったから助かる。


 ただ、この十日間何をしていたかは聞けずじまいに終わってしまった。


 電話し直すわけにもいかなくて、スマホ片手に玲香ちゃんと行く鱚の名店選定を始めることにした。


 

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