おめでとうのバトン
蘭野 裕
おめでとうのバトン
実家は小さな店を営んでいる。
広いお寺の門前町だ。境内には神社もある。休日になると参道には家族連れも多く行き交う。
ベビーカーに乗るくらいの幼い子供を見ると、誰でもかれでも
「初参りおめでとうございます」
と父は言う。
母はそれをあまりよく思っていない。
「初参りというのは子供の誕生を祝う節目の行事で、その子にとって一生に一度のことなのよ。やたらに言うのは失礼よ」
父はうるさそうに聞いている。
「何歳だろうが、このお寺に初めてくる子は初参りでいいじゃないか」
初参りとは、赤ちゃんが無事に生まれたこてを神仏に感謝し、健やかな成長を祈って、誕生から約1か月後にお寺や神社にお参りすること。
男児なら誕生から31日後、女児なら32日後と言われているが、赤ちゃんの体調や天候を考えて前後することも多い。
神社の場合はお宮参りとも。
赤ちゃんに着物を掛けて抱っこしてゆく習わしだ。
暑さ寒さや赤ちゃんの機嫌にも左右されるので、初参りの家族が必ずその通りにしているとは限らない。
けれど、このような赤ちゃん連れの家族がいれば、初参りだと一目でわかる。
初参りでない子供連れの人たちが父におめでとうと言われて、どう感じているかは分からない。
ただ、正確さを脇に置いても「おめでとうと言うのは良いこと」という父のスタンスは分かりやすく、歓迎の気持ちの表現と考えるなら合理的とも言える。
むしろ母のほうが SNS で愚痴ろうものなら「初参り警察乙w」などと叩かれかねない。
行事の手筈や言葉の意味を正しく知っておくに越したことはないが、実際に行動するときは正しさよりもなるべく多くの人が機嫌よくいられるようにすれば良い。
「おめでとう」と言えばいい。
言葉と笑顔こそ、初期費用ゼロから生み出せる付加価値なのです。
……。
…………。
これで終わる話なら!
誰がわざわざ書くものか!!
母が「初参り」の本来の意味にこだわるのはおそらく心情的な理由がある。
母方の祖父つまり母の父親は、私が生まれて一か月と少しで亡くなった。
祖父がこの日まではこの世で生きていようとした、孫娘の誕生日から32日後に、氏神様にお宮参りする日。
祖父は祝儀袋に名前を書こうとするも力が入らず、その当日に私を連れて家族で出発する前に、書けないままお祝儀を親戚に託して届けてくれたそうだ。
その祝儀袋は母の宝物だ。
新生児の誕生から約1ヶ月後の、一生に一度のお祝い。母にとってはそれが本当の初参りなのだ。
初めてお寺にくる子供はみんな……などとアバウトに言ってほしくないと感じても無理はない。
もしかすると育児に奮闘中の若い親御さんのなかにも
「初参りは子供にとって一度きりだし、いろいろと物入りで親戚と予定を合わせるのも大変だったし緊張した。ふだんのお参りとは訳がちがう」
と思った人もおられたかもしれない。
とはいえ、父と母の口論の種になるのは本意ではない。この点は故人も私も同じだろう。
あいにく私はおそらく子を持つことはないだろうが、子供たちの命を寿ぐ心を持っていたい。それは、おめでとうと気軽にいう父だけでなく母にもあって、それぞれの形で表現されるものだ。
父に声をかけられた親子連れが困っているならべつだが、そうでないなら水を差すようなことはしないでいよう。
私は店のまえで着物を掛けて抱っこされた赤ちゃんのいるご家族を見ると欠かさずおめでとうを言う。
そうでない子供さんにも、ときには父に調子を合わせておめでとうと言う。
後の場合のときの私が母の目にどう映っているか分からない。
けれど私は……母が話してくれた部分しか知ることができないけれど、お宮参りにまつわる母の思い出の話をずっと覚えている。
(了)
おめでとうのバトン 蘭野 裕 @yuu_caprice
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