第110話:限界と二つの智

 今の状況で出せる、最高の技を……最良の魔法を放った。

 少なくとも、ラーズとアズリーはそう考えていた。

 そんな二人の心を見透かしたかのように、竜の女神は悠然と歩み寄り、問いかける。


「まさか、今ので全てを出し切った……わけでは無いわよ……ね?」


 穏やかな口調で告げられた、厳しいその言葉を、二人は否定できなかった。

 何かと理由をつけて、躊躇った技……選ばなかった魔法……。

 頭によぎるのは、自分への言い訳。

 結局、最高の技と最良の魔法ではあったが、それは最強でも最大でもなかった。


「先の攻撃でも充分……と言ってあげたいのだけど、まだまだ上を目指せる者の可能性を潰すなんて、勿体無いわよ……ね」


 竜の女神は、腕組みをしたまま、優しい笑顔で二人を見つめる。

 慈愛に満ちた微笑み。

 だが、その身には、まるで闘争を具現化したかのような金色こんじきオーラを纏っている。


「ラーズさん……貴方は充分に、肉体と精神の力を煉ることができています……でも、もう一段階上を目指すなら、魔力も活用しなければ……ね」


 ラーズは、数年前に師から受けた指導と同じ言葉を、全く別の存在から告げられる。

 あまり得意ではないからと、目を背けてきた、流派の技。


 ──あの姫さんと旅続けるってぇんなら……向き合っていくしかねぇか……。


「アズリーさん……貴方は逆に、魔力以外は全く活用していません……特化するのも良いのですが……いくら膨大な魔力量を誇るとはいえ、貴方自身の内なる魔力だけでは……やがて限界が来てしまいますよ」


 アズリーは、その言葉を受けて、虹色に輝く瞳をそっと閉じた。

 この瞳は、蓄積された魔力を一気に解放することで魔法を強化するというものだ。

 だが、その代償として、常に魔力を消費し続けなければならない。

 短期決戦型の、実に非効率的な能力と言えるだろう。


 ──確かに自分の内にある魔力だけじゃ……限界があるね……。


「お二人とも……答えは持っているのよ……ね?」


 竜の女神は、静かに問う。

 その答えは、まだ完成していない。

 不安要素や危険性を考えれば、選ぶべき道ではない。

 だが……。


「こいつぁ……ここで、賭けに出てみるしかねぇか……」

「そうだね……僕も、やってみる!」


 二人は、その問いかけに対する明確な答えを返すべく……心を決めた。





「うん、ボクには無理だね」

「即答かえ……」


 相応の試練というが、どの程度のものなのか。

 レミィから、軽く内容を聞いたアイディスはあっさりと諦める。


「いや、だって竜と正面から戦って勝たなきゃいけないんでしょ? 無ー理ーだーよー」

「まぁ、勝つと言っても倒す必要はないのじゃ……認めてもらえれば、それで良い……」


 ──のじゃが、基準なんぞあってないようなものじゃからのう……。


 最後の部分は、ハッキリと口に出さず言葉を濁した。


「まぁ、アイディスなら……竜に会った瞬間に腰抜かしてるだろうしな」

「むむ? 騎士サマのボクに対する評価が、うなぎ下がり……」

「いや、うなぎなら登れよ……」


 騎士と従士の会話とは思えない二人のやり取りに、思わず笑みが溢れる。

 そんな会話のオチがつく前に、御者席のブルードから声がかかった。


「そろそろ着くぞ……外を見てみろ」


 言われるまま窓の外に目を向けると、そこには見慣れない景色が広がっていた。


「わ! すごい!」

「海ですよ! 殿下!」


 先日の北方ワルトヘイム、最前線の地とは真逆の気候。

 照りつける日差しの中、南へ下り続けたレミィたちの視線の先には海が広がっていた。





 ルゼリアのさらに南、ローゼ海を隔てた先にある島、ローズイールは帝国領ではない。

 島の内部に大小複数の部族が共存する共和国であり、歴とした独立国家だ。

 故に、転移門ゲートは設置されておらず、島に渡るためには船を使わねばならない。

 一行はルゼリアの南端、港町コートルージュに一旦宿を取ることにする。


「わざわざ高い宿を取る必要はないからのう」

「そう言うわけにも、いかないみたいですよ……」


 窓から外の様子を見ていたエトスが、呆れた様子でそう呟く。

 突然の思わぬ来訪者……皇女殿下の訪問に、小さな港町は騒然としていた。

 レミィの望むと望まざるに関わらず、一行はド派手な歓待を受けることになるだろう。


「せっかく、あまり目立たんように、最小限のメンバーで来たと言うのに……のう?」

「レミィ様……この専用馬車では……」


 同意を求められたフェリシアは、困ったように口籠る。

 皇族の徽章が記された物々しい馬車で町を闊歩して、目立つなという方が難しい。


「そうだな……次は、見た目も地味なデザインにしておく……」

「うむ……是非ともそれをお願いしたいところじゃ」


 話を聞いていたブルードから、新たな専用馬車の改修案が提示された。

 レミィは適当な返事でそれに応える。

 と、そこでポーチがいつもの光を放った。


 ──ぬ? ここでなにか選択があるのかえ?


 思わぬタイミングに、レミィは姿勢を正して予言書を手に取った。


 ■117、島に渡る船を選ぶにあたり、君は……

 A:大きな客船を手配した。 →42へ行け

 B:地元の漁師にお願いした。 →74へ行け


 ──むー、そこそこ大きな船の方が安全だとは思うのじゃが……。


 レミィの個人的な印象としては、大きな客船の方が良いという結論に思い至る。

 だが、せっかく未来を見知ることができるのだ。

 いつものように、指を挟んでそれぞれの先に目を通す。


 ──うむ……やはり思い込みで動くべきではないのう……。


 そこには、おおよそレミィの想像どおりのことが記されていた。

 大きな客船の方が、安全に島へと渡ることができるのは間違いない。

 一方で、漁師にお願いした場合は、酷い揺れで誰かが船酔いすると書かれている。

 そこだけを見れば、大きな客船を選ぶというのが正解だろう。

 だが、どうやら漁師の船を選ばなければ得られないという情報があるようだ。


 ──こんな細かい記述……見落としたらどうするのじゃ……。


 情報は、何よりも優先すべき要素であることは……リィラから散々言われている。


「レミィ様? どうかなさいましたか?」


 突然、いつもの書を片手に沈黙したレミィに向かって、フェリシアが問いかける。


「ふむ……まぁ、宿は仕方ないとして……船は、地元の漁師にでも協力を頼むことにするのじゃ」

「はい♪ では、そのようにいたしますね」


 唐突なレミィの答えにも、フェリシアは一切疑問を返さず了承する。


「騎士サマ、船酔い大丈夫ー?」

「へへーん、こう見えても船上戦闘訓練の成績は悪くなかったんだぜ? そういうおまえはどうなんだよ?」

「ボクも全然平気だもーん」


 新たな燃料を得たとばかりに、アイディスとエトスは、早速互いに茶化し合う。

 双方一歩も譲らず、いい顔で睨み合っている。

 そんな中、髭の萎れたブルードが深刻な面持ちで訴えた。


「あー、お嬢……ワシは、ここに置いていってくれ……」





「ラーさん……僕が詠唱している間、少しだけ守備をお願いしてもいい?」

「そいつぁ、なかなか難しい話だがよぉ……できねぇたぁ言えねぇよなぁ」


 何かの核心を得たのか、アズリーはいつもの糸目でラーズに護衛役を依頼した。

 詠唱の間……おそらく短時間ではあろうが、竜の女神相手になかなかの難題である。

 ラーズは、やや眉を顰めつつも、その申し出を受け入れた。


「覚悟は決まったよう……ね」

「おうよ! アズリー……そうなげぇ時間はもたねぇぜ……」

「うん……わかってる……」


 魔導士の決意を確認した闘士は呼吸を整え、再び竜の女神の前に立つ。

 そう長くは持たない……ラーズ自身もそのことは充分に理解していた。

 アズリーの詠唱が、どの程度で完成するのかも全く予測はできていない。


 ──さて、何発耐えられるか……。


 いつもなら、自分が相手に対して使う言葉が、今は逆の立場になっている。

 と、その僅かな思考の合間に、竜の女神は互いの射程圏内にまで踏み込んできた。


「考え事をする余裕があるの……ね」


 ひらりと身を翻し、その長い脚で放つのは、あまりにも美しい後ろ回し蹴り。

 思わず魅入ってしまいそうな、その洗練された脚技をラーズはギリギリでガードする。

 ゴッと骨にまで響く強烈な衝撃。

 その剛腕と熟練の技を持ってしても、ダメージがほとんど軽減できない。


「こいつぁ……五発が限界ってぇとこかねぇ……」

「ふふふ……五発も……耐えられるかしら……ね?」


 竜の女神は、そう言って視線をアズリーの方へと向ける。


 ──早々に詠唱を完了しなさい……ね。


 口には出していないが、そう言っているように感じられた。


 ──モーリス様に鍛えられた十数年……そこに、無駄なんか無かった……はず!


「──Evenire! ……大いなる力の源、深淵に眠る光、地上を満たす虚無、天空を覆う闇、我は原初のことわりを手にする者也……」


 その虹色の瞳を再び見開き、アズリーは高らかに詠唱を始める。

 いにしえのエルフたちから受け継いだ叡智、古代魔法の理論。

 そして、現代の師から叩き込まれた智識、原理魔法の理論。


 ──魔力が……内側で足りなければ、外側から借りてくるしかないよね!


 二つの智を合わせ、アズリーが新たな希望の扉を開く!

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