第111話:武術と魔術の原理

 魔法を顕現するにあたり、必要とされる要素は3つ。

 動作要素、音声要素、そして物質要素である。

 もちろん原理学、呪文学、術式学など、前提となる知識は数多く存在する。

 だが3つの構成要素を正しく行使できれば、理論上、魔法は誰にでも扱えるのだ。

 ただし……その効果の大小強弱については、全く別の要因が関わってくる。

 肉体的な能力として“体力”があるように、魔法的な能力として生物に備わる力……。

 それが“魔力”である。

 如何に要素を揃えたところで、根源となる魔力無しに魔法の顕現はあり得ない。

 厳密に言えば、その効果が目に見えて確認できない……というべきだろうか。

 この世界の住人は、魔力を対価とすることで、魔法を顕現させている。

 故に、魔導士の魔力量は、それ自体が直接強さに繋がると言っても過言ではない。

 威力、効果範囲、持続時間はもちろん、継戦能力にも関わってくるのだから……。


 ──さて……この部屋に漂う魔素は……僕に巧く扱えるかな?


 魔力量は、訓練でどうにかできるものではない。

 ある程度までは努力で補うこともできるが、その上限は生まれた時点で決まっている。

 そんな背景もあって、魔導士は他の職業クラス以上に才能が重視される。


「ただでさえ魔力量の多いエルフの中でも……貴方は群を抜いているわ……ね」

「でも……それは生まれ持った才能で、授かった奇跡……僕が努力して得たものじゃない」


 近接戦闘を継続したまま、竜の女神は後衛のアズリーに向けて声をかける。

 牽制で放たれる攻撃すら、どれをとっても必殺の威力……。

 ラーズは、その一撃一撃をなんとかギリギリのところで防いでいた。


っぇ……教典どおりの綺麗ぇな蹴りだぜ……見た目以上の重さだけどよぉ……」

「ふふふ、早く完成させないと……ラーズさんが大変ですよ」


 竜の女神が、煽るような言葉を口にする。

 だが、アズリーは慌てた様子も見せず、静かに応えた。


「うん……ここで成長できないと……モーリス様にも、我が主人マイマスターにも、顔向けできないからね……」


 今、アズリーが成そうとしていることは、多くの魔導士が挑み、成し得なかったこと。

 大気中に漂う魔力の素……魔素を取り込み、純粋な魔力へと転ずる法……。


「──Activus!──」


 だが、たった今この瞬間、その偉業を成しえた者が世に現れた。

 受け継いだエルフの叡智にも、成功例が記されていなかった秘中の秘術!

 その名は……。





「──転成開眼トランスファー・コンプリート──……成し得たよう……ね」


 虹色の瞳を輝かせるアズリーの足元に、複数の魔法陣が顕現し展開される。

 その姿を確認した竜の女神は、嬉しそうに微笑みながら呟いた。


「へぇ……そんな名前がついてるんだ? でも、これならいけるかも……」


 周辺の魔素が、魔法陣を介してアズリーの元へと集束し始めた。

 術者の魔力を対価とせず、自分の周囲にある魔素を魔力へと変換し利用する……。

 数多の大魔導士が憧れる、無尽蔵の魔力。


「では……いけるかどうか、試してみましょう……ね」


 次の瞬間、ラーズの目の前にいたはずの竜の女神は、影を置き去りに瞬間移動する。

 と、新たな力に目覚めた魔導士に向けて、高速の回し蹴りを放つ。


「アズリー!」

「──Obice!──」


 刹那、アズリーの前に複雑な術式で描かれた光の障壁が重なるように顕現する。

 竜の女神は、それも構わず全力で蹴り足を振り抜いた。

 鉱石の塊を金属で打ったような、コーンと高い音が鳴り響く……。

 障壁の何枚かが、何かに侵蝕されたかのように掻き消され、消滅する。

 だが、蹴りの衝撃がアズリーまで届くことはなかった。

 見事、竜の女神の一撃を防ぎ切ったのだ。


「ふふ……いいわ……ね」

「す……すげぇじゃねぇか……」


 満足げな竜の女神と、驚いたラーズが同時に声を上げる。


「ラーさん、ラーさん! 聞いて! 良い話と悪い話があるよ!」


 その結果を目の当たりにしたアズリーは、子供のようにはしゃぎながら訴えた。


「なんだそりゃ……じゃあ、まぁ、良い話ってぇのは?」

「僕、竜の女神様の攻撃……防いだよ!」

「そいつぁ見てたよ……じゃ、悪い話ってなぁなんだよ?」

「十二枚の障壁が、一撃で残り二枚まで削られたよ!」


 キラキラした笑顔で、とんでもないことを口にした。

 その内容に反して、表情は全くもって悲観的ではない。

 むしろ何か興奮しているかのようにも見える。


「お……おう……そいつぁ残念? だったな……」

「でも……希望は繋いだわ……ね」


 生死の境界を行き来しつつも、魔導士は新たな力に覚醒した……。

 竜の女神は、振り向きざまにラーズの方へと視線を送る。


「ああ……次ゃあ、俺の番ってぇこったなぁ……」





「ぬ? 置いていってくれ……とは、どういうことかのう?」

「いや、船は……ちょっとな……」


 いつになく覇気のないブルードが消え入りそうな声で呟く。

 どうも、あまり船が得意ではない様子。


「ふむ……船酔いするのかえ?」

「船酔いは……キツいですよね……」

「技師サマが一緒に来れないのは……寂しいなぁ」


 先程まで騒いでいたエトスとアイディスも、その様子を見て途端にしおらしくなる。

 ここで空気を読まずに、煽ったりしないのは二人の良いところだ。


 ──情報は気になるところじゃが……ブルードを置いていくわけにもいかんのじゃ。


「ふむ、では……あまり揺れのない大型の客船にするかのう」


 レミィが、そう決断しようとしたところで、ブルードは慌てて口を挟む。


「いや、船の大きさ……船酔い云々ではなくてな……」

「はや?」

「どうなさいました? ブルード様」


 やや口ごもるブルードに対し、フェリシアが問いかける。

 と、萎れた髭をいじりながら、バツが悪そうな表情で口を開いた。


「ワシは泳げんのだ……海の上は避けたい」


 なんでもできる職人気質の頼れる親方……といった印象のブルードから、意外な告白。

 だが、ずっと大地と共にあるドワーフの生き様からすれば、不思議な話でもない。


「そうだったのかえ……これは、わらわの説明不足だったのう……」

「いや……ワシが勝手に、島への転移門ゲートがあるものだと思い込んでいたからな……」


 国境を跨いで転移門ゲートを利用することは、非常時を除いて許可されていない。

 ましてや移動先が、海を隔てた国や同盟国以外の国ともなれば尚更のこと。

 故に、国境を超えて旅をする上で、馬車と船は今なお大事な交通手段である。

 それは、どれだけ魔法の研究が進んだとしても変わることはないだろう。


「まぁ、ローズイール島は……帝国領じゃないですからねぇ」

「うむ……そもそも、あの島には転移門ゲートが設置されておらんのじゃ……わらわの権限以前の話じゃのう」


 そうなれば、どう足掻いても船以外の移動手段はないということになる。

 単体で飛行や空間転移ができるのならば話は別だが、そんな術者は滅多に存在しない。


「そうか……なら、やはりワシを置いていってくれ……」


 ますます萎れたブルードが、いつもより小さく見える。

 と、そこでアイディスは何か思いついたのか、元気いっぱいに手を挙げた。


「はいはーい! 船酔いが平気だったら……ボクにいい考えがあるよ!」





「大変だよ! ラーさん」


 竜の女神が笑顔で繰り出す猛攻を防ぎながら、唐突にアズリーが呟く。


「おう、どしたい?」


 ラーズは務めて冷静に、問い返す。

 自分のことで頭はいっぱいだったが、その声を無視するわけにもいかない。

 今、無事で居られるのは、紛れもなくこのアズリーのおかげなのだ。

 だが、いつまでも無事で居られるというわけでも無いようで……。


「魔力は無尽蔵に使えそうなんだけど……なんか、すごく……しんどいよ!」


 当たり前と言えば、当たり前のこと。

 この世界のことわりとして、対価も無しに力が得られるはずはない。

 やはり、この──転成開眼トランスファー・コンプリート──状態には、別の対価が必要なのだろう。

 おそらくは、身体能力……体力的なものだろうか。


「そうかい……じゃあ、このあと無事だったら、トレーニングにゃあ付き合うぜ」

「そうしてくれると……助かる……かなっ! ──Movere──」


 そう言って、アズリーはラーズの手を掴み、短い詠唱を挟む。

 防ぐことを諦め、短距離の空間転移を繰り返すことで、避けることに徹したのだ。


「こいつぁ……自分が今どこに移動してんのか、把握すんのも大変てぇへんだな……」

「すぐ慣れるよ……何となく座標が掴めると思う」


 ──んなことできんのぁ、おめぇさんか姫さんくれぇだよ……。


 思いはしたが口には出さず、ラーズは改めて自分の成すべきことに向き合う。

 目の前の魔導士は、竜の女神に告げられた弱点を克服し、新たな力を手にした。

 果たして、自分にも同じように克服できるのだろうか……と不安がよぎる。


「この短距離を連続で空間転移するなんて、器用……ね」


 空間転移に対して、竜の女神は単純な高速移動で追尾していた。

 蹴り足が空を切る音を聞くだけで、その威力に想像がつく。

 当たれば……切断されるのではないだろうか?


「短距離転移の魔法に消費型の物質要素が必要だったら……僕たち、ここで終わってたかも」

「そいつぁ、運が良かっ……」


 ──たしか……魔法に必要なのは動作要素と音声要素と……それか!


「どしたの? ラーさん」

「いや、なるほど、物質要素ねぇ……」


 ラーズはおもむろに愛刀の鯉口を切り、刀身を僅かばかり覗かせる。

 と、左手の親指でそっと刃に触れ、そこから血を滴らせた。


「あら……なにか思いついたのかしら……ね?」

「おうよ! 足りてねぇモンが、何かわかったんでねぇ!」


 そう言ってラーズは、自らの血で右手の甲に、何かの刻印ルーンのようなものを描く。

 そして、すぐさまそのいんを相手に見せつけるように、両手を胸の前で交差した。

 さらにそこから、深い呼吸とともに静かに構え、武術真言らしきものを口にする。

 さながら戦の口上を彷彿とさせる、その言の葉。


「天昇青龍、我が身に宿れ……」


 ──体力、気力、そして魔力……。


 三つの力を煉りあげた、ラーズの武への信仰が限界を打ち砕く!

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