第108話:守人と竜の女神
大陸最大の勢力を誇る国、神聖帝国グリスガルド。
その統治下にある広大な領土のほとんどは、従属国である四大国の土地である。
ワルトヘイム、アルバーナ、ルゼリア、そしてエル・アスール……。
それら四つの大国に囲まれた、大きな湖の西から延びる小さな半島。
宗主国として帝国が有する国土は、この半島部分のみ……。
そのあまりに小さな国土の中に、華やかな帝都があり、荘厳な城がある。
神聖帝国グリスガルドが皇帝の居城、イリス城。
聖竜イリスガルドの名を冠するその城は、帝都中央の小高い丘の上にあった。
「いざ中に入るってぇなると……緊張すんなぁ」
「ラーさんが緊張するなんて、珍しいね……」
「さぁ、どうぞこちらへ……ね」
三方を水に囲まれた湖上の城は、周囲の自然と共に美しい景色を織りなしている。
細やかな装飾の施された外壁、柱の彫刻、そしてその外観。
どれをとっても、まさに権威の象徴とも言える見事な建物だ。
一般的な住居の高さから見れば、20階程度の高さだろうか?
「って、この城ぁ……どうなってんですかい?」
「すごいね……こんな建物、見たことないよ?」
ラーズとアズリーは、その巨大な建造物の巨大な正門から、城の中へと案内される。
そこで目にした景色は、二人を驚かせるに充分なものだった。
「ようこそ、ここが聖竜の
一般的な城……いや建造物の常識を超えた、不思議な構造。
扉の向こう側にあったのは、部屋というにはあまりに大きい広間のような場所だった。
「あの、奥方様……城にゃぁ、この部屋しかねぇんですかい?」
「ええ、そうよ……他に使う部屋もないし……ね」
どうみても一部屋しかない。
天井は完全に吹き抜けで、城の外壁部分がそのまま壁になっている。
そう、この城は外観で見た姿そのままに、中身が空洞の建物だった。
人工の洞窟とでも言うべきだろうか……まるで、竜の寝床のような……。
「皇帝さんとは、別に暮らしてるの?」
「普段は宮殿の方で一緒に居るのよ……今日は特別……ね」
アズリーの微妙な質問に、イリスはさらりと答える。
皇帝と不仲で別居している……ということではないらしい。
「なるほど……で、俺らに強くなってもらわねぇとってぇ話でしたかねぇ……奥方様?」
何れにせよ、二人とも、ただ客人として招かれたわけではないことは理解していた。
なにせ、ここは皇帝の居城……もとい聖竜の
そこの
「ええ……ここなら思う存分、力を奮ってもらっても大丈夫よ」
「殿下の母君……皇后陛下って、そんなに厳しい方なんですか?」
レミィの言葉を受け、エトスは何気に母、皇后のことを聞き返した。
何度か式典で目にしたことはあったが、穏やかで優しそうな印象だった記憶がある。
とても、娘に戦い方を叩き込むような人物には見えなかったのだが……。
「母上は……ぬー……なんと言えばいいのかのう……」
今まで見せたこともないような苦々しい顔で、レミィは何かを言い淀む。
嫌悪しているということではなさそうだが、なんとも微妙な表情である。
「皇后として、偉大な存在であることは間違いないのう……そして母としても、時に厳しく、時に優しく……決して人任せにせず、
「最高じゃないですか……」
「皇女サマ、いいなぁー」
複雑な表情のままではあるが、レミィが口にした母への評価は極めて高いものだった。
父とは、雲泥の差といってもいいだろう。
だが、そこから少し間を開けて続けられたレミィの言葉に、一同は首を傾げる。
「ただ、竜として……ということであれば……如何にも竜らしいというか……ちょっと……アレなのじゃ……」
珍しくハッキリとしないその物言いに、今ひとつイメージが湧かない。
「竜らしい……ですか?」
「強くてカッコいいってこと?」
エトスとアイディスは、思い思いに想像を膨らませる。
優しさと強さを兼ね備えた凛々しい姿……二人のイメージはそんなところだろう。
その様子に、ますます眉を歪ませたレミィが、呆れたように呟いた。
「純粋な竜の本能は……抑えられんということじゃ」
目の前に立つ貴婦人の雰囲気が一変する。
外見的には何も変わっていない。
身の丈はラーズよりも遥かに小さく、体つきもアズリーと同程度の華奢なものだ。
どうみても戦いに適した体躯とは言えないだろう。
ボディラインに沿って足元まで伸びたドレスも、動きやすいようには見えない。
だが、ラーズの闘士としての勘が告げている。
──こいつぁ、ヤベェ……。
少なくとも、先ほどまでは感じられなかった圧が、突如として襲いかかる。
今まで味わったことのない、魂まで押し潰されそうなほどの圧倒的な威圧感。
ラーズの知る限り、最も近しいものがあるとすれば……。
──竜の威光……ってぇ姫さんのたぁレベルが違うな……。
「ラーさん……」
「んぁ? どしたい?」
「なんか……僕たち、皇后さん怒らせちゃった?」
いつになく、深刻な面持ちのアズリーがラーズに問う。
既に、その虹色の瞳は薄く開かれていた。
「あ……また、レミちゃんに注意されるところだったわ……ね」
周囲の空気に全くそぐわない、あまりに穏やかな口調でイリスが呟く。
と、一度閉じた目を見開き、何かを吹っ切るかのように両手を広げる。
そして、目の前に立つ二人に向き直り、高らかに宣う。
「竜神の
まるで直接脳で聞いているかのような、重く強く響き渡る、威厳に満ちた声。
「俺らが怒らせたかどうかってぇなぁわかんねぇがよぉ……こいつぁ、問答無用で襲いかかってくるってなぁわかるぜ」
「えぇ!? 僕、武器とか使えないよ?」
「オメェさんは魔法でいいんだよ! 構えろ! マジでやってくんぞ!」
「我が名は聖竜イリスレイド! 天を翔け、地を裂き、邪を喰らう、竜の女神なり! いざ!」
竜の女神は、威風堂々と名乗りをあげる。
そして、そこから一瞬でラーズの懐深くまで踏み込んできた。
「お二方の名は、先ほど伺いましたので、もう大丈夫ですよ……ね」
武器の類は手にしていない……おまけに着ているのは動きにくそうなドレスだ。
ならば、手技で牽制がくるだろうとラーズは予測する。
だが、初手で竜の女神が繰り出してきたのは、そのしなやかさを活かした脚技だった。
「マジかよ!?」
纏うドレスを引き裂いて、長く美しい脚が垂直に振り上げられる。
と、そのまま踵を叩きつけるように振り下ろした。
ガッと、肉と骨を強打する音が部屋中に響き渡る。
初手の蹴り上げは回避したものの、踵落としは受け止めるのが精一杯だった。
ガードしたラーズの左腕に、予想を遥かに上回る質量と衝撃が打ち付けられる。
「おいおい……冗談だろ……折れるかと思ったぜ……」
「援護するよ、ラーさん! ──Flamma──」
危機を感じたアズリーは咄嗟に呪文を詠唱し、炎の魔法を放つ。
普段なら
本来は、何節もの詠唱を要求されるはずの、燃え盛る炎……火球の魔法。
爆炎が竜の女神を包み込む……はずだった。
だが、その魔法は発動を待たずして、竜の女神が掲げた片手の前に掻き消される。
ズンッと空気を震わせる爆発音は聞こえたのだが、炎は全く顕現しなかった。
「え? 今、どうやったの!?」
竜の女神がその片手を広げると、掌にわずかな焦げ跡が見てとれた。
「魔法が発動する起点を、握り潰しただけよ」
魔術に携わる者の常識で測ることのできない事象が目の前で起きる。
アズリーは、最近あまり感じることのなくなった、ある感覚に襲われていた。
それは恐怖、そして無力感。
レミィから授けられた姓、そして積み重ねてきた経験のおかげで絶望はしていない。
──僕は希望でなきゃいけないんだ……。
少し距離をとりつつ、アズリーは受け継いだエルフの叡智から打開策を検索する。
だが、脳内にある数千年分の知識を辿っても、神への対抗策は見つけられない。
その、わずかな思考の合間を縫って、竜の女神が動きを見せた。
ラーズの懐から、一足飛びにアズリーの前にまで間合いを詰める。
と、そのまま掌を腹部に押し付けるように打ち込んできた。
「あ、逃げらんないね、これ……」
「そいつぁ、見逃せねぇなぁ!」
速さに自信のあるラーズは、同じように一足飛びでアズリーの元へと移動する。
そして二人の間に立ちはだかると、竜の女神の掌底を代わりに食らうことになった。
ドスッと鈍い音の後に、何かが折れるような甲高い音が聞こえる。
「ぐえっ! 痛ってぇ……」
たとえ剣に貫かれようとも、声ひとつ出さなかったラーズが、呻き声をあげる。
その鍛え上げられた鋼の腹筋でも、ダメージを軽減できない、重すぎる一撃。
竜の女神は、その掌を腹部に当てたままの姿勢で静止していた。
激しい攻防の後、刹那の静寂が訪れる。
割り込んでくれたラーズのおかげで、なんとかアズリーは一命を取り留めた……。
かと、思っていた矢先!
「まだ、これで終わりじゃないですよ」
そう言って、竜の女神は踏み込んでいた前の足を強く踏み締める。
丈夫な城の床に大きな亀裂が入るほどの強烈な震脚。
そして流れるような動作で、零距離から掌を捻じ込むように前へと押し出す。
「ぐぁっ!」
「わぁぁぁ!」
そのままラーズは、後ろにいたアズリー諸共、強烈な勢いで吹き飛ばされた。
まるで重力を無視したかのように、滞空したまま二人は外壁に激突する。
途中で身を入れ替えていなければ、アズリーはラーズと壁に挟まれていただろう。
「ごめん、ラーさん……」
「いや、気にすんな……」
壁面に大きなクレーター状の凹みができるほど、
だが、二人とも意識はしっかりとしているようだ。
「咄嗟に魔導士さんを庇いましたか、いい判断、そしていい身のこなしです……ね」
両手を後ろ手に組み、直立したまま二人を見据える竜の女神。
構えてはいない、だが付け入る隙は見えない。
「まだ、続けられますよ……ね?」
殺意は全く感じないが、その笑顔には言い表しようのない恐怖を感じる。
並の戦士や魔導士であれば、ここで心は折れていただろう。
だが、レミィの自慢の臣下たちが、こんなところで終わるはずはない。
「へっへぇ……ひっさしぶりにボコられちまったぜ……」
「でも……まだやれる! よね、ラーさん!」
「あたりめぇよぉ! こんな楽しい闘争、一生のうちに何度味わえるかってぇ話よ!」
めり込んだ壁から、ゆっくりと身を起こし、竜の女神に向き直る。
その二人の目には、闘志の炎が燃え盛っていた。
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