第107話:引き篭もりと竜の母

 ──君が使命を果たさんと旅に出て、数日の後、闇の使徒が帝都に襲いかかる。


 この先、数日後に帝都を襲うとされる闇の使徒なる者……。

 それがいったい何者なのか、今のところはわかっていない。

 順当に考えれば、堕徒ダートなのだろうが、断言もできない。


「まぁ、母上が……そこいらの有象無象にやられることはないと思うのじゃが……」


 レミィの母イリスレイドは、紛うことなき純粋な竜である。

 帝国の守護者として、そして聖なる竜として文字どおり神格化されており信者も多い。

 名実ともに邪竜ニルカーラの対極に位置する存在だ。

 夫である皇帝に合わせて人の姿をしているが、真の姿は帝都の城よりも遥かに大きい。

 言うに及ばず、その力は絶大で、定命の者が相手にできる存在ではない。

 竜の力に於いても、すべてレミィの完全上位互換の能力を有しているのだから……。


「皇帝陛下が心配ですか?」


 くだんの南の島へと向かう、いつもの皇女専用馬車の中。

 思わず口にしていたレミィの言葉を受けて、フェリシアが声をかける。


「はや!? そんなふうに聞こえたかえ?」

「はい♪ 皇后陛下“は”大丈夫……というお話のようでしたから」


 本心を言い当てられたレミィは、珍しく動揺する。

 その胸中も、フェリシアには隠せなかったようだ。


「ぬー……まぁ、あんなのでも父親じゃからのう……何事もなければ良いのじゃが……」


 以前にもあったが、レミィの皇帝ちちおやに対する印象は温厚篤実。

 多くの文献に、その武勇が記されてはいるが、全て御伽話だという認識である。

 娘に甘く、愛妻に弱く、臣下に優しく、あまねく全ての臣民を愛する、穏やかな優男。

 そして、常に書斎に籠り、政治と経済について未だ学び続けている本の虫。


 ──本当に……剣など、握ったことがあるのかえ?


 およそ帝国の頂点とは思えぬほどに頼りない父……。

 だが、その善政もあって、レミィの父アヴェルは聖賢帝などと持て囃されていた。


「大丈夫ですよ、レミィ様♪ そのためにラーズ様たちが残ってくださったのですから」

「それもそうじゃのう……まぁ、ラーズとアズリーが居れば、どうにかなるはずなのじゃ」

「それに、今回はリィラさんも居ますから」

「闘士サマと魔導士サマだけでも強いのにね」

「ふん、一騎当千が3つだ……3,000の兵が泣いて逃げ出すな」


 同行する皆が、その言葉に同意する。

 そこには、絶対的な信頼があるようだ。

 だがレミィには、もう一つだけ懸念していることがあった。


 ──あとは、母上の……悪い癖が出なければ良いのじゃが……。





 聖竜イリスレイド……繰り返しになるが、レミィの母は紛うことなき竜である。

 加えて、先の大戦における功績を認められ、神へと昇華した存在でもある。

 その後、彼女は地上に残り、人との間に子を成した。

 そこで産まれたのが、皆の知る皇女レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルドだ。

 ちなみに竜は卵生だが、レミィは人化した母の胎内から人と同じように産まれている。

 我が子には、人として生きてほしいという母親の想いから、そうしたらしい。

 そんな人ならざる存在が、帝都で当たり前のように日々を過ごしているのだ。


 ──神と直接対面する。


 人生において、そんな出来事が起きる可能性は極めて低いと言えるだろう。

 例え神という存在が明確に認識されている、この世界であっても……。

 だが、神の方からその機会を設けられては、逆に逃れることもできない。

 なにせ相手は神なのだから……。


「もし……そこの殿方」

「ん? あ、俺ですかい?」


 いつもの皇女宮とは勝手の違う、広い庭園。

 皇帝陛下の居城周辺を巡回するラーズに、一人の女性が声をかけてきた。

 乳白色の艶やかな肌に白金の髪、絵に描いたかのような美しい容貌……。

 一目で、この女性がレミィの母であろうことは理解できた。

 それと同時に、只者ではないということも……。


「ええ、あと……お隣のエルフの殿方も……ね」


 見るかぎり、ラーズの横には誰も居ない。

 だが、その女性は隣にエルフの男性がいると確信しているようだ。


「……僕が視えていたの?」


 魔法で姿を隠していたアズリーが、その姿を現す。

 憶測で言った言葉ではないことは、当人が一番理解していた。

 不可視の状態にあった、その細い目に、しっかり目を合わせてきたのだ。

 視えていた……としか言いようがない。


「ふふふ、貴方の虹色の瞳と同じ……竜の真眼に不可視インビジブルは通用しないのよ」


 白に統一された控えめな装飾のドレスを纏う貴婦人は、上品な笑みを浮かべる。

 敵意がないことは明らかだが、そこに漂う風格はまさに異次元のものだ。


「ええと……貴女は……」


 レミィの母であろうという確信はもっていた。

 だが、どう見ても姉程度の年齢にしか見えない。

 珍しくもラーズは、如何に返すべきかと戸惑いを覚えていた。


「皇女専属騎士のラーズさんと、宮廷魔導師のアズリーさんよ……ね? いつもレミちゃんを護ってくれてありがとう。私はイリス……イリスレイド。この国の……こーごーへいか? だったかしら……という地位の者よ」


 自ら先に名を名乗り、一介の兵に向かって頭を下げる皇后。

 その行動に、ラーズは慌てふためいた。


「いやいやいやいや、やめてください……いや、ほんと、いつもお世話になってます」

我が主人マイマスターの母上様!? すごい……そっくりだ!」


 意味不明の言葉を連ねながら、ラーズはその場に跪き敬意を示す。

 傍に居たアズリーも感動を口にしながら、騎士の動きに倣った。


「レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルド皇女殿下が専属騎士、100代目煉闘士ヴァンデール、ラーズ・クリードです」

「同じく、宮廷魔導師、アズリー・ホープスだよ……です」

「どうかおもてをあげて……ね?」


 イリスレイドの穏やかな語り口調に、二人は安堵する。

 まるで、なにか優しい力に包まれ、護られているかのような……。


「貴方たちには、とても感謝しているのよ」

「感謝?」

「僕たちに?」


 そこで告げられた言葉に、二人はそのまま疑問を伝え返した。


「ええ……あの引き篭もりがちだったレミちゃんを、明るい世界に導いてくれて……ね」

「引き篭もり……がち……?」

我が主人マイマスターが?」


 レミィのことを指しているとは思えない、その言葉に二人は絶句する。

 諦めかけていた闘士に、もう一度、強さと誇りを示す機会を与えてくれた……。

 無明の未来に絶望していた、落ちこぼれの魔導士に希望を与えてくれた……。

 二人の中にあるレミィの姿は、どんな時にも前向きでアクティブである。

 およそ引き篭もりなどという言葉とは、程遠い存在だ。

 だが二人は、その真実を知らない。

 もし、レミィがコデックスと出会っていなければ……。

 予言書に記された、滅亡回避のための未来を選んでいなければ……。

 レミィは本当に引き篭もりのまま、歴史の表舞台に姿を現すことはなかったのだ。


「そう……きっかけは、別にあるのかもしれないけど……皆さんの話をしている時のあの子、とても楽しそうで……ね」


 そう言って微笑むイリスレイドの表情は、神でも皇后でもない。

 ただ娘を愛する母のそれだった。





「そういえば、前から気になってたんだけど……皇女サマって、なんで闘士サマみたいに素手で戦うの?」


 初日に、ルゼリアとの国境付近にある転移門ゲートまで辿り着いたレミィたち一行。

 そこで行き交う闘士らしき者の姿を目にしたアイディスが、突然その疑問を口にする。


「はや? 今更そこかえ?」


 レミィは、このタイミングで改めて問われたことに驚いた。

 そもそも、皇女が直接戦っている時点でツッコミどころしかないとは思うのだが……。


「鎧を纏い、剣と盾を持つ、竜の姿を想像してみるといいのじゃ」

「えーっと……」


 アイディスは言われたとおり、重装鎧に身を包み武装した竜の姿を思い浮かべる。


「……かっこわる……」

「じゃろ?」


 その、あまりに不恰好な想像図に、思わず吹き出してしまう。

 知性ある魔獣や幻獣の中には、人と同じように武装している者も僅かながら存在する。

 不足を補うため、あるいは急所を守るため、道具に頼ることはおかしなことではない。

 だが、あらゆる生命体の頂点を自負する竜にとって、それは受け入れ難いことだった。

 鎧よりも硬い鱗、剣よりも鋭い爪と牙、そして魔法よりも強力な息吹ブレス……。

 これだけの力を備える竜が武装するなど、矜持に反するということらしい。

 それが例え、人の形を取っていたとしても……。


「まぁ、不意の襲撃などがあった際にも……対処しやすいからのう」

「できれば、そんな不意の襲撃なんて、あってほしくないんですけどね……」


 自慢げにツルペ……胸を張るレミィの言葉に、エトスは呆れ気味に続けた。

 確かに、誰しも常に武装した状態で居られるわけではない。

 皇族という立場である以上、いつどこで誰に狙われるかはわからないのだ。

 そういう意味では、レミィの言っていることも理には叶っているのだろう。


「ふーん、人の姿なのに……じゃ、素手で戦う術は誰から教わったの? 闘士サマと出会う前から……だよね?」


 なるほど、と頷きながらアイディスは、さらにもう一つ質問を重ねた。

 それは、誰しもが思っていながら、今まで口に出すことがなかった疑問。

 幼い皇女が、こうまで戦場慣れしている理由は……?


「ああ、それは母上から叩き込まれたのじゃ……竜の力を持つ人の子として、どうあるべきか……とな」





「お二人とも……相当な手練れと伺っているわ。レミちゃんも安心……ね」


 そう言ってイリスレイドは、皇女専属騎士と宮廷魔導師の二人を見つめる。


「いやぁ……あの様子じゃ、ちけぇうちに自分以上の強さになるんじゃあねぇですかね?」

「そうだね、我が主人マイマスターは魔法の耐性も……凄そうだし……」


 ラーズとアズリーは、何気ないやりとりのつもりでそう返した。

 依然として、目の前の貴婦人は穏やかな笑みを浮かべている。

 だが、次に発せられた言葉には、拒否することを許さない圧が感じられた。


「あら……じゃぁ、お二人にはもっと強くなっていただかないと……ね?」

  

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