第96話:鴨葱と名工の業物

「うわぁ……吹雪いて来ちゃいましたねぇ、ジャミルさん、大丈夫ですか?」

「ああ、これくらいの吹雪なんて慣れっこだよ」


 戦場から少し離れた針葉樹林の中を進む、騎士と原住民らしき女性。

 エトスは今回の紛争の鍵となる人物、敵将の母ジャミルの護衛任務を遂行していた。

 目指す目的地は、彼女の住まう“村”なのだが……。


「ところで、あんた何の躊躇もなく進んでるように見えるけど、私の村が何処か分かってんのかい?」

「いえ、全然。たぶんこっちかなーって」

「ちょっと……冗談だよね?」


 エトスは行先不明のまま、歩みを進めているとあっさり認める。

 あまりにも潔い自白に、ジャミルは一瞬絶句する。


 ──ああもう! 信じた私がバカだったか……さては、こいつも私を利用して……。


「あ! 見てくださいよ、こんな寒いのに果実がなってる! すごいな……なんてやつですこれ?」

「えっ……? いや……今そんな場合じゃ……」

「うわ、大きいな……甘いのかな? 殿下へのお土産になりますかね?」


 樹林の中、目についた赤い果実に手を伸ばし、エトスは興奮気味に問いかける。

 そんな騎士の様子を見て、ジャミルは直前に浮かんだ自分の考えをすぐに改めた。


「はぁ……それは、ただの林檎だよ」

「りんご? 林檎っていうんですかこれ……うーん……寒くて鼻が麻痺してる……香りまではわかんないな」


 エトスは果実を手に取り、冷えて真っ赤になった鼻を近づける。


 ──いや、ああいう薄汚い世界とは……縁のなさそうな子だね。


「……疑った私がバカか……いや、こいつの方がバカだ」

「なんか言いました?」

「何も言ってないよ! それより、ちゃんと村まで送り届けてくれるんだよね!?」

「もちろん! 殿下に恥をかかせるわけには、いきませんからね!」


 エトスは自分史上最高峰のいい笑顔で、サムズアップしながら答える。


 ──まずは主人あるじの名誉のために……か、いい臣下に恵まれてるね、その殿下って人は。


 部族間の抗争……数々の裏切りと謀略を見て来たジャミルには羨ましい話だった。

 息子、アジムの部下にも、こんな忠義者が居ればと思わずにはいられない。


 ──特に、あのシニーって詐欺師野郎だけは……ダメだ!


 騙されて、帝国軍に身柄を引き渡された、当時の様子が鮮明に思い起こされる。

 ジャミルは、無意識に険しい表情を浮かべていた。


「どうしました、怖い顔して? 綺麗なお顔なのに皺になっちゃいますよ! なーんて……」


 言葉というものは、やはり日常会話の中で培われるものである。

 普段から皇女殿下の傍で過ごすエトスは、なんの躊躇もなくこんな台詞を口にする。


「……あんたって……ほんと、人たらしだねぇ」

「あれ? なんか変なこと言っちゃいました? あ、ちょっと待ってください!」


 その本心を悟られぬよう、ジャミルは視線を逸らして一人先へと歩みを進める。

 エトスは、慌ててその後を追いかけて行った。





「さぁ、観念しろ!」

「ちきしょう! カシラ……すまねぇ……」


 次々と捕えられていくオーク軍の兵士たち。

 最初は抗っていた荒くれ者たちも、あまりの寒さに屈することとなる。


「そのままだと冷えるだけだぞ! 大人しくこっちにこい!」

「うぅぅ……寒寒寒寒寒寒いいひひひいっ」


 医療班の腕章をつけた帝国兵士が、毛布で包んで連れ去っていく。

 事実上シニーとその周囲にいる僅かな護衛、そしてアジムを除きオーク軍は壊滅状態。

 総勢300人も居たオークの兵士たちは、完全に無力化されてしまった。

 だが……。


「この程度で諦めて、負けを認めるなんてぇタマじゃあねぇよな?」

しかり……我がうぬらを殲滅すれば、これ即ち勝利」


 疵面のハーフオーク、アジムはまだ戦意を喪失していなかった。

 立ち塞がる銀髪褐色の大男に臆した様子もなく、背中の戦斧を手に構え直す。

 いわゆる“豚面”などと揶揄されるオークの顔は、非常に特徴的だ。

 小さな額に眉は無く、鋭い目、下顎からは大きな牙がはみ出すように生えている。

 比較的人間に近い容貌とはいえ、アジムにもその特徴は見てとれた。

 鋭い目つきで相手を捉え、下顎の牙と闘争心を剥き出しに仁王立ちする。

 とはいえ戦局は決したともいえるこの状況、一人の力でどうにかなるものではない。

 そのことを誰よりも理解していたのは、他ならぬシニーだった。


 ──あかん……こっから巻き返すには、もう奥の手しかあらへんか……。


 と、逡巡していたところで、思わぬ言葉が飛び込んでくる。


「いいねぇ……じゃあ、オメェさんと俺の一騎打ちで決着ってぇのはどうだい?」

 それは、この戦況に関わらず、一対一で勝敗を決するという提案。


 ──マジか!? この銀髪アホちゃうか?


 わざわざ仕切り直そうというその持ちかけに、シニーは思わずほくそ笑んだ。


おろか。自軍の優勢を捨てて、うぬになんの利がある? 吟味するに値せず」


 だが、その申し出を不当として、アジムは受け入れを拒否しようとする。


 ──いや、おまえもアホか!? 黙って受け入れぇや!


 自らチャンスを踏み躙ろうとするアジムには、心の中でツッコんだ。


「まぁそう言わずに……ちょいと俺の遊びに付き合えよ」


 ラーズは、なおも食い下がり、臨戦体制のアジムへと向き直る。

 その大男の手には、未だ武器は握られておらず、素手のままだ。


 ──大男、総身に知恵が回りかねってな……まぁ、脳みそ筋肉連中は皆こんなもんか。


「ええやないかアジム、やったれや! 負けたモンが、勝ったモンの言うこと聞く……わかりやすい話やないか、なぁ?」


 ここでようやく、シニーは横から割り込むことができた。

 自らの失策を埋め合わせるためにも、このチャンスを逃すわけにはいかない。


 ──一対一で、アジムが負けることなんかあらへんやろ……最後には血祭りや……。


「帝国の皆さん方……この大男が言うとる話に、二言あらへんな?」


 早々に話をまとめたいのか、シニーは周囲を見渡しながら決断を急かす。

 そこに答えたのは、銀髪褐色の大男でも白夜の魔女でもなかった。


「うむ、その者の言葉に、二言はないのじゃ」


 戦場の喧騒を物ともせずに響き渡る、不思議な、威厳に満ちた声。

 その声は帝国軍本陣がある天然の要害、崖の上から聞こえてきた。


「ん? 何処や?」


 見上げたシニーたちの目に映ったのは、崖の淵に立つ軍服を纏った少女の姿。


「自分、誰……?」


 何者か問い質そうとした矢先、少女はそこからおもむろに飛び降りた。

 実に帝都の城壁と同程度の高さから、なんの躊躇もなく……。


「……ど、どういう身体能力しとんねん……このガキ……って、自分まさか!?」


 そして、そのまま難なく着地をすると、外套を翻し颯爽と名乗りを上げる。


わらわは、レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルド……神聖帝国グリスガルドが第一皇女じゃ……この紛争の結末……決闘の見届け人としては申し分なかろう?」





 その少女、レミィの異質さを、シニーは一目見ただけで理解した。

 噂に違わぬ、美しいその容貌、神々しいその姿、そして身に纏うそのオーラ

 この世に存在する生命体として、明らかにステージが違う者、触れてはならぬ者。

 敵対する者にとって、レミィとは、そう感じられる存在なのだ。

 普段の『はやぁ?』な様子からは、全く考え難い話だが……。


 ──なんでこいつがここにんねん……これは、チャンス……なんか?


 堕徒ダートの目的は邪竜ニルカーラの復活である。

 その最大の目的を果たすにあたり、レミィの存在は明らかな障害だった。

 いつか、どこかで排除しなければならない相手だということは間違い無いだろう。


 ──けど、今やないやろ……“歴史書”にはなんて書いとんや?……。


「どうしたのじゃ? まだ異論があるのかえ?」


 様々な思考が頭の中を駆け巡り、シニーの意識は明後日の方向に向いていた。

 そこに、優しく……それでいて威圧感いっぱいの言葉がかけられる。

 シニーもあまり大きな方では無いが、少なくともレミィよりは明らかに背が高い。

 だが、腕組みのまま相手を一瞥するその少女の姿は、なぜか圧倒的に大きく見えた。

 まるで、見上げているのに、見下されているかのような、不思議な感覚に陥る。


「め……滅相もないですわ……まさか帝国の皇女様とお会いできるとは……おもてませんでした」

「ふむ……然もありなん」


 レミィが一歩、また一歩と歩みを進めていくにつれ、兵士たちが道を譲る。

 そこに敵味方の区別はない。

 本能がそう言っているのだろう、邪魔をすればタダでは済まない……と。


「ほ、ほな……うちのアジムと、自分……いや、皇女様んとこの……」

「ラーズじゃ」

「そう、ラーズはん……一対一の決闘で、勝敗を決めるっちゅうことでよろしいか?」

「うむ」


 ──これは鴨葱言うやっちゃで……この忌々しい偽竜の娘もれるかもしれん。


 負けた方が、勝った方の言うことを聞く。

 大義名分をもって処断できるというのならば、相手が如何に強敵でも同じことだ。

 たとえそれが聖竜の娘であっても……。


 ──吐いた唾飲むなや?


「よっしゃ……自分らも聞いたな!? ここをニル……ちゃうわ、ブルトガルド独立の第一歩にするで! この決闘は、神聖帝国が皇女様のお墨付きや!」


 シニーの宣言をきっかけに、双方の兵士たちは各々周囲へと散っていく。

 体の冷え切ったオークたちは、帝国兵士に保護されるような形で連れて行かれた。

 その様子だけを見ていると、両者が啀み合っているようには見えない。


「ラーズ、あとは任せたのじゃ」

「あいよ、仰せのままにっ……てな」


 信頼する臣下に一言告げると、レミィは身を翻し、シニーとは反対の方向へと下がる。

 中央にアジムとラーズを残し、戦場は今決闘の舞台へと姿を変えた。


「じゃあ、さっさとおっ始めるかい?」

「応……我身既鋼、我心既空、一切灰燼!」

「古風だねぇ……精神統一、武術真言かい」


 武術真言とは、武術における呪文のようなものである。

 それ自体が何かしらの事象を顕現させるようなことはなく、周囲に影響はない。

 戦士や闘士が、自らを鼓舞するという意味合いで詠唱する、いわゆる自己暗示だ。

 各々の技に名前があるのと、本質的には同じ原理と言える。

 最も顕著な効果としては、自らの身体強化……だろうか?


「いざ……まいる!」


 言うが早いか、高速で間合いを詰めたアジムの戦斧がラーズを襲う。

 その速さは、周囲で見ている者の想像を遥かに超えたものだった。

 ガキンッと、金属を金属で弾く音が鳴り響くと、アジムは一旦距離を取る。

 何が起きたのかはわからないが、ラーズはその一撃を無事に凌いだらしい。


「あー、ちょいと……一ついいかい?」

「……なんぞ?」


 完全に戦闘体制だったアジムは、早々の制止に興を削がれ、不機嫌な顔を向ける。

 そこに重ねて、ラーズはますます不可解な言葉を続けた。


「その斧は使わねぇ方が……っつーか、オメェさんも闘士みてぇだしよ、お互いこいつでキメねぇか?」

おろか……この後に及んで、臆したか?」


 アジムに対し、戦斧の使用をやめるよう促し、代わりに素手での決着を要望する。


「なんやぁ? 帝国の代表さんは、死にたぁないて怯えてはんのかいな?」


 シニーは、その奇抜な髪をかきあげつつ、安全地帯からラーズを煽る。

 確かに素手であれば、お互いの生存率は確実に上がるだろう。

 だが、ラーズの言葉の真意は、そんなところにはない。


「いやぁ……なんつーかよぉ……」


 気怠げに答えながら、腰に下げた一本の得物……刀に一瞬指をのせる。

 と、その鍔の辺りでキンッと小さな音が鳴った。

 刹那、周囲の誰もが……レミィすらもが驚く光景を目の当たりにすることになる。


「はやぁっ!?」


 突如、アジムの手にしていた戦斧が、金属片となってその場に散った。


なぬ!? ……こ、これは……!?」


 折れたとか、割れたとか、そういうレベルではない……文字どおりのバラバラである。


「な……なんやねん……なにしよってん? どういうことや?」


 完全に虚をつかれたアジム、そしてシニーは、目を見開いて動揺する。

 ラーズは、腰に携えた愛刀を指し、どこか自慢げな笑みを浮かべながら答えた。


「その武器じゃあ、コイツの相手になんねぇんだよなぁ……いや、俺も武器の性能差で勝ったとか言われちゃあ、沽券に関わるんでね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る