第94話:魔女と天才軍師の謀略
──このエルフ……いったい何を考えてるの?
──誰? この煩い眉毛の男……。
──まさか! 私を帝国に引き渡すつもり!?
──何が天才軍師よ! この詐欺師!
脳裏をよぎる、あの日の出来事……。
そのエルフは、オークたちの中に厚かましくも堂々と紛れ込んできた。
族長に取り行っては口八丁で
と、部族間の諍いを煽り、隣国との紛争までもわざわざ引き起こした。
挙句、裏では帝国軍と取引し、身内を人質として差し出す……。
「アジム! 騙されちゃダメ! その男は……!」
極寒の地で一人倒れ、うなされていた、その女性が目を覚ます。
体には毛布がかけられ、地面には柔らかい生地が敷かれていた。
吹雪を避けるために、岩場の亀裂の中に逃げ込んだところまでは覚えている。
周囲の光景を見る限り、同じ場所のようだが……。
「あ、気がつきました? どこも痛くないです?」
一つ違ったことは、この狭い空間に自分以外の誰かが居たということ。
その鎧に刻まれた紋章は、彼女にとって敵対者であることを表していた。
「あんたは!? 私を追ってきたの!? この卑劣な帝国兵め!」
「ええ、まぁ追ってきたというか、探してたというか……。 あ! でも、何も変なことはしてないですよ!?」
エトスは広げた両手を前に、敵意がないことを全力でアピールする。
そして宥めるように語りかけながら、猫背気味の姿勢で距離を取った。
素人が見ても、一目でわかるほどの上質な鎧。
高位の騎士であることを示す、金色の帝国徽章。
この一見頼りなさそうな青年は……紛れもなく帝国で地位のある者だ。
「ハンッ! 帝国兵に辱められるくらいなら、舌を噛み切って今ここで死んでやる!」
「いやいやいやいやっ! そんなことしたら、ご家族が悲しみますよっ!」
慌てて立ち上がった女性は、興奮した様子で大きな声を上げる。
エトスは珍しく強い口調でそれを諌めた。
「えっ……?」
予想外の言葉に、女性は絶句する。
彼女の知る帝国兵士は、高飛車で威圧的な物言いの鼻持ちならない連中だった。
それが、まさか家族の心配を口にするとは、思いもよらなかったのだろう。
「あんた……本当に帝国兵なの?」
「はい、そうですよ! 偉大なるレミィエール皇女殿下直属! 皇女騎士団所属にして殿下(公認)の側仕え、エトス・アーダルと申します!」
自信のない所は小声で誤魔化しながら、エトスは姿勢を正し、堂々と名を名乗った。
そのあまりに得意げな言い様に、思わず女性からは笑みが
「ハハ……あんたみたいな頼りなさそうな奴がねぇ……」
「よく言われますよ……」
いつの間にか、女性の警戒心が薄らいでいるようにも見えた。
それは、エトス自身も感じていたようで……。
──ん……ちょっと、落ち着いてきたかな……。
「あの、今更なんですが……貴女の、お名前は?」
「私の……名前? ……ジャミルだよ」
少し考える間はあったものの、女性はその問いかけに素直に答える。
相手は、先ほどまで明らかに敵意を剥き出しにしていた人物だ。
この短時間で打ち解けられたのは、エトスの人柄によるところが大きいだろう。
「じゃぁ、ジャミルさん……落ち着いたら出発しましょうか」
だが、その言葉を耳にしたところで、ジャミルは再び険しい表情に戻る。
と、強い言葉で、明らかに抵抗する意思を見せた。
「私は、帝国になんて
その反応を見たエトスは、きょとんとした表情で相手の目を見つめる。
そして、至極当然と言った様子で、言葉を続けた。
「はい、えっと……貴女の村まで、無事に送り届けるよう……仰せつかってますので」
「さて、作戦の概要は、これで理解できたかい?」
「うむ……双方の被害を最小限に抑えるためには、ある意味最適解だとは思うのじゃが……」
レミィも概ねその内容には賛同していたのだが……。
「装備と戦術は……本当に、これしかないのかえ?」
「姫君の精鋭……皇女騎士団の練度を見れば、問題ないと思うがねぇ……」
理屈でわかっていても、どうにも拭いきれない不安があった。
それは、従来の戦い方とは一線を画した、あまりに突飛な……その戦術である。
「ちなみに、装備の手配は心配ないよ。そこのドワーフと“あの子たち”が協力してくれるみたいだからねぇ」
ある程度の不安要素は、先手を打ってリィラが潰してくれていた。
あのブルードが精霊たちの協力を得て、どんな装備を作るつもりかは知らないが……。
いずれにせよ、あとは当事者たちの気持ち一つといったところだろうか。
「ぬー……騎士団長よ……皇女騎士団の面々は、受け入れてくれるかのう?」
迷いを断ち切れないレミィは、騎士団長に話を振ってみる。
「はっ! 姫殿下のご命令とあらば、如何な作戦であろうと、全く問題ございません!」
予想を遥かに上回る速度で返された、食い気味の返答……。
信仰にも近いレミィへの絶対的な信頼は、多少のことでは揺るがないらしい。
「ふむ……では、作戦の主軸は皇女騎士団の方で担うとして……」
「お待ちください!」
と、ここで今まであまり発言のなかった大隊長から声が上がった。
「はや? どうしたのじゃ?」
「この作戦、皇女騎士団の方々だけに、お任せするわけにはまいりません! ぜひ我々にも!」
まっすぐな目で、レミィとリィラの双方に訴えかける。
彼らは今日まで、この北の辺境……最前線を守り続けてきた兵士たちだ。
突然現れた違う部隊に、その役割が奪われることを良しとはしないだろう。
その気持ちは、レミィにもわかった。
「いや……しかし、これ……本当にいいのかえ?」
「問題ありません!」
またしても食い気味の返答。
その表情からも、決意のようなものが見て取れる。
「ハーッハッハ! いいねぇいいねぇ……それじゃぁ……」
そんな大隊長の言葉を受けて、リィラは明らかに悪そうな笑みを浮かべ、こう呟いた。
「いっそ、皆でやってみるかい?」
「ほな、いくでぇ!」
「応! ブルトガルド決死隊、出陣!」
「うおおおーっ!」
未だ陽の昇らぬ薄暗い中、いよいよオークたちは最前線の交戦区域へと出陣した。
──目指すは敵本陣のみ!
樹林の僅かに拓けた道を無視して、ただ一直線に進んでいく。
その数、およそ300人。
──人間は暗闇を見通すことができない。
夜目の利くオーク側の策略とすれば、夜襲を仕掛けるのが上策とされる。
だが逆に考えれば、相手も夜は警戒体制を敷いているはずだ。
暗闇に慣れた異種族……エルフやドワーフの助力を得ている可能性も捨てきれない。
であれば、わざわざそんな状況に飛び込んでいく必要もない。
──策など弄さずとも、真っ向から打ち倒す!
暗闇に乗じて……そんな卑劣な手段を取る必要はないと、アジムは主張する。
「
「……馬鹿正直な
途中、若干の進路変更を余儀なくされたものの、順調に歩みを進めるオーク軍。
吹雪もなく、不気味なほど静かな樹林に、足音だけが響き渡る。
やがて、その全戦力が帝国軍本陣を取り囲もうと展開する。
だが、そこでオーク軍が目にした景色は、想像の範疇を超えたものだった。
「
「
昨日、丘の上から確認した敵本陣とは、似ても似つかぬその姿。
自称天才軍師のシニーも、呆れ顔で呟く。
「なるほど……そう来るんかい……」
ここから攻め込むには、この崖を登っていく他はない。
周囲の針葉樹は、まるで剪定されたかのように規則的な同心円を描いて生えている。
おそらくこの一帯は、白夜の魔女によって地形を変えられ、要害と化したのだ。
「
「急かすなや……今考えとるんや!」
当然、退路を断つために、シニーは後方からも取り囲むよう指示を出していた。
故に、この要塞が如何に不可思議な構造をしているか、すぐに把握することができた。
「シニーの旦那! 報告だぁ……この崖みてぇなの……上に行く道らしきものが、どこにもねぇべ!」
この後に及んで、籠城作戦ということだろうか。
何れにせよ、大自然の要害に守られた本陣を落とさぬ限り、オーク軍に勝利はない。
──クッソ! これも魔女の仕業か? ほんま、めんどくさいことしよるわ……。
心の中で悪態をつく。
その矢先、シニーたちが見上げた崖の上の方で、何かが上空に漂い始めた。
狼煙だろうか……いや、湯気のようにも見える。
「あー、上で何しとんねん……って……なんやあれ?」
ふとシニーは、目線の先、崖の壁面に複数箇所穴が空いていることに気がついた。
周囲に満遍なく規則的に並んでおり、自然にできたものとは考えにくい。
──あかん、意味分かれへん……なんやねんあれ……。
ここに来て自称天才軍師には、相手の策の全容が全く見えていなかった。
白夜の魔女が企てた策……それはあまりに前例のない、極めて異質なもので……。
「もうええわ! 前衛、鎧もうちょい軽装にして登っていき……言うて垂直やあれへん、いけるやろ?」
攻略が面倒なだけの、ただの壁……そう判断したシニーは力押しの指示を出す。
──まぁ、あの小さい穴から出てこれんのは、せいぜい液体かガスくらいやろ。
穴についても、正体はわからないが、物理的な攻撃はないだろうと結論づけた。
多少の毒や催眠ガスなら、持ち前の抵抗力で耐えられるという打算もある。
「よっしゃ! 突撃やぁ!」
シニーの突撃命令が下された。
そこで換装した前衛が壁面に手をかけんとしたその時、要塞全体が軽く振動する。
と、小さな穴から、何やら白い蒸気を纏った、透明の液体が周囲に散布された。
液体の直撃をうけたオークから、悲鳴にも似た声が上がる。
「ひぃぃ! シ、シニーの旦那! こ、これは!」
「なんや!? 酸か!? 猛毒か!?」
「お、お湯です!」
「お湯かーい!」
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