第93話:自然と精霊の声

 オーク軍の本陣がある、丘の麓の洞窟……岩壁を削り出して作られた、祭壇の間。

 そこで、てのひらの小さな水晶球を睨みつけ、ぐるぐると向きを変える奇抜な髪型のエルフ。


「チッ、あかんな……あの混血のオカン、どこにおるんや……」


 自称天才軍師のシニーは、苛立ちも露わに舌打ち混じりで独り言ちる。


「シニーの旦那……なにやってんだべ……さっきからウロウロと……?」

「あぁ!? いや……なんもないわ……それより、明日の作戦ちゃんと覚えとるやろな?」


 突然声をかけられたシニーは、いつもの調子でぶっきらぼうに応える。

 本懐を悟られぬよう、話を逸らすかのように……。


「そいつぁもちろんだぁ! 目に見える道は無視……邪魔な木は伐採しながら、まっすぐに敵陣へ進む! 俺たちでも覚えられる簡単な作戦だべ」

「せやろ?」


 ──まぁ、自分らみたいなアホでも覚えられるように、そうしたんやからな……。


「お? なんか言っただか?」

「なんも言うてへんわ! 明け方の進軍や! ええから早よ寝とけ!」

「あぁ、わ、わかっただよ!」


 思わず漏れた本音を拾われたシニーは、勢いで誤魔化そうとする。

 怒鳴られたオークもそれに逆らわず、素直に洞窟の奥へと駆けていった。

 シニーは、改めててのひらの小さな水晶球に目をやる。

 そこには、今し方話していたオークが、自分の寝床に向かう様が映し出されていた。


「特に……壊れとるっちゅうわけでもないんか……」


 シニーが手にしているのは、遠見の水晶という魔導具マジックアイテムである。

 対象を良く知る者であれば、その居場所を特定し観察することができるという代物だ。

 使用者の能力に若干依存する部分はあるが、その精度は高く、対象の生死は問わない。

 そう、シニーは、アジムの母を良く知っている。

 自分が帝国側に引き渡したのだから、当然と言えば当然のことだろう……。

 声も、姿も、なんなら匂いまで覚えている。

 故に、この魔導具マジックアイテムを使用しても発見できないという事実に違和感を抱いていた。

 その焦りと苛立ちが、洞窟内に木霊する。


「クソッ! これ使つこて見えへんとか、どないなっとんねん!」





「いや、全くわからんのじゃ……」

「そうかい? まぁ、要は慣れだよ」


 未だ甘い香りの漂う、帝国軍本陣の幕舎内。

 そこでレミィは、リィラから何事かレクチャーを受けていた。


「姫さんは……戦略でも学んでんですかい?」


 その姿を見かけたラーズは、傍に控えるフェリシアに軽い気持ちで聞いてみる。


「いえ、なんでも、精霊語を教えてもらっているとか」

「精霊語? ってぇ……精霊ってぇのは話せんのかい?」


 思いもよらぬその答えに、ラーズは少し驚いた様子で再び問いかけた。

 精霊とは、地水火風の四大元素をはじめとした、超自然的な存在である。

 魔法にも深く関わっており、その力を根源としたものを精霊魔法と呼称する。

 ちなみに、精霊を介さず、純粋な魔力のみで行使されるものは秘伝魔法と呼称される。


「当たり前さ。精霊たちと会話ができなきゃ……力は貸してもらえないからね」


 ラーズとフェリシアの声が聞こえていたのだろう。

 リィラは、なにを今更と言わんばかりに、精霊との会話について語る。


「まぁ、アタシがここまでやってこれたのも、全部精霊たちのおかげだよ」

「さっきの『カサカサ』は、冗談ではなかったのかえ……これを習得するには、相当時間がかかりそうなのじゃ……」


 満足げに頷くリィラを横目に、レミィは眉をひそめ、肩をすくめた。

 確かに、高次の存在たる精霊の言葉を理解するのは、そう簡単なことではない。

 ラーズもフェリシアも……この場の誰もがそう考えていた。

 だが、そこに続いたリィラの言葉に、一同は目を見合わせる。


「でもね……たまに居るのさ……何も学んじゃいないのに、自然と精霊の声が聞こえちまうって子がね」

「はやぁ? 自然と? 『カサカサ』の意味がわかるというのかえ?」

「いや、意味はわかってないんじゃないかい? ただ……なんとなく、いろいろわかるのさ」





「はい! 真っ白! 道がわかりません!」


 辺り一面、白い雪に覆われた針葉樹林で、両手を上げる若い騎士。

 捜索を続けていたエトスは、すっかり道を見失っていた。


「いや、幸い吹雪いてないから、そこまでキツくはないんだけどさ……どこも同じにみえるよね」


 気を紛らわせるために、誰かに話しかけるかのような声をあげる。

 視界にあるのは、雪と草と木と土……白と緑と茶色のコントラストのみ。

 変わり映えのない、この同じような景色のループは、方向感覚を狂わせる。

 だが意外にも、エトスは全く狼狽うろたえているようには見えなかった。


「こういう時は……んー、どっちだ!?」


 唐突に目を瞑り、腕組みのまま動きを止める。

 まるで迷走……いや、瞑想しているかのように、ただ独り静かに佇む。

 周囲には風の音、そして揺れる針葉樹の葉音だけが鳴り響いていた。


「へっくしょい! ん、あー寒い……こっちかな?」


 寒さに耐えきれず、くしゃみをした後、意を決して歩き始める。

 そこに迷いは感じられない。


「いや……絶対アズリーの方が良かったと思うけどなぁ……こんな闇雲に歩いて……も……な?」


 躊躇のない歩みとは裏腹に、不満を溢し続ける。

 と、しばらく歩いたところで、ようやく今までと違う景色を目にすることができた。


「あ……なんかあれ、人が入れそう……かな?」


 少しだけ隆起した岩場の壁面に、人が入れそうな大きさの亀裂を発見する。

 目を凝らして確認すると、その前には足跡らしき物も見てとれた。

 周囲には、これといった生き物の気配はない。


「んー……ちょっと中も見てみるか」


 要調査対象と判断したエトスは、警戒しつつ、その亀裂の方へと歩を進めた。





「すいませーん! 誰かいますかー?」


 まるで誰かの家を訪問するかのように……エトスは律儀に声をかける。

 誰かいるという確信があったわけではない。

 だが、足跡があった以上、可能性がないわけでもない。

 そう考えると、何の声もかけずに、土足で足を踏み入れる気にはなれなかった。


「……ん? 誰もいないかな……」


 返事はない。

 だが、なんとなく嫌な予感がしたエトスは、亀裂の中を少し覗き込む。

 と、そこに倒れている一人の女性の姿が目に飛び込んできた。


「うわ! ちょっ……大丈夫ですか!?」


 矢も盾もたまらず、女性の様子を見るために、エトスは亀裂の中へと入っていく。

 鎧の手甲部分を外すと、素手で肌に触れ、呼吸などを確認する……。


「良かった、生きてる……けど、これはかなり体温が低いなぁ……」


 年齢は30代後半といったところの人間の女性……。

 肌や髪の色を見るに、おそらくこの辺りの原住民ではないだろう。

 体は冷え切っており、意識はあるようだが、エトスに反応を返せる状態ではない。


 ──よし、なんとかしなきゃだな……。


 幸い、エトスは不測の事態に備えた装備を、しっかりと準備していた。

 単独任務ということで、様々な魔導具マジックアイテムも貸与されている。


「まずは、火を起こして……」


 エトスは、従騎士時代に雪中行軍の訓練も経験している。

 この状況下でも慌てずに適切な処置ができたのは、まさにその訓練の賜物だろう。

 だが、当時の苦労はなんだったのかと思わずにはいられなかった……。


「いや、この魔導具マジックアイテム……なんなんだこれ?」


 出発に際し、ブルードから手渡された、掌サイズの四角い箱のようなもの……。

 その側面にある引き金のような仕掛けを引くと、その箱の内部に火が灯る。

 すると、然程広さのない、この岩場の亀裂の内部は一気に暖かくなってきた。


っちぃ! 火傷するかと思った……」


 慌てて箱を地面に置くと、女性が意識を取り戻す前に、水や食料を少し用意する。

 もし、レミィに……皇女殿下に何かあったら……そう考えて日々行動してきた。

 側仕えの脳内シミュレーションは、この局面でしっかりと活かされている。

 まぁ実際の相手はレミィではなかったが……。


「あ……この人が捜索対象の……ってことで、いいのかな?」


 人命救助を優先するあまり任務を見失いかけていたところ、ふと我に返る。

 ここで、リィラに告げられた捜索対象の年齢や特徴を思い返した。


 ──30〜40代の人間女性。

 ──白っぽい肌に茶色い髪。

 ──背丈はエトスより少し低い程度。

 ──左手の甲に、なにか獣を模した刺青。


 一つ一つ、復唱しながら指差し確認をする。

 いくつか合っている程度であれば、人違いの可能性もあっただろう。

 だが、あまりに個性的なその手の甲の刺青が、雄弁に事実を語る。


「この刺青……『これが流行ってるんです! みんな入れてますよ!』……なんてことはないよなぁ……」


 おそらく、この女性こそリィラが探し求めていた人物だろう。


 ──まぁ、意識が戻ったら……説明するかな……。


 そんな軽い気持ちで、女性の回復を待つことにした。

 この後エトスは、なぜ自分がこの任務に抜擢されたのか、身をもって知ることになる。

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