第92話:捜索と各々の思惑

 吹雪も治まった北の辺境……最前線付近。

 幕舎の外では、風に吹かれた針葉樹の葉音が鳴り響く。


「さて……どうも悠長なことは言ってられないみたいだねぇ、動くよ!」

「はや? なにかあったのかえ?」


 煙管キセルの灰を手で鎮めつつ、リィラが思い立ったように口を開く。

 あまりに唐突なその発言に、レミィは反射的に聞き返した。


「……明朝、オークの軍勢が大挙して、ここを落としに来るよ」


 そこから、さらに衝撃の内容が続く。


「え!? いや、いつどこからそんな情報が!?」


 レミィの傍で控えていたエトスが重ねて問う。


「たった今……ギンさんの友人からさ。指揮官のアジムは……何か躊躇してたみたいだけどね」


 至極当たり前と言わんばかりに、煙管キセルで指示棒のように外を指し示す。

 入り口の外、皆の視線の先にあったものは、陣の中央に立つ一本の白樺の木だった。


「あの木? が……なにか言ってましたか?」


 エトスは呆然とした表情のまま、ゆっくりとレミィの方へ視線をやる。


「聞こえなかったかい? 『カサカサ』ってさ」

「いや、『カサカサ』のどこにそれだけの情報があるのじゃ……」

「ハーッハッハ! 冗談だよ。でもその木が情報を持ってきてくれたのは本当さ」


 レミィのド直球なツッコみに、リィラは大声で笑う。

 だが、情報には確信をもっているようだった。


「さぁ、もう時間はないよ、あんたたち……覚悟はいいかい?」


 幕舎内に居る主要メンバーに向けて、リィラはその意思を問う。

 この場にいる者は、皆レミィに付き従う臣下たちである。

 必然的に、その視線はレミィの方へ集中することになった。


「ぬー……どうにか、穏便に終わらせたいところじゃのう……」


 ため息混じりに溢れた、皇女の本音……。

 オークたちがブルトガルドと称する北の大地は、本来、帝国の領土である。

 現皇帝の温情で恩赦を与えられてはいるが、彼らが侵略者であることに間違いはない。

 とはいえ、わざわざ大義名分を捏造してまで、追い出したいとも思っていない。

 レミィは、この紛争をどうにか最小限の被害で決着したいと考えていた。


「いいんじゃあねぇか? 姫さん……いや指揮官殿」

「殿下がそう仰るのであれば、自分も最大限努力しますよ!」

「それが、我が主人マイマスターの望みなら」

「皇女サマの想いに応えるのが、ボクたちの仕事だよね?」

「ふん……お嬢が言うなら、仕方ない」


 その想いに異論を唱える臣下は、誰一人いなかった。


「わ、我々ももちろん!」

「皇女騎士団! 姫殿下の想いに応えて見せます!」

「ふふふ♪ リィラ様……皆様、こう仰っておられますが……」


 皆の言葉をまとめるように、フェリシアは笑顔でリィラの方を振り返る。

 と、リィラは満足げに頷き、口角を上げてそれに応えた。


「いいねぇ……じゃあ、皆が幸せになるための……作戦会議と行こうじゃないか!」





「自分ら気合い入れや? 明日は血の雨……いや、寒いし雨は降らんな、血の雪か……ま、それが吹き荒れる激しい戦闘んなるで?」


 シニーの煽り文句で、洞窟内に緊張が走った。

 オークは戦いの中に生き、誰もが死をも恐れぬ勇猛な戦士であると言われている。

 だが事実として、皆が皆そうだとは限らない。

 それこそ十人十色、オークの中にも動物や自然を愛でる穏やかな性格の者はいる。

 単に、種の傾向としてそういう“恐れ知らずな者が多い”というだけなのだ。


「否……血は天より降るものに非ず、雪に転ずることも無し」

「やかましい! どっちでもええわ……比喩や比・喩・! クソ真面目にしょうもないことツッコむなや」


 やや天然な、的外れとも言えるアジムの言葉に、シニーは苛立った様子で噛み付いた。

 いや、むしろ常時苛立っているようにも見えるが、これが平常運転なのだろうか。


「まぁええわ……明日はアジム……自分が先陣切るんやで?」

「応。心得た」

「後のことは心配せんでええ……天才軍師シニー様に任しとき」


 天才を自称する、このエルフ……。

 堕徒ダートのシニーは、そう言いながら着込んでいた防寒具を脱ぎ捨てる。

 口調と態度もさることながら、晒されたその姿は、なんとも奇抜な物だった。

 長く美しい金髪は右側だけを刈り上げており、全て左側にまとめて流している。

 その剥き出しになった右側の側頭部に雷を模した刺青が確認できた。

 耳には複数のピアスをつけており、お世辞にも上品な装いとは言い難い。

 気品を重んじるエルフらしからぬ……と言えばそうかもしれない。

 だが、これもまた全てのエルフがそうだというわけではないということだろう。


「信。うぬの采配に委ねる」


 アジムは、そんなシニーに全幅の信頼を寄せていた。

 短気で気分屋で偏屈なこのエルフに、どうしてそこまで肩入れするのか?

 その答えは、少し前……オークたち部族間での争いの中にあった。

 繰り返すが、大多数のオークは血の気が多く、気性が荒い。

 故に、同じ種族同士にあって、優劣をつけるための内部抗争が後を絶たない。

 平和的に話し合いで解決するといった思考は、そもそも存在しないのだ。

 アジム率いる豪胆族は、そんな内部抗争に巻き込まれ、窮地に立たされていた。

 知恵者である異種族との混血ハーフは、他の部族から警戒され、敵視される。

 難癖をつけられ、突然襲撃を受けることも少なくない。

 複数の他部族と、立て続けに抗争が続いた豪胆族は、もはや疲弊し切っていた。


「なんや……自分ら少ない人数で、なかなかやるやないか」


 そこに唐突に現れた救世主……それがシニーだった。


 ──エルフは不倶戴天の敵!


 そう信じ込んでいたアジムたちは、警戒を強める。

 だが、そこで敵であるはずのシニーの方から、思わぬ提案が持ちかけられた。


「困っとるんやろ? ワイがなんとかしたろか?」


 この北の辺境……エルフなど居ようはずもない極寒の地に突然現れた、怪しい男。


 ──怪。正体不明の輩に、一族の命運、託すことなど……然し……。


 ここで決断を間違えば、豪胆族に未来はない……。

 悩んだ挙句、アジムが下した決断は、シニーの申し出を受け入れることだった。


「ええで……この天才軍師シニー様の采配で、自分ら勝利に導いたるわ」


 不敵な笑みを浮かべ、オークたちを一瞥する、不気味なエルフ……。

 大見得を切った言葉のとおり、その知略は他の部族を見事に出し抜いた。

 僅かな兵士、僅かな動きで最大限の効率を叩き出し、敵を圧倒する。

 まさに、アジムが求めていた、今のオークに足りないものがそこにあった。

 そして、この勝利が豪胆族の勢力を一気に強めるきっかけとなる。

 こうしてアジムは、ブルトガルドを代表する猛将として名を馳せることになったのだ。


「……おい、なにボーッとしてんねん、覚悟決まったか?」


 出会いといくさの想いに浸るアジムを、シニーが現実に引き戻す。

 自ら頬を張り、気合いを入れ直した疵面のハーフオークは、そこに低い声で応えた。


「応……我身既鋼、我心既空、一切灰燼!」

「ええな……ほな、あいつらしばき倒すための……作戦会議でもしよか」





「で……俺が、こういう役回りになるんだよなぁ……」


 最前線の北……雪に覆われた針葉樹林を行く、若手の騎士。

 使命を託されたエトスは、愚痴を溢しながらも一人探索を続けていた。


「この樹林から、俺だけで人一人ひとひとりを探し出せって? いや、無理でしょ……」


 数刻前の、幕舎での出来事を頭の中で反芻する。


 ──騎士の坊や……あんたにはやってもらいたいことがあるんだ。


 唐突にリィラから直々のご指名である。

 そのまま押し切られる形で引き受けることになったが、そこには条件が課されていた。


 ──大人数で捜索隊を編成するのは無しだよ? あっちに気付かれちまうからね。


 という指示の下、単独での行動を余儀なくされる。


「絶対、アズリーとかの方が適任だって……あいつなら魔法でパーッと見つけられたと思うんだよな……」


 確かに、アズリーの魔法であれば、容易に捜索もできただろう。

 だがリィラは、そこで魔法の使用を良しとせず、直接足で探すことを命じた。


 ──ま、坊やなら大丈夫だろう……一見、頼りなさそうだからね。


「ってか、選ばれた理由が一番解せないんですけど!」





「本当に、彼奴一人で大丈夫なのかえ?」


 幕舎の中、紅茶を嗜みながら、レミィは訝しげな表情でリィラに問いかけた。

 側仕えとして皇女騎士団から選抜された若手騎士の代表……。

 エトスは、レミィ直属の臣下の中では、おそらく一番……普通の人材だ。

 いや、他が例外すぎるというのも間違いではないが……。

 何れにせよ、この紛争地帯で一人探索に向かわせるには、少々心許ない。

 だが、そんなレミィの懸念を払拭するかのように、リィラは笑う。


「ハハハ、心配ないさ……あの坊や……流石は姫君の臣下といったところだねぇ」

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