第91話:確執と特別の裏

 吹雪舞う雪原……真っ白な視界の向こうには巨大な獣と人の影があった。

 岩のような大槌が容赦無く撃ち付けられ、地響きと共に恐怖が押し寄せる。


「撤退しな! ここはもうダメだよ……あれだけの数に攻め込まれちゃ、流石にアタシでも打つ手無しさ……」


 やや裾がほつれた緑のローブに身を包む、灰色の髪の女性。

 おそらく人間の……年齢は20代半ばといったところだろうか?

 少し浅黒い肌に蒼い瞳、端正な顔立ちのその女性は、大きな声で撤退を告げた。

 周囲の兵士たちは苦々しい表情で、槍の柄を地面に突き立て、悔しさを滲ませる。


「いや! まだイケる!」


 そんな中、一人の青年が高らかに声を上げた。

 その不敵な笑みを見るに、強がりではなく、本心から言っているようだ。


「余の剣は折れていない! 余の心も折れていない! つまり! まだ負けていない!」


 戦況を正しく理解できていれば、それが無理筋であることは明白だった。

 だが青年は無茶苦茶な理論を口にしつつ、握りしめた片刃の剣を掲げ、奮起を促す。


「なにバカなこと言ってんだい! 相手はあの氷巨人フロスト・ジャイアントだよ!?」

「バカで結構! 掴むぞ栄光! 余がやらなくて、誰がやる!?」


 ローブの女性が制止する言葉も聞かず、青年はまだ立ち向かうつもりでいる。

 動ける自軍の兵は、おそらく100にも満たない。

 対する、氷巨人フロスト・ジャイアントの勢力は約20人と30匹ほど……。

 数の上では優っているが、それだけで勝てる相手ではない。


「雪狼だけでも手に余るってのに、あんた一人で……」

「一人じゃない!」


 刹那、不思議な沈黙が周囲を包む。

 まるで、青年の声に制されたかの如く……音が消えたように思えた。


「まだ、共に戦う仲間がこれだけいる、そしてなにより先生がいる!」


 青年は、後方に控える騎士たち、そしてローブの女性の方に向かって両手を広げる。

 と、ニヤリと笑みを浮かべつつ、周囲に響き渡るような大きな声で思いを口にした。


「こんなもんじゃない! 白夜の魔女の計略は、単なる数や力に負けたりしない! でしょ? 先生!」


 その言葉で、もはや風前の灯だった騎士たちの心に、再び燃え盛る炎が宿った。

 先生と呼ばれたローブの女性……白夜の魔女リィラは、ため息をつく。


「……はぁ……やれやれ……」


 呆れた様子で、リィラは胸の谷間から煙管キセルを取り出し、指先に灯した火を入れる。

 そして、吹雪の中で紫煙を燻らせながら、青年の方をジト目で見つめて呟いた。


「まったく、無茶なお坊ちゃんだ……死んでもアタシのせいにするんじゃないよ!?」

「にひひ! 流石先生……まだ策があるんでしょ? よろしく頼みます!」


 不恰好なウインクをしながら、青年が右手を差し出す。

 白夜の魔女は、僅かな間を空けてその手を取り、強く握り返した。





「さて、この紛争の落とし所をどうするか……なのじゃが……」


 まだ煙管キセルの甘い香りが残る、大隊長の幕舎にて……。

 レミィは主要メンバーと共に、紛争鎮圧のための最重要ポイントを議論する。


「大義名分どころか、ただの言い掛かりですもんね……殿下、どうされるおつもりで?」

「さすがに、全員ぶっ倒して力押しで……ってぇわけにもいかねぇしなぁ……」

「僕の魔法で、催眠状態にするって手もあるけど……」

「魔導士サマ……それも力押しだよね……」

「ふん……あのオークどもを相手に、話し合いが成立するのか?」


 実情を知った臣下たちは、一様に頭を悩ませる。

 今回フェリシアは、一切口出しをせず、レミィの傍で給仕に専念していた。

 そう、この場を任せるべき者は、他にいる……。


「鍵は……わざわざこっちにコンタクトをとってきたっていう……エルフだね」


 皆が口々に意見する中、話の合間を縫って、ようやくリィラが口を開いた。

 レミィをはじめ、臣下たちは次の言葉を待って、沈黙を守る。

 と、リィラは手にしていた煙管キセルに葉を詰めながら皆の顔を見渡した。


「聞いた話じゃ、オーク軍の情報をいろいろと横流ししてくれたらしいじゃないか」


 指先に灯した火が入れられ、再び甘い香りが漂い始める。

 そのままリィラは、フーッと長いため息のように煙を吹き出した。


「それ自体が、罠って可能性もあるね」

「ですが、エルフといえばオークの天敵……誰よりもオークたちを憎む種族です……わざわざ我々を騙すような真似をするでしょうか?」


 もっともな正論で、リィラの言葉に異議を申し立てたのは騎士団長だ。

 同じことは、元指揮官のストルタースも言っていた……。

 エルフはオークの天敵だと……そして、人間もオークと分かり合うことはないと……。


「どうかな? それは断言できないよ」

「うん、ボクも同意見」


 そこに反論したのは、アズリーとアイディス……エルフとダークエルフの二人だった。


「いや……え? アズリー殿とアイディス殿が、それを言うのですか!?」


 まさか、エルフから反対されると思っていなかった騎士団長は、驚きを露わにする。

 予想外のところから出てきたその意見に、リィラは口角をあげつつ、問い返した。


「糸目の坊やに褐色娘さん……あんたたちは、どうしてそう思ったんだい? エルフと……まぁダークエルフも、オークは天敵って教わらなかったのかい?」


 その言葉に、二人は顔を見合わせる。

 と、まずはアズリーが口を開いた。


「僕に、そういうことを教わる機会がなかったというのもあるけど、先人の叡智を辿っても……オークを天敵とするエルフが“相対的に多い”というだけで、皆が皆というわけでもないよ」

「ボクも……うん、ギルドにはいろんな人種の人が居たからね。中にはゴブリンもリザードマンも……それこそオークも。でも、全部のオークが悪い人じゃなかったもん」


 アイディスもそれに続く。

 語り終えた二人からは、少し寂しさのようなものが感じられた。


「しかし……エルフとオークの対立は、神話の時代から続く、いわば神々の代理戦争とも言える種族間の抗争で……」


 だが、まだ納得がいかないといった様子で、騎士団長は食い下がる。

 それほど、この世界では、エルフとオークの不仲が常識として浸透しているのだ。

 世界中のどこで聞いても、誰に聞いても……。


「そんな固い頭だから、簡単に騙されちまうのさ……そもそも……」

「騎士団長様」


 ここまで沈黙を貫いてきたフェリシアが、リィラの言葉を遮って割り込んだ。

 その表情は、どこか憂いを帯びている。


「私は、太古の昔、闇の眷属との交わりから力を得たとされる、忌まわしき種族……有角種ホーンドです。本来であれば、このような場に同席させていただくことも適わぬような下賤の者……。そんな私が、レミィ様の専属侍女メイドとして、仕えることに、皇女騎士団の皆様は反感を抱いておられますか?」


 自らの出自を引き合いに出したフェリシアの言葉に、騎士団長は圧倒される。


「いや、まさか! フェリシア殿は特別です! 姫殿下の大事な臣下のお一人だと認識しておりますし、そこに反感など……皇女騎士団の誰一人抱いておりません!」


 やや早口に、しっかりとレミィにも聞こえるように、言葉を選ぶ。


「そうですか♪ では、他にもこう言った事例があるかもしれませんね♪」

「それは……どういう……?」


 先ほどまでの憂いた表情から一転し、破顔するフェリシアに狼狽うろたえる騎士団長。

 その言葉の真意が、まだ掴みきれていないようだ。


「やれやれ……そこまで言われて、まだわからないのかい? 曰く付きの有角種ホーンドであるその子を、あんたたち騎士団は受け入れたんだ……同じように、お互いを受け入れたエルフとオークが居ても、おかしくないって話だよ」

「ああ、なるほど!」


 補足があって、ようやく意味が理解できた騎士団長。

 そこにリィラは、まるで自分に言い聞かせるかのように、神妙な面持ちで続けた。


「ただね、良くも悪くもそれは “特別”なんだよ……そのエルフには、なにか裏があるはずさ」





「アジム……もうええやろ? これ以上、調査しとっても進めへん」

「……」

「返事せぇや……どうせ『しかり』か『否』しか言わんねやろけど……」


 吹雪が治まるタイミングを見計らい、アジムとシニーは小高い丘の上に移動していた。

 ここからなら、完璧に……とまではいかずとも、少しは周辺の状況が見渡せる。


「このショッボイ丘も、明日んなったら、あるかどうかわからへんねん……ちょっとでも向こうの陣見えとるうちに、全軍で攻めた方がええんとちゃうんか?」

「……」

「どうすんねん!?」

まどい……母の行方、未だ報せなし」

「アホか! 本陣にるに決まっとるやろが!」


 ──ワイが自ら、向こうのぼんくら貴族にオカン引き渡したんやからな……。


 思わず、本音が漏れそうになるのを抑え、シニーはアジムを煽る。


「いつまでも、人質が無事や思とったらあかんで? んなもん、利用価値無い思たら、すぐ殺しよるわ! 決断せぇ!」


 焦りを誘発させる、明らかな挑発。

 そこから長い沈黙を経て、アジムは何かを決断したかのように、カッと目を見開く。

 と、全軍へ向けて、この戦の要となるであろう命令を下した。


「……おう……明朝……全軍、敵本陣目掛け、突撃せよ!」

「よっしゃ! よう言うた!」


 その言葉を受け、シニーは満足げに頷きながら、相棒の背を強く叩いた。

 心の奥底に、黒い本音を隠したまま……。


 ──せやせや、んでアホ同士、勝手に殺し合えや……ワイのニルカーラ様のために。

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