第90話:人としての道理

「ハッ、救ったつもりはないねぇ。あの貴族の坊やが、後先考えずに突っ込もうとするから……ちょいと“知り合い”に協力をお願いしただけさ」


 これ以上黙っていたところで、互いに何か得るものがあるわけでもない。

 そう考えたリィラは、大隊長たちの熱意に応える形で詳細を語り始めた。


「お知り合いに……」

「協力……ですか……」


 こんな辺境に、そこまでの影響力を持つ協力者など居るのだろうか?

 いや、そもそも誰にも気づかれず、地形を変動させることなどできるのか?

 大隊長と騎士団長は、示し合わせたかのように二人で声を揃えて反応する。


「そうさ。針葉樹のスコットとスプリィス……あとギンさんにね」

「シンヨウジュのスコット殿? シンヨウジュ……信用……ん?」

「申し訳ない……リィラ女史……私たちの理解が追いつかないのですが」


 さらりと協力者の名を連ねられたが、どうしても頭に入ってこない。

 そこに冠された“針葉樹の”という言葉が、理解することを妨げていた。

 明らかにわかっていない様子の二人を見て、リィラはため息をつく。

 と、懐から煙管キセルを取り出し、指先に灯した小さな火を入れた。

 煙と共に甘い香りが周囲に漂う。


自然導士ドルイドってのはね、その名のとおり自然にまつわる力を操る導士なんだよ……魔導士が魔力で事象を紡ぎ出すように……自然導士ドルイドは自然の力を借りて、事象を引き起こすのさ」


 紫煙を燻らせつつ、目だけでこの場の全員の様子を伺う。

 そして、レミィ始め皆の聞く姿勢を確認すると、そのまま目を瞑り、話を続けた。


「……生き物の思考なんてのは、単純なもんでねぇ……オークだろうが人間だろうが、そこにたいした差はありゃしない」

「それは……どういう意味で?」


 煙管キセルを愉しむ合間に、騎士団長が相槌を打つ。


「自分たちがつけた目印だってだけで、盲信して疑わない……その、目印が動く可能性なんて考えちゃいないのさ」

「目印が……動く? 自然の力……まさか?」


 その言葉から何かを察したのか、大隊長は前のめりに先を促した。

 慌てるなと言わんばかりに、リィラはフーッと長い紫煙を息吹いて間を開ける。


「気がついたかい? あんたたちが吹雪の中、道標として刻んだ……あの目印が彫られた木に移動してもらったのさ」


 木の移動……植え替えということであれば、そこまで珍しい話でもない。

 それが樹齢数百年という大木でもない限り不可能ではないだろう。

 だが、それには相当数の人員が必要であり、一朝一夕で済むような作業ではない。

 つまり……。


「木が……自ら動いて移動したというのですか!?」

「アタシはそう言ったよ。“知り合い”の針葉樹に協力してもらった……って」


 何を今更と言わんばかりに、リィラは肩をすくめつつ紫煙を燻らせる。

 その言葉には、流石のレミィも驚きを隠せなかった。


「はやぁ……想像しておった“知り合い”とは、だいぶ違ったのじゃ……」

「地形の変動は!? 河川や丘が移動しているのは……」

「ああ、それは土と水の精霊だね……あの子たちにお願いして、夜中にちょいと引越しを手伝ってもらったんだよ」

「い、行く先々にあった、拠点の形跡は!?」

「適当に拾った武器とか……装備類を汚して放置しただけさ」


 矢継ぎ早の質問にも、澱みない答えが淡々と返ってくる。


「バカな……では、フェリシア嬢の言うように、あのオークの遺体も……」

「死体も凍っちまうような、このクソ寒い辺境で……真面目に検分するような奴が居るもんかい。土塊つちくれに豚の死体引っ付けた程度の偽装で充分だったよ」


 そう言って、リィラは煙管キセルを咥えたまま、口角を上げる。

 複雑な表情で俯く大隊長は、最後にもう一つだけ確認を重ねた。


「……では、オーク軍に対しても、同様のことを?」

「ああ、前に一回あったろう? あの……兵士たちの洗濯物が紛失した……あの事件」

「え? ええ……まぁ、予備も潤沢にありましたので、そこまで大きな問題にはなりませんでしたが……」

「あれは、アタシがちょいと拝借したんだよ……こっち側の拠点偽装用に、ちょいとだけね」


 悪びれもせず、ハンドサインで少しだけという部分を強調しつつ、ウインクを返す。

 老婆の姿はしているが、その行動は割とあざとい。


「まぁ、あんたたちもオークも、好き勝手に彫り物してくれたからねぇ……“知り合い”は皆、喜んでアタシに協力してくれたよ」


 そう言って煙管キセルをトンッと叩くと、手のひらの上に灰を落として握りつぶす。

 一見、火傷しそうにも見えるが、リィラは気にした様子もない。

 今日までの一年あまり、最前線で起きていた紛争の真実……。

 その全容を知った大隊長は、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 と、この時点で、騎士団長の方に新たな疑問が浮かび上がってくる。


「リィラ殿……私からも一つよろしいでしょうか?」


 僅かな沈黙を経て、リィラは視線だけで続きを促す。

 やや圧も感じたが、騎士団長は臆することなく、本音をそのまま打ち明けた。


「ここまで戦場を制御できるのであれば、我が軍を勝利に導いていただくことも可能だったのでは?」





「で? これが次の目印かいな?」

しかり


 伝令の報告を受けたシニーとアジムは、周辺の木に記した目印を確認していた。

 行軍のための道標は、敵の兵に看破されるような、わかりやすいものではない。

 気をつけて探さなければ認識できない程度には、自然に溶け込むよう偽装されている。

 そんな、友軍が記したと思しき目印に……拭いきれない違和感があった。


「いや、なんぼ感覚ベースの計測や言うてもなぁ……流石に、前のんと近すぎるやろ……」

「……しかり


 兵たちには、一定の間隔を空けるよう指示を出している。

 だが、いまアジムたちが辿ってきた二つの目印の間隔は、想定以上に近かった。

 吹雪の中、これを道標として進軍すれば、明らかに混乱していただろう。


「向こうの連中に、意匠バレたんとちゃうか? 混乱させよ思て、彫りよったとか」

「否。この印に偽装の形跡無し……紛うこと無き、我らが兵の刻みし印なり」

「ほななんや……自分らが印つけた木が動いたっちゅうんか? んなアホなことあるかいな」


 仮説はすぐに否定され、話が先に進まない。

 終始冷静なアジムに対し、シニーは苛立ちを露わに当たり散らす。

 その時、吐き捨てるように口にした言葉……。

 そこにヒントがあった。


「木……自ら……。否! それこそが真理! 高位の自然導士ドルイド……敵軍に智将在り!」

「はぁ? こんだけの木、知らん間に操れる自然導士ドルイドなんか、どこにおんねん」


 思い当たることがあったのか、アジムは突然目を見開き、珍しく大きな声をあげる。


「この樹林に住まう、白夜の魔女……天資英明のリィラ……あの者が帝国に与していれば、あるいは」

「なんやて!? なんで、そんな奴が!? いや、そもそも魔女は中立やろ!?」


 アジムが口にした、二つ名を持つ人物。

 その名を耳にしたシニーは、明らかに動揺した様子を見せる。


しかり。されど魔女の思考には理解及ばず……」


 流石のアジムも、この事態は想定していなかったのか難しい顔をしている。

 シニーは苦々しい表情で、木に記された目印を見つめながら呟いた。


「やられたわ……ほな、たぶん結構前から、自分ら踊らされとるで……」

「……しかり……」





 ──我が軍を勝利に導いていただくことも可能だったのでは?


 騎士団長の言葉は、まっすぐな期待と、もやもやした疑問の入り混じったものだった。

 リィラは、充分に実力を持った自然導士ドルイドであり知恵者だ。

 とはいえ、敵も精強なるオーク軍……容易に勝利を得ることは難しいだろう。

 問題は、できなかったのか……それとも、やらなかったのか……。


「なんでアタシが、あんたたちを勝たせなきゃならないのさ?」

「え? いや……え?」


 その答えは、あまりにもあっさりと返ってきた。

 想定外の回答に、騎士団長は上手く言葉が出てこない。

 リィラは、既に火の消えた煙管キセルを弄びながら話を続ける。


「さっきも言ったろ? アタシはあんたたちを“救ったつもりはない”ってねぇ。アタシにとっちゃ、オークが勝とうが帝国が勝とうが、どうだっていいのさ」

「リィラ殿! それは……」

「ただね!」


 リィラは、反論しようとした騎士団長を制止するように煙管キセルの先を突きつける。


「この樹林を……無駄な血で穢したくないって想いがあるんだよ」

「樹林……を……ですか」

「ああ……だから、あんまり深くあんたたちと関わるつもりはなかったんだけどさ……そうも言ってられない状況になってきたからねぇ」


 自然の力を糧とし、共に在らんとする自然導士ドルイドならば当然の考え方だろう。

 そこには大隊長も騎士団長も、なにも意見することはできなかった。

 ほんの僅かな間、沈黙の時が刻まれる。


「さて……どこまで知ってるんだい? 姫君も角娘つのむすめさんも……」


 唐突にリィラは、ここまで何も口を挟まなかったレミィたちの方へと矛先を向けた。

 完全に虚をつかれたかに思われたが、フェリシアは澱みなくそれに答える。


「おそらく、今からリィラ様がお話しされようとしているところまでは……」


 どういう意味にでも受け取れるような回答。

 だが、その表情からは、明らかに何かを知っている者の余裕が伺える。


「そうかい……じゃ、遠慮なく言わしてもらうよ?」

「うむ、わらわが許すのじゃ」


 レミィからのお墨付きももらった。

 不要の問答を避け、リィラは単刀直入に事実を大隊長と騎士団長に突きつけた。


「前の指揮官……あの貴族の坊やは、人として越えちゃいけないラインを越えちまったんだよ」

「は?」

「と、申されますと?」


 至極、当然の反応だろう。

 人として越えてはいけないラインを越える……など、そうそうあることではない。

 だが、続くリィラの言葉を聞いた二人は、自分の耳を疑った。


「今回の紛争のきっかけを作ったのは帝国側……オークの集落から人を攫ってきて、監禁してたんだよ。で、それを指示し、実行したのが前の指揮官……あの貴族の坊やさ」

「それは……つまり……」

「そう、今回の紛争……帝国側に大義名分はないのさ。勝っても負けても侵略者……例えそれが自国の領内、支配下にある従属国との間で起きたものだとしても、わざわざ戦争をするために相手の国から人を攫ったってことにされるだろうね」


 絶句する、大隊長と騎士団長……茫然自失とは、まさにこのことだろう。


「帝国の印象としては、最悪じゃのう……」


 レミィの一言が、追い打ちをかける。

 自分たちが正義と信じていたものが、音を立てて崩れていった。

 知りたくなかった事実……だが、事実を知ったからこそできることがある。


「この争いを……終わらせましょう!」

「ええ、私も姫殿下の……帝国のために、死力を尽くします!」


 大隊長と騎士団長は、拳を握りしめ、その決意を皇女の前で宣言した。


「というわけでのう、参謀役……帝国の威信を守るためにも、しっかりと指揮をたのむのじゃ!」


 それを受けて、レミィは改めてリィラの方へと向き直る。

 と、満面の笑みで手を差し出し、握手を求めた。

 僅かな間はあったが、リィラもその手を取り、協力することを約束した

 ふと、白夜の魔女の脳裏に、懐かしい景色が思い浮かぶ。


「やれやれ……変なところまで、皇帝陛下ちちおやにそっくりだね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る