第89話:大自然と戦の記録

「ハーッハッハ、姫君も、おかしなことを言うねぇ……こんな婆さんが、そんな大それたことできると思うのかい?」


 大隊長に告げたレミィの言葉を一笑に付したのは、他ならぬリィラ本人だった。


 ──この老婆が、訓練された兵士たちを手玉に取っていた。


 そう言われてすぐに、はいそうですか、と信じられる者はいないだろう。

 ましてや、帝国兵士ばかりか相手方オーク軍まで……ともなれば尚更のことだ。


「ふむ……じゃがのう、いくさの記録が、それを証明しておるのじゃ」

 だが、レミィは珍しく真面目な表情で、フェリシアの用意した資料を指差した。

いくさの……記録?」

「なんと、そんなものが!? さすがフェリシア殿!」


 大隊長と騎士団長は、レミィの指差す場所を改めて見やる。

 と、そこには、ここ数ヶ月間の戦場の記録が事細かく記されていた。


「こんなもの……どうやって……?」

「アズリー様とアイディス様の情報を元に……あとは、陣中の皆様に直接お伺いして参りました♪」


 大隊長のもっともな疑問に、フェリシアは笑顔で答える。

 事前に下調べをした上で、現場の者からも情報収集したということらしい。

 実際、この最前線で戦ってきた者の目からも、納得できる資料がそこにはあった。


「こ……これ……は……!?」

「気がついたかのう?」

「姫殿下、どういうことなのか、私にはイマイチわかりません! ご教示いただけますか!?」


 大隊長は何かに気づいたようだったが、騎士団長は少し首を傾げている。

 矛先を向けられたレミィはそのままフェリシアに話を振った。


「フェリシア……頼むのじゃ」

「はい♪ この時点から、オーク軍との戦闘規模が極端に小さくなっています。互いに離れた地点からの牽制のみで、負傷者もあまり出ていません。これは、ちょうどリィラ様がここにお越しになった時期と一致していますね」


 フェリシアに促され、大隊長と騎士団長は資料の方へと目をやる。

 そこには交戦回数と戦闘の規模、負傷者数などがわかりやすく数値化されていた。

 そしてそれらは、ある時期……リィラが現れた時を境に大きな変化を見せている。


「いやしかし、たまたまタイミングが一致しただけで……これだけでは、この老……リィラ女史が何かをしたという証明には……」


 大隊長は、まだ納得できないと言った様子でフェリシアに反論する。

 騎士団長も、口にこそ出さないが、表情を見るに同意見と言ったところだろう。

 フェリシアは、一旦レミィの方へと目を向ける。

 そして、主人あるじが無言で頷いたことを確認すると、そのまま続けて次の資料を提示した。

 それは、先の資料にもあった、簡略化された周辺の地図だった。


「これは先ほども見せていただいた周辺の地図ですね! それ……を時系列で並べたもの……でしょうか?」


 何気なく卓上に広げられた、複数枚の地図。

 一見すると、ただ季節ごとの戦果が記されているだけのようにも見受けられる。

 だが、大隊長の目には、明らかに違和感のある情報が飛び込んできた。


「……まさか……いや……そんなバカな……」

「ん? 大隊長殿……なにかおかしなところが?」


 未だに何も理解できていない騎士団長が重ねて問う。


「道……いや、地形か……こんなところに……」

「みち? 未知の情報が地図に記されていたのですか?」


 その違和感を、うまく言葉にすることができず、二人の会話は噛み合わない。

 そんな問答の合間を縫って、レミィは確認するように問いかける。


「最前線の兵士諸君が思っておった地形とは、随分と違うのではないかえ?」

「はい……その、敵の拠点も……我々の中継基地も……全く位置が違います……」


 少し冷静さを取り戻した大隊長が答えを返す。

 騎士団長の言うように、地図の情報が間違っているということなのだろうか?

 未だ、怪訝な表情で地図を見つめる大隊長。

 そこに、フェリシアの口から信じ難い真相が告げられた。


「では、答え合わせをしましょうか♪」





 フェリシア曰く、提示した地図の情報に誤りはないとのこと。

 現状、この周囲の最新情報は、目の前にある地図に集約されている。


 ──どうして、そこまで確信を持てるのか?


 そう問われれば、実際に見てきた者が居るからと答えるしかないだろう。

 だが、いくつもの小高い丘に、氷の張った河川と針葉樹林が広がる移動困難な地形。

 吹雪けば、もはや自分たちの位置を把握することすら難しい、極地の戦場である。


 ──どうやって、この短時間で現地へ赴き、調査することができたのか?


 その理由は、レミィの臣下に特殊な人材が揃っているからに他ならない。

 飛行できるアズリー、影の中を移動するアイディスは、地形の影響を受けない。

 特に、アイディスに至っては天候の影響すら受けないのだ。

 何も遮るものがない以上、移動には一切支障がない……実にシンプルな答えである。

 では、ここからが本題だ。


 ──その正確な地図の情報と、大隊長との認識に、なぜ乖離があるのか?


「それは……時期によって、周辺の針葉樹林が移動しているからです」

「な? そ、そんなこと……あるわけがない!」


 その言葉に、大隊長は強い否定の姿勢を見せる。

 当然と言えば当然……突拍子も無いこの言葉を、信じろという方が難しいだろう。

 だがフェリシアは狼狽うろたえた様子もなく、笑顔を絶やさぬままに話を続けた。


「厳密には丘も若干変形していますし、河川の位置も変わっています。ここの皆様は、広範囲に展開しているように錯覚しておられたかもしれませんが、その実……軍事前線フロントラインと思しきエリアは……たったこれだけです」


 目の前の侍女メイドが指し示した地図の範囲。

 それは、決して広いとは言えない……極めて限定された区域だった。


「そんな……では、行軍の度に発見していた、敵軍の野営地跡や移動の痕跡はどう説明するのです!?」

「おそらく、何者かが意図して配置したダミーの痕跡です」


 興奮気味な大隊長の反論にも、フェリシアは澱みなく応える。

 ここまで戦い続けてきた者にとっては、あまりにも信じ難い内容である。


「何度か見かけた……オークの遺体は……」

「遺体を持ち帰られましたか? その上で、しっかりと検分なさいましたか? 本当に、それはオークの遺体でしたか?」


 納得に至るまで、大隊長はさらに反論を重ねる。

 そこにフェリシアは、優しい口調で……諭すように質問を返した。


「それは……そこまでは……」

「おそらく、土と何か別の生き物の骸で構成された、見せかけの遺体……ではないでしょうか……ねぇ? リィラ様?」


 自分の出番はここまで……と、フェリシアは笑顔のままに視線を送り、話を振る。

 と、リィラが肩をすくめ、何かに呆れたような様子で語り始めた。


「やれやれ……どうやってそこまで調べたのかねぇ……概ね正解だよ。まったく、姫君の連れてきた子たちには化け物しかいないのかい?」


 レミィは満面の笑みで、その言葉に応える。


「にひひ、自慢の臣下たちなのじゃ!」





「いや、最近全然向こうさんと会えへんな……どないなっとんねん」

しかり……」


 吹雪の中、ゆっくりと行軍を続けていたオークの一団。

 彼らが辿りついた先には、すでに放棄された帝国軍の小規模な中継基地があった。

 直前まで、ここに駐屯していたであろう帝国兵士たちの痕跡が残されている。

 慌てて逃走したのだろうか?

 いくつかの資材や、道具類などが回収されぬままに放置されていた。


「まぁ斥候が3人いうとこか? 火の跡あれへんけど……いうて狼煙あがってまうからなぁ……」

「……」


 分厚い防寒着を身につけたエルフが、全体の様子を見渡し、感想をそのまま口にする。

 本来の線は細いのだろうが、周辺のオークたちと同程度までには着膨れしていた。


「いや、なんか返事せぇや……」

「否。この場に兵の気配なし」


 返事がないことに苛立ったのか、エルフの青年は不機嫌そうに食ってかかる。

 そこに傍のハーフオーク……アジムから意図しない返事が返ってきた。


「はぁ? 何言うてんねん……自分とこの斥候が見つけてきたんちゃうんか、ここ」

しかり。されど、この場に在りしは虚構の残滓」

「いや、わかりにくいねん! もっとわかりやす言えや」


 エルフの青年はさらに語気を強めるが、アジムは意に介した様子もなく淡々と応える。

 その険悪な雰囲気が漂う中、二人の間にオークの伝令が割り込んできた。


カシラにシニーの旦那……ちょっと、聞いてけろ」

「なんや!? 今こっちゃ忙しねん!」

「応。話せ」

「無視かーい! 腹立つやっちゃなぁ……ほんま」


 本気で怒っているのかどうなのか?

 シニーと呼ばれたエルフの青年は、独特の口調でひとちる。

 そんな彼を尻目に、アジムは伝令からの情報に耳を傾けた。


「それがの……1番、2番と印どおり進んでるはずなんだべが……この先にあるはずの3番が無くてよ……吹雪で見落としたかもしんねが……」

「……」

「ちょ……今なんて?」


 しっかりと話は聞いていたのか、熟考するアジムに代わり、シニーが口出しをする。


「今? あー、吹雪で見落としたかも……って」

「アホ、自分らで印つけたとこ歩いとんのに、見落とすわけあらへんやろ!」

「ひぃ!」


 伝令に罵声を浴びせるシニーを宥めるように、アジムは無言のまま手で制止する。

 と、舌打ちしつつも、一応はおとなしく引き下がる。


「チッ、わーっとる……自分とこの兵士に手ぇ出せへんて」


 だが、その胸中には、耐え難いほどの不快感が渦巻いていた。


 ──マジか……これ、だいぶやられとんのとちゃうか!?





「まぁ、とはいえ……その実どうやって地形を変化させたかまでは、わかっておらんのじゃが……」

「そうだねぇ……流石にそこまで言い当てられちゃ、アタシも自信失っちまうよ」


 レミィの言葉に、リィラは不敵な笑みを浮かべながら応える。

 縮れた白髪に浅黒い肌、曲がった腰のせいで背丈はレミィより少し高い程度だろうか。

 経験が深く刻まれたその容貌は彫りが深く、若い頃は大層美人だったに違いない。

 昔は自然導士ドルイドとして、あらゆる場所で活躍していたと聞いている。

 だが今は……ボロボロのローブを身に纏った、ただの老婆に過ぎない……。

 そう思っていた……。

 大隊長をはじめ、この最前線に居るほとんどの兵士たちが、その力を見誤っていた。


「リィラ殿……よろしければ姫殿下と……私どもにも教えていただけませんでしょうか?」

「私も……この大隊を預かる長として、知っておく必要があるでしょう……」

「おや? アタシに何を教えて欲しいって言うんだい?」


 とぼけた様子で問い返すリィラに対し、大隊長と騎士団長はハッキリと答えた。


「この最前線を、どうやって救ってくださったのか……です!」

  

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