第88話:合戦と舞台裏の真実

「姫君……何かあったのかい? 浮かない顔をして……」


 宴の最中、現地で指南役として招かれたという、あの老婆がレミィの元を訪れた。


「はや? 客人の前でそんな顔をしておったかえ……それは失礼したのじゃ……」


 陣中を見渡しつつ、考え事をしていたレミィは不意を打たれる。

 ついついストルタースの愚行が頭をよぎり、難しい顔をしていたようだ。


「いやいや……ここを指揮していた、貴族の坊や……あれの後始末はたいへんだろうよ……」


 老婆は訳知り顔で、目を瞑ったまま大きく頷く。

 この辺りの先住民……大自然の力を操る術者だとは聞いているが、謎の多い人物だ。


「挨拶が遅れてしまったのう。わらわは、レミィエール・フィーダ・アズ・グリスガルド……神聖帝国グリスガルドが皇帝の娘……そして、先ほどここの指揮権を譲り受けた者じゃ」

「これはこれは、ご丁寧に……アタシはこの辺りの先住民……自然導士ドルイドのリィラってもんだよ」


 レミィは高台から飛び降りると、老婆に対して敬意を表し、正式に名乗りをあげる。

 対する老婆……リィラはそれに応えるよう、軽く会釈をするだけだった。

 明らかに皇族に対する物言いや態度ではないが、レミィはそれを気にした様子もない。

 随分と距離感は近いようにも感じられるが、敵意はないようだ。


「いやぁ……姫君のお父上、皇帝陛下には良くしてもらってねぇ……おかげで、この辺りも随分住みやすくなったもんだよ」

「はやぁ……そうなのかえ?」


 聞けば、十数年前まで、この辺りには凶暴な魔獣どもが巣食っていたらしい。

 人が住む場所の環境に適応するように、魔獣も環境に適応する。

 その適応能力は人よりも遥かに高く、永きに渡り周辺住民の脅威となっていた。

 先住民も応戦はしたが、環境に特化した魔獣が相手とあっては、簡単な話ではない。

 そこで、救いの手を差し伸べたのが現皇帝……レミィの父だという。


「ふむ……あの父上が、戦場で活躍したとは……信じ難いのじゃ」


 皇帝ちちおやに対するレミィの認識は、温厚篤実という言葉そのものである。

 だが、この北の辺境における魔獣掃討作戦での活躍は、有名な逸話として残っていた。

 数名の近衛騎士を伴った皇帝は、炎を纏った剣を携え、最前線で戦ったと……。


「いやぁ、それはそれは……勇壮な姿だったねぇ」

「ぬー……後でおとなしく、指揮をしているタイプかとばかり思っておったがのう」


 その実、皇帝の武勇を記した文献は帝国内外に数多く存在する。

 中には、神聖帝国グリスガルドの成り立ちにも関わる、重要な伝承もあるのだが……。

 レミィの中にある皇帝ちちおや像と、その伝承には食い違いがあるようだ。


「まぁ、そんな話はどうでもいいのじゃ。まずは、目の前のオーク軍との紛争に決着をつける……それが指揮権を譲り受けたわらわの役目なのじゃ。この辺りの案内も含め、力を貸してくれるかのう?」


 武勇伝の語りに入りそうな流れをぶった斬り、レミィは今為すべきことに目を向ける。

 父親こうてい愛娘レミィに見直してもらうための絶好の機会は、儚くも消えた……。


「ああ、もちろんさ……姫君には、ちゃんと話が通じそうだからねぇ」


 新たな指揮官の申し出に対し、リィラは協力を快諾する。

 戦場に出向くやも知れぬという状況にあって、その表情はどこか楽しそうにも見えた。


「うむ、まずは……状況の整理からじゃのう……相手は……」

「あのオークたちは……顔のペイントからするに豪胆族だねぇ。一族の結束も強いから、連携の取れた動きには注意が必要だよ。あと、数は……200から300の一個中隊ってところかねぇ。リーダーはハーフオークの闘士アジム……素手で熊をも狩ると言われる強者で、おまけに頭もキレると噂の、優秀な将さ」


 現状の把握を試みようとした矢先、リィラが虚空を見つめながら滔々と語り出した。

 部族の特定とその規模、敵将の特徴……他にも詳細な情報を余す所なく告げる。

 まるで、全てを知っていたかのように……。


「はやぁ……随分と詳しいのう……」

「まぁ、この辺りには“知り合い”も多いからねぇ……全部教えてくれたんだよ」


 レミィの言葉に、リィラは含みを持たせた応えを返す。


 ──ぬ? 知り合いとな?


 新たな疑問が湧き上がり、もう一度問いかけようとしたその時……。

 レミィのポーチから光が放たれる。


「おや? その光は……」

「む……しばし待つのじゃ」


 リィラの視線を切るように振り向きつつ、そっと予言書のページを開く。

 そこに書かれていたのは……。



 ■19、指揮権を引き継いだ君は……

 A:既知の戦士に用兵を委ねた。 →70へ行け

 B:未知の導士に用兵を委ねた。 →124へ行け



 ──これは……狙い澄ましたかのような選択肢なのじゃ……。


 指揮権を譲り受けると決断してから、ずっとレミィが思案していたことだった。

 兵への指揮……用兵に自信がないのであれば、誰かに委ねれば良いのではないか……。

 集団戦闘の実戦経験がある者、知識を持っている者に任せることはできないか……。

 だが、そうは言っても、適任者に心当たりがあるわけでもなかった。

 フェリシアはもちろん、アイディスや技師のブルードにはそんな経験はないだろう。

 アズリーも……頭はいいが、部隊を率いて戦うといったタイプではない。

 強いて言えば、国境警備隊長だったラーズか、帝国騎士団所属のエトスだろうか。

 あるいは、皇女騎士団団長か……元々ここの大隊長だった者という選択肢もあった。

 だが、どれも決定打には欠けている。

 おそらく騎士団長と、ここの大隊長はその才を持っているだろう。

 とは言え、今更この状況から、責任だけを押し付けるような真似はしたくなかった。


 ──ここで、もう一つの選択肢が……未知の導士……ということかえ。


 選択肢のページに人差し指を挟み、先の記述に目を通す。

 ざっと見る限りは、どちらの選択肢を選んだところで大きな差は無いように見える。

 ただ、既知の戦士に委ねた際の……“圧倒的な勝利”という文言がひっかかった。

 未知の導士に委ねた場合、その言葉は記されていない……。


 ──これは、ラーズが一人で終わらせてしまう……という意味な気もするのじゃ。


 この些細な記述の違いが、もう一つ先の未来にどう言った影響を及ぼすのか……。

 今の段階では見当もつかない。


 ──むー……それこそ、未知の部分は多いのじゃが……。


 タイミングを鑑みても、この未知の導士とは……リィラのことを指しているのだろう。

 そう考えたレミィは、予言書を閉じて、背後にいる老婆の方へと改めて向き直る。


「どうしたんだい、姫君……また難しい顔をして……?」


 そして意を決し、この戦いの鍵……となるかも知れない人物に、望みを託した。


「リィラ女史……次の戦いは、参謀役もお願いできんかのう?」





「というわけで、このリィラ女史に参謀役をお願いすることにしたのじゃ」

「なにが『というわけ』なのかは、さっぱりわかりませんが……皇女殿下がそう仰るのなら……問題ありません」

「皇女騎士団! 姫殿下の決定に異論ございません!」


 翌朝、幕舎内にて、レミィは大隊長と騎士団長に明確な指揮系統を伝える。

 それなりの反発も覚悟していたのだが、あっさりと受け入れられたようだ。


「いいのかい? アタシみたいな、どこの馬の骨かもわからない現地の平民に……こんな大事な役割を任せちまって……」


 帝国の紋章が刺繍された士官用の外套を身に纏い、リィラは改めてレミィに確認する。

 大役を仰せつかったことに緊張を隠せない……といった様子ではない。

 むしろ、どこか楽しんでいるような雰囲気すら感じられた。


「うむ、実力のあるなしと、身分は全く関係ないからのう」

「おや……姫君は随分とアタシを買ってくれてるようだねぇ」

「あの厳しい状況下で、ここまで被害を抑えてくださったのですから……レミィ様が評価されるのは当然です♪」


 それに応えたのは、複数枚の資料を手に幕舎に入ってきたフェリシアだった。


「おお、フェリシア! 資料の方はまとまったかえ?」

「はい、もちろんです♪」


 中央に置かれた円卓の上に、フェリシアが資料を並べ始める。

 そこには、レミィの臣下たちが集めてきた情報が、事細かに記されていた。


「こ、これは……?」

「おやおや……この角娘つのむすめさんは優秀だねぇ……よくこの短時間でここまでまとめたもんだよ」


 手にした資料……その内容と高度な書記能力に、大隊長は驚きを露わにした。

 リィラは、満足げにその資料を眺める。

 簡略化した周辺地図には、敵陣の位置や罠のポイントが明確に印をつけられていた。

 オークたちの戦術、行動パターンなどもわかりやすく注釈が記してある。

 こちら側の兵士の状況や、所有している資材の残数もまとめられているようだ。


「まずは敵を知ること、そして己を知ること、その情報を吟味して……そこから、最適な次の一手を考える……だったかのう?」

「姫君は素直だねぇ……そうだよ。でも、まずは自然の……周囲の声に耳を傾けるのさ」


 リィラは目を閉じて両手を広げ、体全体で何かを受け止めるような仕草を見せる。

 それが、自然の声を聞く……ということなのだろうか?

 大隊長と騎士団長は空気を読んだのか、とりあえず同じポーズを試みていた。


「まぁ、わらわ自然導士ドルイドではないからのう……自然の声が聞こえるかどうかはわからんのじゃが……」

「でも、リィラ様のお言葉に従っていれば、次はもっと被害を抑えて……紛争を鎮圧することができるかと思います♪」


 レミィの言葉に合わせるように、フェリシアが大隊長と騎士団長に進言する。

 その言葉を疑うではないが、大隊長は湧き上がる疑問を口にせずにはいられなかった。


「一つよろしいですか?」

「うむ、よかろう……なのじゃ」

「先ほどから……まるでリィラ女史が、今までの被害を抑えていたかのように仰っておられますが……それはいったい……?」


 恐れながら、といった調子で大隊長はレミィとフェリシアの両名に問いかけた。

 二人は目を合わせ、どう答えたものかと思案しつつ、沈黙を挟む。


「まぁ、気がつかなかったとしても、仕方がないかもしれんのう……」

「と、申されますと……?」


 自分から語ろうとしないリィラを横目に、その疑問に答えたのはレミィだった。


「どうやら、この者は……正面衝突で大規模な戦闘にならないよう……こちらの兵はもちろん、敵の兵までも誘導しておったようなのじゃ……」


 衝撃の事実を告げられた大隊長は、前のめりでもう一度確認を重ねる。


「こ、この老婆がですか!?」

「そう、この老婆が……じゃ」

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