第87話:異種族と混血の私生児
見渡す限り雪に覆われた北の辺境、その小高い丘の麓にある自然の洞窟。
自らをブルトガルド決死隊と名乗るオークの一団は、そこに本陣を敷いていた。
オークはヒト型種族の中では大柄で、男女問わず基本的に丈夫である。
環境の変化にも強く、この雪の中でも、防寒用の装備を身につけている者は数少ない。
故に、兵たちは身軽であり、その行軍も迅速だった。
「
「応! ご苦労、次に備えよ」
訛りの強い共通語で告げられた報告に応える、オークにしてはやや小柄な疵面の男。
比較的人間に近い容貌を見るに、おそらく人間との
筋骨隆々の肉体にも刻まれた無数の疵痕は、男が歴戦の猛者であることを物語る。
肉体的には恵まれているものの、知性においては他の種族に劣ることは否めない……。
そんな彼らは、時として意図的に異種族との
最も多いのは、異種族の女性がオークの男性に襲われるという事例だろう。
寿命が短く繁殖力が高いという種の特性が、異種族間の生殖を可能としているようだ。
そういった背景もあって、オークは他の種族から敵対者として忌み嫌われていた。
こうして生まれた子はすぐに親と引き離され、部族の戦士として厳しい訓練を受ける。
一方で母親は、その集落で囚われの身となり、そこで一生を終えることになる。
望まぬ環境に望まぬ子……生きる希望を失い、自ら命を断つ者も少なくない。
だが、必ずしも全ての
愛され、望まれ、産まれてくる子もわずかながらに存在する……そう、ごく稀に。
「
「否! 焦りの先に光明なし。敵戦力確認を優先せよ」
力を持て余し、今にも暴走しかねない兵を宥め、疵面の男は次の指示を出す。
暴力での単純解決を常とするオークたちの社会では、異端とも言える慎重な姿勢。
この姿勢こそが、“智”を得た……という証明なのだろうか。
そんな異端者たる
「いやぁすごいわ……兵の士気、上がりっぱなしやん」
「
機動性を重視した軽装の兵士たちの中に一人、防寒具完全装備で臨む者。
それは、この場に最もそぐわぬ種族、オークの天敵たるエルフの男性だった。
「ほんま……この調子やったら、ワイの出番あらへんな?」
「否。戦場にて、我に采配を振るう余裕なし。
天然の石で設えた高座に胡座をかいたまま、疵面の男はエルフの方を見据える。
その目には、言葉よりも遥かに強い圧のようなものが感じられた。
「冗談や……んな怖い目で見んなや。まぁ、オカン早よ助けなあかんしなぁ?」
疵面の男の眼光にも怯まず、少しおどけた様子で応える。
エルフの年齢を見た目から判別することは難しいが、やや世慣れた様子は見てとれた。
オークとエルフ……決して交わることのないはずの二つの種族。
彼らがなぜ共闘体制にあるのか……今のレミィたちは知る由もなかった。
「え? こ、これ、お風呂ですか?」
「はい♪ ブルード様がご用意くださった移動式湯浴み施設『湯ったり君』です」
天幕に囲まれた浴槽らしき設備を前に、驚いた様子で問いかける女性兵士たち。
設備全体が
「わぁ……お湯ですよ……あったかそう……」
レミィ率いる皇女騎士団の面々が訪れてから、最前線の様子は一変した。
この極寒の地で、凍死覚悟の水浴びをするわけにもいかない。
衛生面の劣悪な環境から、特に女性兵士たちの士気は下がる一方だった。
加えて、指揮官ストルタースに“いろいろ”と強要されることもあったようで……。
──彼奴、わかりやすく処すかのう?
何れにせよ、精神的にも肉体的にも限界にきていたのだ。
そこに訪れたのがレミィたちである……まさに救世主といっても過言ではない。
「のぞき対策はご安心ください!」
「我々、皇女騎士団花組が万全の体制で監視しておりますので!」
視察を始めた当初、レミィは男性だけで構成された騎士団と旅をしていた。
レミィ自身は不便を感じていなかったが、騎士からはいろいろとあったようで……。
──朝は、目のやり場に、ちょっと……。
──姫殿下のお召し替えに、同席させていただくのは……その……。
フェリシアが採用されたこともあって、その手の問題も一旦は解決した。
だが、騎士たちが対処すべき事象は、何もそれだけに限ったことではない。
状況によっては女性が必要であると感じたレミィは、そのことを皇帝陛下に進言する。
こうして女性騎士だけで構成された、皇女騎士団花組が設立される運びとなった。
同性であるということは、大事な安心材料の一つである。
最初は戸惑っていた女性兵士たちも、徐々に打ち解けていく。
「じゃ、じゃぁ……遠慮なく、お湯いただきますね!」
「アタシもっ!」
傷んだ髪を気にしながらも、皆、最後には満面の笑みで湯浴みへと向かっていった。
勇猛なる帝国兵士たちも、この瞬間だけは年相応の女の子に戻ることができたようだ。
「ラーズ……あの『湯ったり君』って名前、誰がつけたんだ? ちょっと、ネーミングセンスが……」
「あ? 姫さんだろ?」
「あ……あーそう? いやぁ、どおりでいい名前だと思った、うん、そうか殿下か……」
「いや、ひでぇ名前だろ……」
エトスの白々しい反応に、ラーズは呆れた様子で応える。
それはそれとして……男性兵士たちも、酒を片手に休息のひと時を堪能していた。
幕舎の前、少し開けた場所には簡単な宴席が用意され、皆が笑顔で歓談している。
「レミィエール皇女殿下、本当に宜しいのですか?」
「ぬ? 何がじゃ?」
大隊長の幕舎前に組み立てられた、レミィが立つためのちょっとした高台。
兵士たちが宴に興じる中、大隊長は一人その傍にて直立不動の姿勢を保っていた。
「このように気が抜けた状態で……もし、今襲撃されたらと思うと……」
「心配いらん。周辺はアズリーとアイディス……二人の精鋭が警戒体制を敷いておるのじゃ」
「はっ! 皇女殿下が、そう仰るのであれば!」
──まぁ、
高台の上から、レミィは陣地の全域に目を配りつつ、大隊長を労う。
「まずは、皆に英気を養ってもらわねばならんのじゃ……それには、貴様も含まれておるからのう」
「はっ! ありがたきお言葉……では」
大隊長は、深々と礼をしつつ、兵士たちの輪の中に加わっていった。
一方でレミィは、宴席に愛想を振り撒きつつも、心の中では別のことに頭を悩ませる。
──さて、なんとか無事に見つかってくれれば良いのじゃが……。
陣地で宴が開かれる、数刻前。
レミィはストルタースから、“戦の大義名分を得た”事のあらましを聞き出していた。
叩けば叩くだけ、出るわ出るわの埃まみれ……この男、埃しか残りそうにない。
本人の口から語られた内容に、レミィはそんな感想を抱いた。
「オークの陣営に囚われていた、
最初に語り出した内容は、囚われの女性を救出したという趣旨のものだった。
「その女性が囚われていると、どこから知ったのじゃ?」
「それは
回りくどい口ぶりに辟易しながら、レミィは疑問を解消せんと続けて問う。
そこで、勿体ぶるような真似をしたストルタースの背筋を、冷たい何かが走った。
レミィは目の前で足を組んで座っているだけ……何もしていない……ように見える。
だが、ストルタースは、自分が死の境界線に立っているかのような錯覚に陥った。
──こ……殺される……下手なことを言えば……確実に殺される……。
竜の
「……聞こえんのう……どこから……知ったのじゃ?」
「わ……我々の元に……コンタクトをとってきた、エルフから……」
「ぬ? エルフとな?」
ここで新たな登場人物が浮かび上がってきた。
紛争地域で危険も顧みず、コンタクトをとってきたというそのエルフは何者だろうか?
「は、はい! エルフと言えばオークの天敵!
言い回しと顔は煩いが、話の筋自体は通っている。
疑問点はあるが、エルフがコンタクトをとってきたという話も、嘘ではないだろう。
そもそも、ここで嘘をつけるほど、この男に胆力はない。
「なるほど……我が国の臣民たる女性を連れ去り囚えていた……というのが、戦の大義名分ということかえ?」
「仰るとーりにございましておられましてお気に召しまして?」
これが全てストルタースの言うとおりであれば、一応の大義名分にはなるだろう。
だが、この話には確認しなければならない、重要なポイントがある。
「相分かった。では、その囚われていた当人に話を聞かせてもらいたいのじゃが……」
「いやいやいやいや、皇女殿下……あのような下賤の者と……」
ここで竜の威光について、もう一度改めて書くことでもないだろう……省略する。
「早う連れて参れ……」
「それが……その……女は
「それで? どうしたのじゃ?」
淡々とした口調で、レミィは先を促す。
「オークどもの卑劣な
ストルタースは、消え入るような小さな声でボソボソと言い訳を並べ立てる。
声が小さい分、返って顔だけが煩い。
「有能な指揮官が……聞いて呆れるのう……」
「あの女は完全に
この辺りから、話の趣旨は大きくズレ始めた。
自分の思い込みと価値観……それを押し付けるような振る舞い。
挙句、救出したと主張する女性の言葉に一切耳を傾けようとしなかった、その姿勢。
洗脳の可能性はゼロではない。
だが洗脳されていないと言う可能性も、もちろんあったはずだ。
もし、女性の主張が真実であれば、オークの家族を誘拐し、囚えたのは帝国側……。
この戦の大義名分は、オークたちの方にあるということになる。
「相分かった……」
「お分かりいただけましたか? この
正直なところ、レミィにはもう怒りの感情すら湧いてこなかった。
このような者が帝国の臣下にもいるのか、と……ただ、その事実に驚くばかり。
今は、皇女としてすべきこと……ただそれを粛々と進めることに気持ちを切り替える。
「貴様は、帝都に帰還せよ……その際、取り巻きの兵士も連れていくのじゃ」
「は? え? いや……それは……」
これは、いつかのような
レミィは生まれて初めて、この言葉を明確に口にして、相手に告げた。
「早々に
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