第86話:最前線と戦の大義名分

 ──皇女騎士団は全滅する。──


 現地指揮官の命令に従い、進軍していたところで返り討ちに合う……といった内容だ。

 軽く読んだだけでも、その原因がどこにあるのかは一目瞭然だった。


 ──こんな指揮官に、わらわの大事な臣下を任せるわけにはいかんのじゃ……。


 無理な行軍、稚拙な策略、浅慮な突撃……どこをどう見ても命令自体に問題がある。

 おまけに、指揮官本人は安全圏から口出しをするだけで、全く動こうとしない。

 その上、敗色が濃厚となると一目散に騎士たちを切り捨て、逃亡するとは……。


「素人なのかえ!?」

「うわ! どうしました……殿下?」


 そのダメすぎる内容に、レミィは思わず声を上げる。

 あまりに突然のツッコみに、エトスは飛び上がって驚いた。


「ぬ? いや、ちと誤植を見つけてしまったのじゃ……」


 咄嗟に誤魔化しつつ、レミィは、予言書を手にしたまま思考の世界に浸る。


 ──ぬー、指揮……指揮か……適任者がれば良いのじゃが……。


 記述に従うのであれば、“指揮権を譲り受ける”か“指揮を任せる”かの二択である。

 その先の未来を読んだ今となっては、後者の選択はあり得ない。


 ──一旦、指揮を譲り受けるだけで……その後のやり方は、なんでも大丈夫かのう?


 改めて、指揮を譲り受けた先の未来をもう一度読み返す。

 と、そこには皇女騎士団の活躍が事細かに記されていた。

 だが、具体的にどう言った命令をしたのかまでは記載されていない。


 ──何故こっちの選択肢には、詳細が記されておらんのじゃ……。


 いろいろと不安も不満もあるが、そうも言っていられない。


 ──まぁ、最悪の事態は……回避するに越したことはないのう……。


 覚悟を決めて、指揮権を譲り受ける未来を選ぶことにする。

 今回の分岐には、選択の余地がなかった。

 まだ、一方に可能性が残されていただけ、マシだと考えるべきなのだろうか。

 この調子で、今後どちらの未来も選びたくないといった時には、どうすべきか……。

 ふと、ここでレミィに、新たな疑問が浮かび上がってくる。


 ──もし、予言書に記されていない第三の選択肢を選んだ場合は、どうなるのじゃ?





「大隊長! レミィエール皇女殿下、及び皇女騎士団御一行がご到着なさいました!」

「ついに来たか……で、どこに出向けばいい? ああ、正装に着替えるべきかな?」


 明らかに不機嫌な様子の大隊長は、皮肉を交えて部下の報告に応える。

 しぶしぶ立ち上がる、その表情には、面倒だという想いが滲み出ていた。


「いや、それが……」

「まぁ、皇位継承者として、幼いうちから功績を残しておきたいのだろうが……ここで死なれて、責任を問われてもたまらんな」


 部下の言葉を遮るように、大隊長は不平不満を口にする。

 そこに、思いがけない声が返ってきた。


「いや、ここでわらわに何かあっても、貴様らに責を負わせるようなことはせん……安心するのじゃ」


 目線をあげた大隊長の顔から、サーっと血の気が引いていく。

 そこには、白い肌に白金の髪、人形と見紛うほどに美しい顔立ちの軍服姿の少女。


「で……殿下……!?」


 まさか、皇女自ら単独で、この小汚い幕舎に出向いてくるとは思わなかったのだろう。

 本人を目の前に吐き出した言葉は、言い逃れも何もあったものではない。

 不敬罪一直線である。


「こ……これは、レミィエール皇女殿下……いや、今のは……その……」


 ──まさか最前線で敵に討たれるどころか、こんな形で終焉を迎えるとは……。


 勝手な想像を膨らませる大隊長。

 その妄想世界を打ち砕くように、続くレミィの言葉が空気を変えた。


「そんなことより、貴様は休んでおるのかえ? 顔色も悪いようじゃが……」

「は?」


 それは予想の遥か斜め上……レミィは先の暴言など気にも止めずに話を進める。

 口汚い罵倒に不当な命令、理不尽な言葉は、今まで上から散々ぶつけられてきた。

 だが労いの言葉など、誰かからかけられたのは、いつ以来だろうか?


「……帝国のため……大隊長たる私が、ここで弱音を吐くわけにはまいりませんので……」

「そうか……苦しい戦いのようじゃのう……皇帝陛下ちちうえに代わって礼を言う……その忠道、真に大義である……ありがたいのじゃ」


 地位のある者……人の上に立つ者は皆、孤独である。

 年齢的にも、身分的にも、自分より上の存在自体が数少ないのだから。

 褒めてほしい、助けてほしい、慰めてほしい……誰にだって弱音を吐きたい時はある。

 だが、その想いを受け止めてくれる者など、滅多に現れることはない。


「……も……勿体なき……お言葉……」


 声にならない嗚咽が漏れた。

 鬼の大隊長、最前線の勇将と呼ばれた彼の頬を、一筋の雫がつたう。


「うむ、まずは少し休むのじゃ。支援物資も、少しばかり持ってきておるからのう」


 その穏やかな笑みと柔らかな声に、騎士たちは瞬く間に魅了される。

 気がつけば、大隊長とその部下は、レミィの方へこうべを垂れ、跪いていた。





 皇女騎士団とは……皇女殿下のためだけに組織された、お飾りの騎士。

 ただ美しい鎧を身に纏い、式典で優美な姿を披露する、それだけの存在。

 彼らが実際に戦地に赴くことなどなく、こと戦闘においての実力など無きに等しい。

 地方にいる者たちは皆、そのように認識していた。

 だが、このブルトガルドの最前線に立つ兵士たちは、その考えを改めることとなる。


「……なんだよ、この連中は……」

「これが、皇女騎士団……?」


 陣地に訪れたのは、皇女騎士団を名乗る、総勢300名ほどの屈強な男女だった。

 鍛え上げられた肉体に、使い込まれた武具、そして統率のとれた連帯行動。

 若者を中心に構成されているにもかかわらず、まるで歴戦の騎士といった風格が漂う。


「あれが? お飾りだって?」

「2対1でやりあっても勝てる気がしないな……」


 側仕えの騎士として、エトスが選抜されて後、皇女騎士団の訓練は大きく変化した。

 さらにラーズが専属騎士として来てからは、日々激しさを増していくことになる。

 最初は苦しんでいた騎士たちも、今ではすっかりその訓練に馴染んでしまったようだ。

 その実、もとよりそんな貧弱な騎士たちでもなかったのだが……。


「ほうほう……あれが噂の姫君と、皇女騎士団の面々かい?」

「あ、婆さん……あんた生きてたのか?」


 遠巻きに様子を伺う、最前線の兵士たち。

 その中に、ひときわ異彩を放つ人物がいた。


「失礼なことを言うんじゃないよ! まったく……人のことを指南役だのなんだの言って連れ出しておいて、なんて言い草だい!」


 それは、植物の蔦で編んだような、粗末なローブを纏う老婆だった。

 どうやら、正式な手続きで帝国に所属している人材ではないようだ


「いや悪いな、婆さん……前の作戦も失敗だったから……そのまま処断されたかと……」

「失敗は、あんたたちがアタシの言うこと聞きゃしないからだよ! アタシのせいにされちゃたまんないね!」


 この老婆は、周辺の地理に詳しい者として招かれた、現地の住人。

 自然との調和を重んじる先住民族の高名な術士らしい。

 ただ、指南役として迎えておきながら、その扱いは決して良いものではなく……。


「やれやれ……せめてあの姫君が、ちゃんと人の上に立てるような人物ならいいんだけどねぇ」





「よーこそおいでくださいました! レミィエール皇女殿下様! わたくしめこそ、この過酷な戦場を今の今まで支え続けてきた、有能ゆーのうなる指揮官! ストルタースにございます」


 汚れひとつない幕舎の中、椅子に座して向き合うレミィと中年の男性。

 煩い……というのが、指揮官ストルタースに対する第一印象だった。


「この度はお忙しい中、わーざーわーざこのような辺境の戦地にまでお越しいただき、このストルタース、恐悦きょーえつ至極にございます。皇女殿下におかれましては、この成果を持って、さーらーなーる功績を重ね、帝国てーこくの未来を支える女帝として……」

「あー、そういうのはいらんのじゃ……」


 大隊長のいる幕舎から、少し離れた場所。

 最前線から見れば、充分な安全地帯と言える場所に、本陣は設置されていた。

 指揮をするには遠すぎて、戦況が伺えるような場所ではない。


「こーれはこれは失礼いたしました。まぁ、いずれにせよ、此度の皇女殿下から下賜いただいた物資に加え、栄―えーあーる皇女騎士団の御力を拝借させていただけるということであれば、この戦いももはや終結しゅーけつは間近! 帝国てーこくの威光をいざいざ見せつけてやりましょうぞ!」


 やはり煩い……レミィが抱いた第一印象は揺るがなかった。

 見てくれをどうこう言いたくはないが、眉毛も顔も何もかもが煩い。


「うむ、そのことじゃがのう……わらわの大事な皇女騎士団を、貴様に預けることはできんのじゃ」

「は? ともーされますと?」

「ここからは、わらわが直々に指揮を執る……貴様は指揮官解任ということじゃ」

「え!? いや……それでは……わたくしめの功績こーせきは……」


 突然の解任を突きつけられ、ストルタースは状況が飲み込めていないようだ。

 指揮官の任命権については、すでに皇帝陛下より許可をもらっていた。


 ──まぁ、わらわ自身がその地位に就いても、問題ないじゃろ……。


 この自分のことしか考えていない指揮官を、いつまでも置いておくのは愚策だろう。


「功績のう……疲弊した兵たちを見る限り、貴様にあるのは功績より罪責なのではないかえ?」

「そ、そーんなことはありませんぞ! わたくしめがどーれほど苦労くろーして、この戦の大義名分めーぶんを得たとお思いか!?」


 その“戦の大義名分を得た”という一言に、レミィは違和感を抱く。

 だが、ここでは敢えて追求することはしなかった。

 放っておいても、勝手にベラベラ喋るだろうと考えてのことだ。


「そーれだけではありませんぞ! 長期に渡り戦い続けてきた実績から、気候、地形はもちろん、敵勢力の詳細しょーさいなど、戦略にはかーかーせーない情報じょーほうが、すーべーてわたくしめの頭に入っているのです! ええ、最前線ですから! 紙としては残っておりませんぞ! すーべーてわたくしめの頭の、中に、事細かに刻まれております! わたくしめを解任すれば、これらの情報は……」


 これが切り札だと言わんばかりに、ストルタースは自分の有用性をアピールする。

 だが、彼の切り札はあっという間に捨て札となった。


「あ、皇女サマ! お話中ごめん、この辺の地形は粗方調べておいたよ。あとで侍女メイドさんにまとめてもらうね」

「お嬢、修繕のために鍛冶場が必要だ。あとで簡易の炉を造る。必要なものは侍女メイドに伝えておく」

我が主人マイマスター、一応ここから馬で三刻ほどの範囲内にある敵陣は位置を確認したよ。あとはフェリさんの方で資料にしておいてもらうね」

「失礼します! 殿下、負傷者の確認は完了しました。支援物資にある回復薬ポーションで、ある程度は対応可能です、物資の管理はフェリシアさんに任せました」

「続けてわりぃな姫さん。その負傷者の傷跡見るに、相手さんの武器えものは大型の斧がメインってぇ感じだ。投げ槍ジャベリンなんかも頻繁に使っちゃぁいるが、弓兵はあんまり居ねぇみてぇだな。こっちもフェリシアさんに報告しとくぜ」

「うむ……皆、大義である……なのじゃ」


 幕舎の入口から顔を覗かせ、次々とレミィの元に届けられる、リアルタイムな情報。

 ストルタースは、信じられないと言った表情で固まってしまう。

 誰がどう見ても、レミィの方が今後の戦況を左右する、有力な情報を手にしている。


「さて……ひとつだけ聞かせてもらえるかのう?」

「はは、はいぃ! わたくしめの功績こーせきとなることであれば何なりと!」


 この期に及んで、自分の功績のことしか頭にない“元”指揮官。

 苛立ちもあったレミィは、少しだけ竜の威光を解放する。


「“戦の大義名分を得た”というのは、どういう意味なのかえ?」

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