第84話:家柄と血統の価値

「なりません……最前線への視察など……」

「ぬー……どこに問題があるのかえ?」


 皇帝陛下の居城に隣接する大きな円形の建物、大会議場。

 そこに召喚されたレミィを待っていたのは、議員席を埋め尽くす元老院の連中だった。


「問題しかありません。そのような危険な場所に、わざわざ出向く皇女殿下がどこに降りましょうや?」

「ここにるのじゃ」

「それが問題なのです」


 議長席に立つ、最年長の老議員から鋭いツッコみが返される。


「姫様……そろそろ、おとなしくしてくだされ、はい」

「ええ、ええ……我々元老院としましても、気が気ではありませんわ」


 演壇に立たされたレミィは、百を下らぬ議員席から苦言の十字砲火を受ける。

 元老院は皇帝への助言機関であり、唯一皇族に対して意見できる存在だ。

 時として、元老院の言葉は皇帝陛下のそれと同じだけの権力を持つ。

 そうなれば、レミィも無碍に反発することはできない……。


 ──わらわが率先して、皇帝陛下ちちうえの勅命に反抗するわけにもいかんからのう……。


「ちゃんと聞いておられますか? 姫様……」

「ちゃんと聞いておるのじゃ」


 ──まぁ……本当に皇帝陛下ちちうえの勅命であれば……じゃがのう。


「最近まで、全く外にご興味をお持ちでなかった姫様が、突然視察などと言い始めて……皇帝陛下もたいへん心配なさっておいでです、はい」


 確かにレミィは外の世界……ヒトの社会に対する興味をあまり持っていなかった。


 ──そもそもわらわは、純粋なヒトではないのじゃ。


 レミィは神聖帝国の守護者たる聖竜と英雄の間に、神子みことしてその生を授かった。

 帝国の臣民は、ほぼ定命の他種族……ヒトである。

 ヒトは皆、聖竜である母を崇め、その竜に見初められた父を英雄として讃えている。

 そんな母と父を差し置いて、自分がこの帝国で為すべきことは特に何もないだろう。

 そう考えたレミィは、特に外界との関わりを持とうとしなかったのだ。

 それが突然、自分の意思で領地の視察に向かうと言い出したのが数ヶ月前である。


 ──まぁ、妙なえにしが始まりなのじゃが……。


 きっかけはもちろん、コデックスとの出会い……予言書を手に入れたこと。

 そして、帝国の滅亡を救うための適任者として選ばれたことだ。

 まぁ指名してきた相手コデックスが、かなり胡散臭くはあるのだが……。


「いや、にしても貴様ら、そこまでわらわに興味ないじゃろ?」

「いやいやいやいや、そんなことはありませんわ!」

「私どもは、姫様の身を案じてですな……はい」


 今まで、おとなしかった姫殿下が、突然活発になって手を焼いているのだろう。

 余計なことをしないよう、面倒なことにならないように、監視下に置いておきたい。

 そんな思いがひしひしと伝わってくる。


 ──あー、面倒なのじゃ……どうしたものかのう。


 レミィは、どう適当にあしらおうかと思案していた。


「まったく……最近は妙な平民どもも皇女宮に招き入れて、雇い入れているようですが……あれは看過できませんな、はい」

「そうですわ! 中には有角種ホーンドも居るらしいではありませんか! あのような下賤の者……」

「今、なんと言ったのじゃ?」


 先程まで、のらりくらりと老人たちの説教を聞き流していたレミィの雰囲気が変わる。

 と、同時に会議場内の空気も一転した。

 どうやら、文字どおり逆鱗に触れる一言を、議員の一人が口にしてしまったようだ。


「は? ですから、あのような下賤の者と……ぉおわぁぁぁ!!!」

「ひ、ひ、姫様ぁ!?」


 静かな怒りを携えた、レミィが放つ竜の威光は、周囲を恐怖で染め上げる。


「よく聞こえんかったのじゃ……もう一度言ってくれるかえ?」


 突然身近な存在となった“死”……既に幾人かの議員は、気を失っていた。

 失言から、直接視線で刺し貫かれた議員は、しめやかに下着を湿らせる。


「申せ……わらわの臣下に対し……なんと言ったのじゃ?」

「姫様! 落ち着いてくだされ、はい!」

「わ、我々元老院にこのような……帝国への叛逆と看做されてもやむなしですわ!」


 半ば脅迫じみた、虎の威を借る言い回しが、さらに怒りを加速させる。

 レミィは、右足を高く垂直に掲げると、そのまま演壇を力一杯踏み締めた。

 大型の馬にも匹敵する重量、そして成人男性を指一本で吹き飛ばすほどの膂力……。

 砕け散る演壇、弾け飛ぶ石片。

 砦といっても遜色ない、この堅牢な建物を崩さんばかりの激震が大地を走る。

 ここが一階……地上部分でなければ、床が抜けていただろう。


「あわわ、大変ですわ、わ!」

「だ、大会議場が! 崩れる! はいぃぃ!」


 少女が足一本で引き起こした大地震に、周辺の議員は皆狼狽うろたえる。


「も、申し訳ございません! レミィエール皇女殿下! どうか、どうか怒りをお鎮めください!」


 失言した議員をフォローするように、最年長の老議員は急ぎ横から割り込んだ。


「この痴れ者が! 貴侯も皇女殿下に赦しを乞え!」

「し、しかし、私どもは元老院ですわ! 如何に姫様といえど……」

「先に貴侯が口にした言葉は、我々元老院の総意ではない。個人の独断で言い放った言葉に、元老院はその責を負うことはない……言葉を選べ」

「そ、そんな……も……申し訳ありませんわ……」


 梯子を外された議員は、渋々ながら謝罪の言葉を口にする。

 レミィは、そのやり取りの様子を黙って見届けていた。

 が……その実、内心では思った以上の騒ぎになったことに、少し焦っていた。


 ──ちょっと驚かせるだけのつもりだったんじゃがのう……。





「まったく……貴様らヒトは、に不可解な生き物じゃのう……」


 怒りを踏み締めた大地に四散させたレミィは、どこか憂いを帯びた表情で問いかける。


「同じヒトとして生きる者同士、何故そうも“根拠のない”優劣をつけたがるのじゃ? 貴族だの平民だのと……家柄や血統がそこまで大事なのかえ?」

「いや……しかし、それは……」


 レミィの問いかけは、ヒトの文化……貴族社会そのものの否定とも受け取れるものだ。

 だが、先の圧倒的な存在感に気圧けおされた議員たちは、続く言葉を言い淀む。


「お言葉ですが姫様、全ての人が等しく同じ能力を持っているわけではありません……民衆の中には、優れた者がり、逆に劣った者も居るのです、はい」

「え、ええ! そうですとも! 上に立つべき者が上に立ち、迷える者たち……多くの民衆を導く……それが正しい人の世の在り方ですわ」


 そんな中、争点を見出した議員が、ここぞとばかりに反論を口にする。


「うむ……そこに異論はないのじゃ」

「なんと? では、どこが不可解だと仰るのですか、はい?」


 反発を想定していた議員は、予想外の軽い返答に思わず声が裏返った。


「その優劣は、本当に家柄や血統で決まるのかえ?」


 続いたレミィの言葉は、この場にいる議員たちを驚かせる。

 そんな疑問は、一度も抱いたことがなかった。

 貴族は優れた存在であり、平民は劣った存在であるという、当たり前の思想。

 生来植え付けられた価値観は、その思考を曇らせる。


「家も血も、直接その個体の能力を示すものではないのじゃ。たまたま生まれがそうだった……たまたま親がそうだった……それで個の優劣が決められるとは思えんがのう」

「……す、優れた家の優れた血の者は、当然優れた……」

「貴様、まさか自分自身も優れたヒトだと、思っておるのかえ?」

「え……その……私は……」


 尚も食い下がる議員を、レミィは冷たい視線で一瞥する。


「真に優れた者が、他者を見下すのかえ? 同じヒトに対して“下賤”などという言葉を口にするのかえ? 見るべきものすら見えていない者が……皇帝陛下ちちうえの助言機関を名乗るとは、片腹痛いのう」


 それだけ溜め込んでいたものがあったのか、レミィは珍しく饒舌に語る。

 家柄と血統が、果たして真に優劣の基準たり得るのか?

 真に優れた者が、他者を見下すのか……下賤などと口にするのか?

 僅か12歳の少女から投げかけられた問いに、議員たちはなにも答えられなかった。


「議長よ……此度の視察に関しては、既に皇帝陛下ちちうえから許可をいただいておるのじゃ」

「なんと……そうだったのですか?」


 少し沈んだ空気の中、レミィは努めて明るい声で話題を変える。

 そこに何かを察したのか、議長席の老議員も大袈裟なアクションでそれに応えた。


「確かに、わらわの臣下たちは、皆、家柄も血統も共に由緒正しい者ばかりとは言い切れん……故にじゃ」


 そう言って、器用に地面の石片を足で掬い上げ、手に掴む。

 と、手にした石片を強く握りしめ、すり潰すかのように手の中で転がした。

 瞬く間に、床材に使われていた花崗岩が粉末状になって、手の隙間から溢れ出す。


「その臣下たちが、皆、優秀であるという“根拠”を示すことにするのじゃ」





「待たせたのう」


 皇女宮の正門前にて、フェリシアはじめレミィの臣下たちは一同に会していた。

 もちろん、此度の視察……紛争地ブルトガルドへ旅立つためである。


「お? 姫さん、遅かったじゃあねぇか、爺さんらに苦言でもぶつけられたかい?」

「まぁ、殿下に物申すことができるのは、元老院の方々だけですしねぇ……」

「大丈夫? 我が主人マイマスター……何かあったみたいだけど、大会議場ごと消す?」

「魔導士サマ……冗談に聞こえないから……」


 労いともなんとも言えない、いつもの会話がレミィを出迎える。


「お嬢、今回は、あの連中も着いてくるのか?」

「うむ……できれば紛争の鎮圧もしたいと思っておるからのう」


 外套を翻し、レミィが示した庭先には、一個大隊ほどの騎士たちが控える。

 ブルードが確認した“あの連中”とは、皇女騎士団のことであった。


「お任せください! 我々、皇女騎士団の力、存分にお見せいたします!」


 騎士団長も随分と張り切っている様子だ。


「そしてエトース!」

「は、はい!?」

「なんとなくしれっと当たり前のように皇女殿下お側付きのようになってるお前の座は、皆が狙ってるからなっ!」

「げ……黙ってたのに……」


 各々何かと思惑もあるようだが、それは当事者同士で決着をつけてもらうとして……。


「ではレミィ様、参りましょうか♪」

「うむ……ラーズ、肩車じゃ……」

「ん? ああ、見えねぇのか……」


 フェリシアに促され、レミィは出立の号令をかけんとする。

 そのために、まずは後ろの騎士たちにも姿が見えるようラーズに肩車をしてもらう。

 やや締まらない状態ではあるが、そんな姿にすら皇女騎士団は勝手に士気をあげる。


 ──なんか可愛い……。──

 ──あー……俺も肩車したいな……。──

 ──たぶん、持ち上げられないけどな。──


 口にこそ出さないが、水面下ではそんな想いが至る所で湧き上がっていた。


「諸君! 此度の遠征目的は紛争の鎮圧である。現地では激しい戦いが予想される……帝国の威信、騎士団の誇りにかけて、何がなんでも勝利せよ!」

「おぉー!」

「……とは言わんのじゃ」

「お、おぉ!?」


 レミィの演説に、騎士たちは鬨の声をあげるタイミングを見失う。

 だが、その後に続いた言葉には、騎士たちは大きな歓声を重ねて応えた。


「無理だと判断したら即時撤退せよ、御国のために死ぬなどまっぴら御免なのじゃ。生きて帰れ。命をかける時は……自分と家族のために取っておくのじゃ」

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