第82話:恩寵と古の使徒

 光あるところに影がある……。

 光と対極の関係にありながら、影は闇にあらず。

 光が影を生み、闇は影を抱く、陰陽太極にあって相剋に無し。

 それすなわち……。


「影に属性は無い! はず……だよね?」


 そう言ってアイディスは、樹液の入った全ての樽を影の中へと招き入れた。

 最初の勢いはどこへやら、自信の無さは言葉にでてしまったが……。


「どうして!? これは……ダークエルフの秘術ナノ!」

「すごいね……ダークエルフの中でも、ごく少数の部族だけが使える影の秘術だ……」


 地面の下……影の中へと沈みゆく樹液の樽。

 思いもよらない伏兵の、思いもよらない横槍にフィオリエータは驚きを露わにする。

 その状況を、まるで他人事のように、アズリーは冷静な言葉で解説した。


「これは……おまえの仕業じゃないナノ!?」

「うん……でも……」


 ──これで、手加減はいらないね。


 アズリーは、小さな声でそう呟く。

 おそらくフィオリエータにだけは……その非情な言葉が届いただろうか。


「──Liberatio──」


 アズリー“たち”は、さらに詠唱を重ねた。

 光の矢は周囲を傷つけることなく、ただ粘体だけを削り取っていく。


「いやいやいや、ちょっとこれ……影の中まで撃ち抜かれたりしないよね!?」


 一応……今のところは影の中に、その光の矢は届いていない。

 だが、アイディスは自らの操る影が、くっきりと濃くなっていることは認識していた。


「そんな……こんな形で、切り札が……フィオが負ける……ナノ」


 最後の足掻きすら予想外の伏兵に阻まれ……果たすことも叶わず。

 無数の光に穿たれながら、フィオリエータは力無くその場に崩れ落ちた。





 夕刻の空……暗き森を光で染めた小さな太陽は、その姿を消した。

 アズリーが魔法の集中を解いたのだろう。


「やれやれ、ひとまず終わったようじゃのう」

「まったく……アズリーの奴、思った以上に凶暴じゃあねぇか」

「ちょっと、やりすぎだぞ! アズリー」


 レミィの一言をきっかけに、ラーズとエトスは思ったままの感想を口にした。

 アズリー“たち”が地上に降り立つと、アイディスも影の中からひょいと顔を覗かせる。


「まったくですよ、魔導士サマ……こっちまで蜂の巣になるかと……」

「あ! さっきの影は君の仕業? ダークエルフの秘術だよね? 是非その力……研究させてほしいな!」


 希少な秘術の使い手を、アズリー“たち”は興味津々といった様子で取り囲む。

 いつの間にか虹色の瞳は閉ざされ、いつもの眠っているかのような目に戻っていた。


 ──なんとか、最悪の事態は回避できたようなのじゃ……。


 森と皆の無事を確認したレミィは、ようやくここで一息つく。

 と、そこでフェリシアの様子がおかしいことに気がついた。


「ぬ? フェリシア、どうかしたのかえ?」


 ただ一点を見つめ、レミィの背後から動こうとしない。

 その視線の先には、フィオリエータの亡骸が水溜りのように広がっている。

 いつもの如く、その全身は黒に侵食され、消えていく……かに思われたのだが……。


 ──ぬ? いつもと様子が違うのじゃ……。


 粘質の水溜まりは、影に飲まれることなく、その場に残されていた。

 違和感を抱いたレミィは、堕徒ダートの亡骸に近づこうとする。


「──顕現せよ、死の導き手、渦巻く怨嗟、荒ぶる御霊、永劫の闇へ、回帰せよ」


 刹那! どこからともなく聞こえてきた、呪文の詠唱……。


渇望する亡者クレイビング・デッド──」


 レミィたちが居るこの一帯を、禍々しい瘴気が包み込む。


「はやぁ!? 何事なのじゃ!?」


 同時に、空間を引き裂くようにして無数の青白い手が至る所に顕れた。


「エトス! アズリー! 姫さんを護れ!」

「わかってるよ! ──堅城鉄壁!──」

「──Amuletum──」


 的確な判断と迅速な対応……瞬時に反応した臣下たちは、すぐさま陣形を整える。

 突如として襲いかかってきた、その青白い手はエトスとアズリーの防壁に阻まれた。


「これは、なんかヤバい気がする……」


 いつものエトスなら『──堅城鉄壁──』の後に、こんな弱気な言葉を口にはしない。

 防ぎきれないと思ったことなど、一度もなかったのだ。

 だが、この防壁を取り囲む無数の手は、今までのものとは何かが違う……。


「……あのタイミングで、の魔法を防ぐであるか……そうか……」


 いつの間にか、フィオリエータの亡骸の傍に、黒い法衣姿の何者かが立っていた。

 浅黒い肌に痩けた頬、やや短めでクセのある黒髪に赤い瞳が印象的な男性。

 何より目を引くのは、その頭部にある雄牛のような角……そう、彼は有角種ホーンドだった。





 周囲を漂う亡者の手は、黄泉の世界へ引き摺り込まんと、未だ怪しく蠢いている。

 エトスは全神経を集中して、障壁を維持し続けた。

 アズリー“たち”は、再び虹色の目を見開き……その怪しい有角種ホーンドを注視する。

 アイディスとフェリシアを庇うように、間にはレミィが立つ……。

 そして、普段は滅多にそれらしい動きを見せない、あのラーズが……構えを取った。


「ほう……皇女殿下の私兵は……皆、精兵であるな……の部下たちも見習ってもらいたいものである」


 全く訓練されていない者であれば、何も考えずに攻撃を仕掛けていたかもしれない。

 それほど、相手はハッキリと“敵意”を剥き出しにしていたのだ。

 だが、レミィの仲間は誰一人、狼狽うろたえることなく冷静に状況を見据えていた。


「貴様は……何者じゃ?」


 明らかに異質なオーラを纏った相手に、レミィは警戒しながら問いかける。


の位は十二使徒が上位三席……いにしえよりニルカーラ様に仕えし始まりの使徒……古徒イニシエートのコーディ」


 言うが早いか、自らを古徒イニシエートと称した男、コーディはレミィの方へと身を翻した。

 その痩せた体からは、想像もつかないほどの俊敏さと力強さで襲いかかる。

 心臓を貫かんばかりの勢いで放たれた貫手ぬきては、すんでの所で横から掴まれた。


わりぃねぇ……姫さんと握手してぇなら、まず俺を通してもらえるかい?」

「なんと……の攻撃を止めるとは……」


 コーディは驚きと共に、興奮したような様子でラーズの力を評する。

 その光景に、レミィは危機感を抱かずにはいられなかった。

 並の相手ならば、この時点で相手は捩じ伏せられ、戦闘は終了していただろう。

 だがコーディは、ラーズと対峙した今の状況で、まだ余裕を見せている。

 ただ者ではない……間違いなく、この男は危険だと直感がそう告げていた。


「へぇ……ちったぁデキるみてぇじゃあねぇか……どうよ? 俺と遊んでくかい?」

「……此度は遠慮しておこう……流石に、三匹も同時に獣を相手にするのは、も骨が折れる……」


 臨戦体勢から構えを解くと、コーディは言葉と態度でラーズの問いかけに応える。

 と、そのまま法衣の裾を翻し、フィオリエータの亡骸の方へと向き直った。


「あ、お前! ……この状況で逃げられると……」


 無数の亡者の手を防ぎながら、エトスはそこに煽り文句を投げかけんとする。

 だが、レミィは割り込むように、身振りだけでそれを制した。


 ──何をする気なのじゃ?


 その目の前で、コーディは水溜りとなったフィオリエータの亡骸に手を翳す。

 と、決まった形の無かった粘質の液体は、かろうじて人の形をとっていった。


「……次に相見あいまみえるときは……お相手を願おう……」


 そう言って、コーディはフィオリエータを抱えると、虚空を裂いて姿を消した。

 同時に、一帯を漂っていた亡者たちの手も還っていく。


「もう大丈夫そうですね、レミィ様」


 フェリシアのその一言で、一行はようやく脅威が去ったと実感することができた。





 その日の夜……レミィは、エル・アスールの王族に宛て、書をしたためた。

 今回の行方不明事件に関する報告と、宗主国からの勅命という名の要望書である。

 三合会と現ギルドマスターの処遇については、ヴィクトルに一任するということ。

 そして、引き続き商いを通じて、諸国との友好関係を維持してほしいということ。

 大きくは、その二つに焦点を当てたものだ。

 従属国のギルドの運営にまで、口出しをするつもりはない。

 基本的に国の在り方も、その国の王族……ひいては民衆に委ねている。

 だが、可能な限り近隣諸国との争いは避けるよう力を尽くしたい。

 それが、現グリスガルド皇帝の考え方なのだ。


 ──まぁ……後は、あの会頭に任せておけば、何とかなるじゃろう……。


 本来は、直接レミィの口から伝える席を設け、様式に則って進めるべき案件だろう。

 だが、今のレミィはそれどころではなかった。


 ──古徒イニシエート……そんな者、予言書にも記されておらんかったのじゃ……。


 あのラーズと互角か、あるいはそれ以上か……想像もつかない未知の強敵である。

 なんとしてもコデックスから、詳しい情報を聞き出さなければならない。

 一行は、職人街に入り浸っていたブルードを引き摺って、馬車で帝都へと急ぐ。

 客車キャリッジ内では、皆が今回の出来事を振り返り、その冒険譚を言葉で紡いていた。


「アズリー様には、もう少し、加減を覚えていただく必要がありますね」

「ごめんよフェリさん……ちょっと、やりすぎだったみたいだね」


 自らの肉体や複製体の扱いも含め、無茶な戦い方をするアズリーには、皆驚かされた。


「そうだぞ! ズルいぞ! 虹色の瞳とかイケメンとか強いとか、もうズルいぞ!」


 エトスは、極限まで低下した語彙力でアズリーを罵る。


「まぁ、そんな奴が好き勝手暴れてる中、そこに飛び込んでったってぇんだから……今回の敢闘賞はこいつじゃあねぇか?」


 ラーズは、隅の方でもじもじしているアイディスを皆の前に文字通り推し出した。


「いやぁああ、その……ボクは……勘弁してください闘士サマ……」


 アイディスは、あの後も当然のように、レミィに同行をしていた。

 ヴィクトルに勧められて……というのも一つの理由ではあった。

 だが、一番の理由はレミィの役に立ちたいという本人たっての希望である。


「ホントだね……影の秘術は是非とも研究させてよ、うん」

「ご立派でしたよ、アイディス様♪」


 アズリーとフェリシアに褒められ、アイディスは照れくさそうに両手で顔を覆う。


「いやぁ、てぇしたモンだぜ……まだ訓練も受けちゃいねぇってぇのに、あんだけ激しい戦場に飛び込む勇気ってなぁ、すげぇよ“嬢ちゃん”」

「……いやいや、ちょっと待て、今なんて言った?」


 ラーズが最後に口にした言葉……そこに引っかかったエトスが改めて問いかける。


「あ? 激しい戦場に飛び込んだ勇気が、すげぇって……」

「その後!」

「ああ? 嬢ちゃん?」

「それ! え? 女? この平坦な……グハッ」


 ここで、エトスの意識は途絶えた。

 アイディスでもラーズでもない……敬愛する皇女殿下からキツい一撃を受けたのだ。


「デリカシーの無いやつじゃ……気を悪くせんでくれるかのう」

「え? あ、はいボクは全然! 大丈夫です皇女サマ」


 神々しいツルペ……スレンダーボディの仲間としてもレミィはアイディスを歓迎した。


 ──選択肢にあった、女性を救出するというくだりは此奴のことだったのかもしれんのう。


 アイディス自身も何度か口にしていたが、盗賊稼業は相手にナメられたら負けなのだ。

 女性であるというだけで不利なこの環境……男装を心がけていたのは事実である。

 だがレミィたちの中で、その正体に気づいていなかったのはエトスだけだったようだ。


 ──まぁ、これでわらわ以外にも、フェリシアに同性の仲間ができたのじゃ。


 臣下たちの談笑する輪にレミィが加わろうとしたその時、予言書から光が放たれた。


 ──ふむ、このタイミングは想定内といったところかのう……。


 いつもの如く、開くべきページは自動的に開かれていく。




堕徒ダートの精鋭、“紫の使徒”を退けた君は、月の光に隠されたよこしまなる陰謀を打ち砕くことに成功した。“勇気の恩寵”は影の真実を知る鍵となるだろう。君は次なる悪の企てを阻止すべく、次の階梯へと進むことを決めた。“節制の恩寵”が楔を解き放ち、“信仰の恩寵”へと力を託す中、君は獅子身中の虫を駆除すべく、“知恵の恩寵”に力を借りることになる。舞台は帝都そして北方の戦線ブルトガルド。新たな学びが、君の臣下たちを護る』




 ──いつになく恩寵の記述が多い気がするのう。


 以前から、レミィはこの恩寵という表現が気になっていた。

 だが、なんとなく何のことを指しているのか仮説はたてることができている。


 ──前回の“希望”がアズリー、“勇気”はアイディス……“信仰”と“節制”は誰かのう?


 おそらく、レミィの仲間……傍にいる臣下たちのことだろう。

 ということは、初めて目にした恩寵の“知恵”は、新たな出会いを示しているはずだ。


 ──ふむ……これ以上、大所帯になるのかえ?


 この時レミィは恩寵を気にかけるあまり、大事な記述を見落としていた。


 ──獅子身中の虫──


 その言葉の意味するところ……すなわち帝国内の反逆者という存在について……。

  

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