第81話:天才と凡人の駆け引き

 直接侵蝕すると豪語したフィオリエータは、粘性の体を掌のように広げ襲いかかった。

 一方のアズリーは、その攻撃を避けようともしない。

 ただ笑みを浮かべたまま、相手のなすがままにその身を委ねている。


「おまえも内側から喰らってやるナノ! 体の中に向けて魔法は撃てないナノ!」

「そうだね……中には……ね」


 フィオリエータは、その口や耳から、体内へと侵入しようと試みる。

 ここにきて、三度みたびアズリーからは複数の重なり合った声が発せられた。


「……君は、学習しないよね……声は、いくつ聞こえてた?」

「ナノ!?」

「──Infinitus Gladius──」

「──Infinitus Malleus──」

「──Infinitus Hasta──」


 朧げに光を放つ、魔力で形成された剣と槌と槍。

 無数の武器が粘体に囚われていたアズリーの肉体ごと堕徒ダートを断ち、砕き、穿つ……。


「キィィ! こいつ狂って、ギャヒッ……自分の体をなんだボッ……思ってるナノッ!」


 嫌というほど斬り刻まれ、粉砕され、貫かれたその肉体は原型をとどめていない。

 当然、侵蝕しようとしていたフィオリエータも相当のダメージを受けることになった。

 寄生先を失った紫色の粘体が、再び戦場に引きずり出される。

 その様子を見下ろすように上空で漂う、三つの影。

 3人のアズリーが、ただ笑顔で……虹色の瞳を輝かせていた。





「あー……いや……やっぱりボクには無理かな……」

「いきなり怖気付いたのう……」


 アズリーの強烈な魔法を目の当たりにしたアイディスの決意は、瞬く間に揺らぐ。


「そりゃあ、今のアレ見せられちゃあなぁ……」

「あの魔導士サマ、ちゃんと周り見てる? 超怖いんだけど!?」


 複製体とはいえ、ヒトの姿をした者がズタズタになるところを見てしまったのだ。

 戦場には慣れているラーズやエトスでさえ、眉を顰める光景……。

 常人なら、怖気付いて当然と言えるだろう。


「それにしても……アズリー様、ほんとにお強いですね……」

「うむ……正直、このまま正面からやり合って勝てる気がせんのじゃ……」

「え!? 殿下でもですか!?」

「……まぁ、このままではのう……」


 レミィたちが見守る中で繰り広げられる、魔導士と堕徒ダートの戦いは酷いものだった。

 戦いというには、あまりにも一方的な蹂躙。

 圧倒的なアズリーの魔法の前に、フィオリエータは成す術なく、ただ打ちのめされる。

 堕徒ダートには切り札が……とっておきが……何か罠があるのでは?

 そんな周囲の不安や心配を他所に、アズリーは着実に相手を追い詰めていく。

 その優劣が入れ替わる瞬間は全く訪れなかった。


「ど……どうして……こんな強力な魔法を……何回も行使できる……ナノ……」

「……君は、できないの?」


 会話が成立しない……魔法に関する根本的な潜在能力が違いすぎる……。

 死霊術に特化しているとはいえ、フィオリエータも魔導士の端くれである。

 当然ながら、あらゆる可能性を想定しながら戦い続けていた。


 ──これだけ強力な魔法……そこまで連発はできないハズ……ナノ!


 だが、3人のアズリーは容赦無く、高火力の魔法を何度も何度も放ってくる。


 ──で、でも……どこかで魔力が枯渇するハズ……ナノ……。


 だが、残念ながら魔力の枯渇どころか、そこには疲労すら一切感じられなかった。

 粘体という特性を活かし、ダメージを極限まで軽減していたが、それでも限界はある。


 ──だめナノ……フィオには、勝てないナノ……。


 邪教徒の精鋭、堕徒ダートらしからぬ敗北宣言。

 口にこそ出してはいないが、自分ではアズリーに勝つことができないと判断した。

 視線の先には忌々しい怨敵の娘、レミィの姿も見えているというのに……。

 今の自分の力ではどうすることもできない。

 そう判断したフィオリエータの取った行動は、非常に合理的なものだった。


 ──ただでは消えないナノ……森も、街も、国も……あの偽竜の娘も道連れナノ!


 フィオリエータは、再び粘性の体をいっぱいに広げる……。

 そして、月光樹の樹液に満たされた樽の上に覆い被さった。


「これだけは渡さないナノ! これだけは……ニルカーラ様の元へ……」





「殿下! あの堕徒ダート……樽を回収しようとしてますよ!」

「いや、あれ持って逃げるってぇのは……難しいんじゃあねぇかい?」


 エトスが、現在の戦況をそのまま言葉にする。

 最初はレミィに対する報告のつもりだったのだが、そのままラーズとの会話が続いた。


「でも……なにか転移系の魔法とか持ってるかもしれないだろ?」

「そんなもんあったところで、あのアズリーの奴が見逃すわきゃあねぇだろうが……」


 ラーズの言うとおり……アズリーが、みすみす相手を見逃すとは思えない。

 どんな魔法を使おうと、どんな手段を用いようと……全て封殺してしまうだろう。


 ──あの堕徒ダートも、そんなことは、わかっておるはずじゃが……。


 刹那、レミィに最悪の未来が思い浮かんでしまった。


 ──まさか! わざと、樹液に魔法を当てようとしとるのかえ!?


「あれはマズいのじゃ!」


 珍しく慌てた様子のレミィが、大声で臣下たちに警告する。


「どしたい姫さん……って、いや……ありゃ確かにやべぇな!」

「え? ああぁ! そうだ……樹液!」

「レミィ様! アズリー様を止めなければ!」


 その慌てぶりを見た臣下たちも、ようやく何かを察したようだ。

 こと魔法に関して、古代の叡智を受け継ぐアズリーは間違いなく天才である。

 だが、塔での引きこもり生活が長かったためか、世界の常識については極めて疎い。

 ましてや、月光樹の樹液が持つような特異な性質については知る由もないだろう。


「ラーズ! アンタの身体能力なら、魔法の発動より速く走れるんじゃないのか!?」

「無茶言うんじゃあねぇよ! あいつの詠唱速度見ただろがよ? 普通の術師ならまだしも……」


 普通なら間に合うのかというツッコミを他所に、レミィはアイディスの方に向き直る。

 と、その目を真っ直ぐに見つめながら、少し高い位置にあった両肩を掴んだ。


「貴様の力を、わらわに貸して欲しいのじゃ!」


 皇女殿下から直々の申し入れ。

 アイディスは、呆然とした表情でレミィを見つめ返した。


 ──ボクは今……必要とされてる!


 そこに芽生えたのは、言い表しようのない高揚感……そして充足感だった。

 ヴィクトルに対して吐露した心境、もっと誰かの役に立ちたいという想い。

 これは、もう一度レミィに……皆に認めてもらうチャンスかもしれない。

 そう考えたアイディスは、決意を胸に……拳を握る。


「皇女サマ……ボ、ボクにまかせてくだひゃい!」


 そして盛大に噛んだ。





「それは、なんのつもりかな?」

「この“聖水”は……ニルカーラ様の復活に欠かせぬ、大事な要素ナノ……おまえたちに渡すわけにはいかないナノ! ──発現せよ、時空を渡る……」


 これ見よがしの口上を経て、粘体の堕徒ダートは呪文の詠唱を始めた。

 動作要素と音声要素から察するに、範囲内の物体ごと移送する高位の転移魔法である。

 その実、フィオリエータには、まだこの魔法は行使できないのだが……。

 とはいえ、詠唱自体を知らないわけではない。

 これは天才に対して、凡人が仕掛けた渾身のブラフだった。


「魔力の架け橋……開け……」

「……」


 目の前の敵……堕徒ダートが、転移するかもしれない!?

 ……そういう演出であったが……。

 エルフの魔導士は黙ったまま、上空からフィオリエータの動きを観察していた。


「……開け……」

「……どうしたの? その先は“次元の扉、繋げ”だよ……ほら」


 残念ながらアズリーの、その虹色の瞳には……全てが見抜かれていたようだ。

 焦った様子もなく、あまつさえ詠唱の続きを助言するような言葉をかける。


「魔力の流れを見れば、その魔法がどういったものか、どの程度の規模かはもちろん……実際に発動するかどうかは、わかるよね?」

「そんなの……見えるはずないナノ!」

「もういいよね……そろそろ、この森から消滅してもらうよ」


 フィオリエータのブラフは失敗に終わった。

 だが、賭けには勝ったようだ。

 今、3人のアズリーが上空で、呪文の詠唱を始めた。


「──Evenire、Astra Rex……」


 ずっと短音節の魔法しか行使してこなかったアズリーが“詠唱”をしている。

 それは、強力な魔法を行使しようとしている証拠……。


「Trahere、Sol、Via! Infinitus Radius──」


 そして、その強大な魔力が紡いだ天空の王が森の上空に姿を見せた。

 小さな太陽にも見える、眩い光球。

 そこから放たれる光が、闇を貫く矢となって無数に降り注ぐ。


 ──キャヒ……ザマァみろなの……これでこの森……この国は、闇に閉ざされるナノ!


「死合いではフィオの負け……でも、勝負はフィオの勝ちナノ!」


 輝く光の矢をその身に受けながら、フィオリエータは満足げに言い放った。

 決まった形も表情もない、粘体の堕徒ダートが、祈りを捧げるかのように項垂れる。

 アズリーの膨大な魔力が、樹液をも巻き込んで撃ち抜くかに思われたその時……。


「影に沈め! ──夢幻泡影──!」

「ナノナノ!?」


 フィオリエータの下にあった樹液の樽は地面……いや影の中へと吸い込まれていった。

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