第79話:二人目と古代の秘術

「キャヒヒ……死んだ? 死んだなのぉ?」


 自らの吐血に沈むようにして崩れ落ちる、エルフの魔導士。

 圧倒的な強さで優勢かと思われたアズリーは、堕徒ダートの技の前に倒れた。

 拡散していた紫の霧が次第に晴れていく。


「なにが世界の希望なの! 絶望なの! おまえなんかが、フィオに……ニルカーラ様に逆らうなんて、1000年早いなの!」


 勝ち誇る堕徒ダート、フィオリエータの不気味な笑い声が森の中に響き渡る。

 捻るように、その足を頭に食い込ませ、今まさに踏み潰さんとした……その時……。

 レミィたちが、ようやくこの場に辿り着いた。


「おい! 姫さん……あれ……」

「はやぁ!? あの踏みつけられとるのは……アズリーかえ!?」


 惨状を目の当たりにしたラーズとレミィが、驚きの声を上げる。

 白の塔で見せた……そして魔導省の大臣たちの前で披露した、アズリーの魔法。

 その力は、まさに圧巻の一言だった。

 膨大な魔力、明晰な頭脳、精密な術式……どれをとっても最高水準。

 魔導士として、これ以上の存在は居ないと言っても過言ではないほどの逸材。

 それが、レミィたちの知るアズリー・ホープスという魔導士だった。

 だが、そんな最強の魔導士が、目の前で、何者かの足蹴にされている……。


「なんなの? また邪魔者なの?」


 気配に気づいたフィオリエータは、険しい顔でレミィたちの方へと眼を向けた。


「貴様! わらわの臣下からその足を……」

我が主人マイマスター! わざわざきてくれたんだ? ごめんよ……時間かけちゃったね……」


 レミィが怒号を上げんとしたところで、被せるようにして声が聞こえる。

 それは、のんびりとした、いつものアズリーの声……。

 どこか嬉しそうなその声は、なぜか複数の音が重なって聞こえてきた。


「こ、この声は……どこから聞こえてるなの!?」





「アズリー! アーズーリーィ、どこにいる!」

「は、はいぃ、モーリス様……アズリーはこちらに……」


 髭の濃い壮年男性に呼びつけられる、気の弱そうなエルフの青年……。

 白の塔にて……モーリスに師事していた頃のアズリーである。


「またオマエは歩きながら寝ていたか! まったく、もう少し真面目にできんのか!?」

「いえいえ、寝ておりませんよ……私は元からこういう目でして……」


 その日は機嫌が良かったのだろうか……モーリスからの当たりは、ソフトだった。


「まぁいい、それはそうと……言いつけていた用事は全て終わったのか?」

「はぁ、全て……と……申されますと?」


 モーリスは人差し指を突きつけながら、強い口調で問い詰める。

 だがアズリーは悪びれもせず、その細い目のまま首を傾げ、問い返した。


「朝のうちに申し付けたであろうが! 魔導書3冊の書写、書棚の整理、中央の部屋に召喚用の魔法陣、触媒の在庫確認、水晶の手入れ……たったこれだけだ! もう昼前だぞ!?」

「あのぉ……それを全部、僕一人で対処するのは難しかったので……まだ書棚の整理しか……」


 至極当然の返答だろう。

 モーリスが言いつけたという用事は、短時間で一人がこなせるような量ではない。


「オマエは! まだそんなことを言っているのか! こういう時のために、先日、古代……基礎魔法を教えたであろう!」

「はぁ……あの魔法ですか……無能な僕には、少々難しいようで……」

「持てる限りの魔力を注ぎ込め、だが無駄にはするな! 思考を並列に保て、だが集中は忘れるな! 術式は可能な限り簡略化せよ、正確に刻め! わかったか!」


 言い訳を許さず、厳しい口調で、矢継ぎ早に浴びせられる無理難題。

 これが真に才能のない無能な者への仕打ちであったなら、何も生まれなかっただろう。

 だが、この時の一言一句、一挙手一投足を、エルフの青年は全て学びとした。

 そして、僅か数時間後には……その期待に応えることができてしまった……。


「モーリス様、ありがとうございます。先ほどのご指導のおかげで。ようやく、あの基礎魔法が安定しました。これで仕事も捗ります。」

「は!? はは……そ、そうか……まぁ、ワシが直々に指導したのだ! それくらいはできてもらわねば、四賢者の弟子とは言えんからな!」


 表向きには平静を装っていた……だが実際は、震えが止まらなかった。

 先々代から受け継ぎ、数百年の時を経て、未だ解析できていなかった古代語魔法……。

 理論はわかっていた、術式もおおよそ見当はついていた。

 ただ、誰も実際に顕現させることは叶わなかった。

 帝国最高峰といわれる魔導師の一人、白の四賢者であるモーリスをもってしても……。


 ──軽い気持ちで……無理を承知で、言ってみただけの戯れであったが……。


 このエルフの青年……アズリーはその魔法を顕現してみせた。


 ──此奴は、本物かもしれん……魔法に秀でるとされる、エルフの中でも……特別な。


「モーリス様、この魔法があれば、僕も……もう少し役に立てるかもしれませんね」

「ああ……そ、そうだな……役立ってもらわねば困る!」


 あの自信家のモーリスをして、身を竦ませたアズリーの才能。

 その才能と叡智が紡ぎ上げた、禁断の古代語魔法……その名は……。





「これは──simulacrum──だよ」

「だれなの!? どこから話してるなの!?」


 今まさに打ち倒したはずの……完全に殺したはずの相手の声。

 不安に駆られたフィオリエータが叫び声を上げる。

 と、鬱蒼とした森の樹に止まっていた、一羽の鳥が舞い降りてきた。

 そして、そのまま人の……糸目のエルフの姿へと変化していく。


「えーっと? 姫さんよぉ……アズリーの奴が踏まれてるのに、鳥がアズリーになりやがったぜ……どうなってんだ?」

「いや、貴様の説明で、わらわにも一層わかりにくくなったのじゃ……」


 さすがのラーズも状況が掴みきれず、意味不明の言葉を口にする。

 正しく現状を伝えてはいるのだが、それが返ってわかりにくい。


「あの魔導士サマ……鳥に変化ポリモーフしてたみたいですよっ!」


 ラーズの頭上で、アイディスが興奮気味に声を上げる。


「……じゃあ、こいつは……幻術なの? おかしいなの! 確かに実体があったなの!」

「いや、幻術じゃないよ……それも僕。ちゃんと僕と同程度の力を持った存在だよ」


 アズリーは、しれっと妙なことを口にした。

 今踏まれている者も自分で……同じくらいの力は持っていると……。

 フィオリエータは足に力を入れて、踏みつけている者の存在を確認した。


「そんな……自分を複製する魔法なんて……ありえないなの」

「あれは便利そうですね♪」


 驚愕するフィオリエータの震える声と、感心するフェリシアの明るい声が交錯する。


「さっき言ったよね……“僕の方は”もうだめかもしれないって、でも僕の方は大丈夫で……ああ、この言い方だとわかりにくいかな」

うるさいなの! ややこしいなの! 僕の方ってどっちの方なの!?」


 フィオリエータは再び鞭を手に、再臨したアズリーの方へと向き直る。

 距離は、先ほどよりも近い……。


「もう、どうでもいいなの! この距離なら範囲内なの! 後ろの連中もまとめて殺してやるなの!」


 そう言って、また頭上で神器レガリアを振り回し始める。

 先端から散布される毒の霧……これだけでも常人には充分に効果があるだろう。


「姫さん……ありゃあ……」

「なにか、ばら撒いとるようじゃのう……」

「あんまり綺麗な色ではないですねぇ……」

「ちょ! なんかヤバそうなやつですよ! 皇女サマ!」


 毒の効果を知ってか知らずか……レミィたちには、どうも緊張感がない。

 ただ、アイディスだけは危機感いっぱいにラーズの上で足掻いていた。


「キャヒ……まとめて死んじゃえなの! ──転害・蠱毒てんがい・こどく!──」

「──Neutralization──」

「──Gladius──」

「──Murus Virtutis──」

「──Captis──」


 またもや、複数の術師がいるかのように重なる声。

 再び、その虹色の瞳を見開いたアズリーが高速で呪文を詠唱し、魔法を顕現させる。

 まずは、先手を打ったフィオリエータの技が発動した。

 だが即座に魔力で形成された剣の一閃が、鞭を振るう腕を切り落とす。


「ちっ!」

「……うん、だよね」


 堕徒ダートの技は、半端な状態で中断される。

 刹那、舌打ちする相手の様子を見て、アズリーは何かを確信した。

 と、同時に展開された目に見えない障壁は、毒霧が一定範囲より広がることを妨げる。

 その上で、輝く古代文字が記された光の帯がフィオリエータをその場に拘束した。


「キャヒヒ! バカなの!? フィオを拘束しても細菌は捕まえられないの! 障壁で空間を閉鎖すれば、この中の毒素が濃くなるだけなの!」

「……それで?」

「そこの、一人目の木偶と同じように、二人目のおまえも血ヘド吐いて……」

「……吐きそうにないけど?」


 アズリーは両手を広げ、憐れむような目でフィオリエータを見る。

 薄々気づいてはいた……だが認めたくはなかった。

 今目の前にいる、二人目のアズリーも、もう細菌の影響下にあるはずなのだ。

 だが一向に……その効果が出ているようには見えない。


「フィオの能力は! この猛毒は! そう簡単に対処できるものじゃないなの!」

「でも、一度見たからね」


 アズリーは、自らの目を指で指し示しながら、淡々と語る。


「構成する要素や毒素の成分が分かれば、対処はそう難しくないよ……君が細菌を生成するのと同じように、僕も中和するものを生成すればいいだけだし」

「随分と……簡単に言ってくれるなの! ──顕現せよ、死者の爪デッドマン・ネイル──」


 拘束されたまま、フィオリエータは残された左手で印を組み、魔法を放つ。

 だが冷静さを欠いたこの状況では、アズリーに掠りもしない。


「さて、これ以上君から学べることはなさそうだから……もういいよ」


 そう言って、魔法で拘束されたフィオリエータの前へと歩み寄る。

 そして、魔導士らしからぬ、まさかの行動に出た。


「おまえ……なんのつもりな……の!」


 アズリーは、動けぬ相手の首を片手で掴み、締め上げる……。

 と同時に、冷たい声でつぶやいた。


「そろそろ、同胞の体を返してくれるかな?」

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