第78話:反属性と神秘の力

 それは、自らを精鋭と自認する堕徒ダートにとって屈辱以外の何ものでもなかった。

 攻撃は何も通じず、一方的にただ蹂躙されるのみ……。

 死なない程度に手加減され、本気を出せと言い放たれる。

 これではまるで……。


「まるで、フィオが弱いみたいなの!」


 吠えるフィオリエータは、アズリーの方へと駆け出し、手持ちの武器を振るった。

 紫色の蔦でできた禍々しい鞭が、凄まじい衝撃波と破裂音を伴いアズリーを襲う。


「それが、君の神器レガリアかな?」

「いちいちうるさいなのっ!」


 ローブを脱ぎ捨てた今、フィオリエータは必要最低限の布しか身につけていない。

 相手が相手であれば、そこに油断もあっただろう。

 だが、アズリーは全く興味もなさそうに、ただ淡々と相手の動きを分析し続ける。

 そして、迫りくる蛇の如き鞭の連撃を、目に見えぬ障壁で弾き返し、距離を取った。


「やっぱり……単純な物理は届かないなの……でも!」

神器レガリアの技なら届くかもしれないね……試してみる?」


 心を読んだかのように、アズリーは先にセリフを重ねる。


「いつまでも調子に乗るんじゃないなの!」


 フィオリエータは醜い笑みを浮かべ、手にした神器レガリアを振り翳した。


「ニルカーラ様の怒りを受けて後悔するなのっ! ──転害・蠱毒てんがい・こどく!──」


 頭上で鞭を振り回し、自分を中心とした円形の軌跡を描く。

 と、その先端から、紫色をした霧状の何かが噴出する。

 紫の霧は、じわじわとその径を広げるように、周囲に散布された。

 ただでさえ暗い森の中は、ますます見通しが悪くなる。


「これは、神経毒かな? なるほど……結界では防げないみたいだね」


 毒霧は、そのまま森を汚染しながら、同心円状に拡散していった。

 そして、どうやらアズリーの纏う結界をも越えて、届いているようだ。


「大型の魔獣すら麻痺するほどの猛毒なの! すぐに呼吸もできなくなるの!」


 毒の影響下に入ったことを確信すると、フィオリエータは勝ち誇ったように叫ぶ。

 この状況下でも、アズリーは落ち着いた様子で周囲を再度確認する。

 そこで、やや不自然な点に気がついた。


 ──妙だね……本人に毒は効かないはずなのに……。


 霧はちょうどドーナツ状に広がっており、中央部には穴が空いていた。

 そう、フィオリエータの周囲には毒の霧が存在しないのだ。

 鞭の先端から毒霧を噴出するという、その技の性質上の問題かもしれない。

 だが、これならば毒の影響が強く出る前に、内側に入れば被害は最小限に抑えられる。


 ──うん……近付くしかないのかな?


 魔導士であるアズリーとしては、接近戦に持ち込まれるのは望むところではない。

 例え、フィオリエータが近接戦闘型には見えなかったとしても……だ。

 かといって、毒霧の拡散速度を見るに、距離を取るのは難しいだろう。

 この毒霧の中で耐え続けるのも良作とは言えない。


「仕方ないね……接近戦用の魔法はあまり数がないんだけど……」


 アズリーは低空で浮遊したまま、フィオリエータの方へと近づくことを決断する。

 それが、堕徒ダートの誘いであると、知ってか知らずか……。


「キャヒ! いらっしゃい……なの!」





 フィオリエータの嬉々とした声に共鳴するかのように、樹々がざわつき始めた。

 静寂に包まれた森の中に、ただ鳥の囀りだけが響き渡る……。


「ああ……なる……ほど、そういうこと……か……グハッ!」


 毒霧を潜り抜けフィオリエータの前に立ったアズリーは、弱々しい声と共に吐血する。

 浮遊も維持することができず、片膝をつくようにその場に崩れ落ちた。


「キャヒヒヒ……ざまぁみろなの! 内側には毒がないと思ったなの?」


 フィオリエータは腰に手を当て、冷笑を浮かべながらアズリーの元へと歩み寄る。

 そして、見下すような目を向けて、その頭を踏みつけた。


「散々コケにしてくれたなの……今どんな気持ちなの? 世界の希望さん?」


 アズリーは地面に突っ伏したまま、口を開く度に大量の血を吐き出す。


「……これは……ただの毒じゃ……ない、細菌だ……ね……ゲホッ」

「フィオが説明する前に、言わなくていいことなの……おまえやっぱりムカつくなの」


 この状況でまだ分析を続けるアズリーに対し、フィオリエータは不快感を露わにする。

 と、踏みつける足に力を加え、そのまま地面へ押し付けた。


「そのとおりなの……フィオの周りには、あらゆる毒素を持った目に見えない細菌が無数に培養されているなの」


 フィオリエータは、何もない掌を見せつけるようにして、そう語る。

 おそらく、そこには人体に有害な“何か”が在るのだろう。


「カハッ……これは……僕の方はもうダメかも……しれないね」

「安心するなの……どうせおまえの仲間も! この森も! すぐダメになるなの!」


 今にも力尽きそうなアズリーに対し、フィオリエータは意味深な言葉を投げかけた。

 昂る嗜虐心を抑えきれず、踏みつけていた足で、その頭を蹴り飛ばす。

 アズリーは、まるで糸の切れた操り人形のように、あっさりと崩れ落ちた……。


「キャヒヒヒ! 脆いの! 脆すぎるなの! ニルカーラ様に、最も愛されているフィオに逆らうなんて……愚かなの!」





「そういえば……で、殿下―! さっきの……ヴィク……さ……樹……って……」

「はやぁー? 聞こえにくいのじゃー! もう少し近くで話すのじゃー!」


 商都の北から、隣国ヴェルディアネスの森へと続く街道。

 全力疾走するレミィに、エトスは随分と引き離されてしまっていた。

 別れ際にヴィクトルが言っていたことを確認しようにも、その声は届いていない。

 如何に竜の知覚をもってしても、この速度下で声を拾ってもらうことは難しいようだ。


「いや……で、殿下に……追いつくとか……鎧着てなくても……」

「どしたい? エトス……姫さんと話してぇのか?」

「この位置からでは、声も届きませんね……」


 レミィと並走していたラーズが、フェリシアをお姫様抱っこしたまま後退してきた。

 肩車状態のアイディスは、しがみつくので精一杯といった様子だ。


「……まぁ……あとで確認……する……から……」

「気になることがあるってぇんなら、すぐ聞いた方がいいだろうがよ」

「いやっ! いいって……」


 ラーズの言葉に、嫌な予感がしたエトスは、少し速度を落とした。

 だが、時すでに遅し……。

 空気の読めない身体能力魔獣フィジカルモンスターは即座に行動に出る。


「遠慮すんな、ほら、行ってこい!」


 綺麗な円弧を描きながら、ラーズは丸太のような剛脚でエトスの背中を蹴り飛ばした。


「ぎゃあああ! そんな気がしてたんだよぉぉぉ!」


 弾丸と化した金属を纏う人型の物体が、超高速で街道を飛翔する。

 本人の望むと望まざるに関わらず、最後尾を走っていた騎士は、先頭に立った。

 いや、立ってはいないが……とりあえず先頭付近を漂うことはできた。


「ぬ? エトスかえ? 随分飛ばしておるのう」

「いや、飛ばされてんです……」


 負けじと追走するレミィが、その飛翔体エトスに声をかける。

 最早、開き直ったのか、エトスもそのまま会話を続けた。


「あ、殿下……ヴィクトルさんの言ってた、樹液が危ないって、どういうことなんです?」

「ぬー、わらわも、そこまで詳しいわけではないのじゃが……」


 曰く、一般的な植物は、水と共に陽の光を糧として成長する。

 だが、月光樹は、その名の通り月の光を糧として成長するらしい。

 この世界における月は、闇と知識……そして神秘の象徴である。

 そんな月の力が影響しているのだろうか?

 月光樹は、一般的な植物が持つ性質とは大きくかけ離れた神秘の特性を持っていた。

 有機物でありながら火に強く、香りはすれど虫はつかず、なぜか水に浮かない。

 植物というより、特殊な金属に近い材質とも言われている。

 そして、最も異質な……神秘の力とされているのが、その樹液の持つ特性だった。


「ハンゾクセイ?」

「そう、反・属性なのじゃ……火を受ければ水、光を受ければ闇……相反する属性を生成し、数倍にして周囲へと還す……扱いを間違えれば、大惨事になりかねん危険物じゃのう」

「あれ? でも、それなら属性に触れさせなければ……」

「河に流したら、どうなるかのう?」

「ああ!」

「うむ……その特性ゆえ、樹液の採取方法はエルフたちの秘伝とされておったのじゃが……」


 ようやくエトスは、事態の緊急性を理解した。

 あれだけの材木から採取された樹液……その量は相当のものになるだろう。


 ──まぁ、急いでいるのは、それだけが理由ではないがのう……。


 レミィは、改めてアズリーが向かったであろう森の方へと目を向けた。


「俺も、なんとかしたい気持ちは山々なのですが……殿下っ!」

「はや?」

「一旦、下がりまぁぁぁすぅうわぁぁぁ!」


 ラーズに蹴られた勢いが弱まり、エトスは失速していく。

 と、頭から地面に突っ伏すようにして、その場に取り残される。

 騎士は、高速移動するレミィから、一瞬で遠のくように後方へと姿を消していった。


「慌ただしい奴なのじゃ……」

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