第77話:重詠唱と狂信者の焦り

「希望? 絶望? 意味がわからないなの!」

「うん、大丈夫……すぐにわかるよ。例え、君が……どんなに暗愚でも」


 アズリーが挑発すると、ローブ姿の女性は再び間合いを計り、戦闘体制に入る。


「下僕ども! あれを、撃ち殺すなの!」


 そして振り向きもせず、元エルフだった屍人ゾンビたちに指示を飛ばした。

 緩慢な動きで抱えていた樽を置くと、下僕たちは弓をつがえて一斉に矢を放つ。

 その動作には、エルフが生来持つ優美さも、洗練された技術もない。

 とはいえ、容易に避けられるような数でもなかった。


「魔法は消せても、矢は消えないなの! 蜂の巣になるなの!」


 だが、アズリーは慌てた様子もなく正面に向かって、そっと手を翳す。


「──Delere──」


 と、周囲にあった無数の矢は、霧のように消え去っていく。


「そう? 普通に消えるけど?」

「また、その短い詠唱……なんなの!? どういうことなの!?」


 ローブ姿の女性は、地団駄を踏みながら声を荒げる。

 アズリーの詠唱は、彼女の知る本来の魔導士のそれとは根本的に違っていた。

 短い詠唱に謎の言語、最小限の動作、その上……何も物質要素を使用していない。

 魔法を行使する者、そして、その理を学ぶ者の常識からは考えられない出来事だ。


「さて……ラーさんは大事だっていうから、一応聞いておくね……君の名前は?」


 アズリーは、虹色の瞳を見開きつつ……無機質な微笑みで問いかける。

 その周囲には、レミィの竜の威光にも似た、異質なオーラが漂っていた。


「……フィオは、“紫の使徒”フィオリエータ! 真なる竜神ニルカーラ様に仕える最も可憐なる堕徒ダートなの!」


 怯えた様子はなく、オーラに当てられたわけでもないだろう。

 だが、ローブ姿の女性は、意外にもあっさりと自分の名を口にした。

 そして、その名乗りと同時に、目深に被っていたローブのフードを脱ぐ。

 そこで目にしたものは……彼女がエルフであることを示す、特徴的な長い耳だった。


「なるほど……紫の使徒フィオリエータ……君も、同胞だったんだね……」


 落胆を口にしつつも、アズリーは微笑みを絶やさない。

 ただ……その目は、とても笑っているようには見えなかった。





「姫さん、何をそんなに慌ててんです?」


 そのラーズの問いかけに、レミィはどう答えたものかと思案していた。


「それは……そう、何か嫌な予感がするのじゃ」


 曖昧な回答で、とりあえずはその場を凌ぐ。


 ──まさか、森の一部が消滅するかもしれんとは……言いにくいのう。


 予言書が見せた、少し先の未来……。

 そこには、なす術もなく朽ち果てていく、深き森の様子が克明に記されていた。

 あくまで、選択次第ではそうなるかもしれない……という話ではある。

 だが、そんな最悪の未来も可能性として残されているのだ。

 悪徳商人たちの処遇をヴィクトルに任せ、レミィは森の方へと急ぎ駆け出す。

 それをフェリシア筆頭の臣下たち、そしてアイディスが追いかける形となった。


「で、殿下が……ここまで慌てる……なん……て……そ、相当珍しいな」


 最後尾を走るエトスは、息を切らせながら前方の一団に話しかける。

 いくら軽量化されたミスリルの鎧とはいえ、全身鎧での全力疾走はやはりキツい。


「そうですね……理由が不明瞭なのも少し気になります」


 ラーズにお姫様抱っこをされたまま、フェリシアは心配そうにレミィを見る。


「ね、ねぇ? お貴族サマって……みんなこんなに走れるの!? ボクもう限界っぽいんだけど……」


 勢いでついてきたアイディスも、途中までは頑張っていた。

 だが、疾走するレミィとラーズについていくのは常人には至難の技である。

 鎧というハンデを背負ってついてきているエトスは、実はすごいのかもしれない。


「しゃぁねぇな、ホラよ」


 ラーズは器用にも、併走するアイディスを足で掬うようにして蹴り上げた。


「うわぁっ!」


 ダメージこそないものの、民家の屋根くらいの高さにまでその身は舞い上がる。

 と、そのまま跳躍して迎えに行ったラーズの肩に跨るように収まった。


「しっかり捕まってろよ?」

「ひえっ……あ、は、はいぃ!」


 勢いに流されたアイディスは、驚きと恐怖とが入り混じったような表情で応える。


「ラーズ……おまえ、ほんといろいろ器用だねぇ……」

「テメェは自分の足でついてくんだぜぇ? エトス」

「言われなくても!」


 気合いを入れ直した二人が、主人あるじの後を全力で追いかける。

 その、先行するレミィの心中は、今までにない不安でいっぱいだった。


 ──とりあえず、森が無事なうちに、現場に辿り着きたいところなのじゃ……。





「同胞? エルフが皆仲間だと思ってるなら、おめでたい奴なの!」


 フィオリエータは、吐き捨てるようにしてアズリーに言い放つ。

 種族が同じであれば、皆が仲間というわけではない。

 そのことはアズリーも重々承知している。

 だが、それは同胞エルフ屍人ゾンビとして使役することを許す理由にはならない。


「……お疲れ様……皆、ゆっくり休んでね……──Lux solis──」


 慈しむように、憐れむように、アズリーは両の手を合わせて短い呪文を詠唱した。

 刹那、影が支配していた森の中を……眩いばかりの光が照らす。


「……僕は、神術に詳しくないから。せめて、太陽の光をいっぱい浴びて……還ろう」

「な……なんなのこの魔法……こんなの知らないなの」


 一言に魔法と言っても、戦闘のためのものばかりではない。

 快適な生活のための小魔法キャントリップといった、補助的な魔法も数多く存在する。

 暗闇を照らす魔法も、そういった補助的な魔法の一つといえるだろう。

 だが、今アズリーが紡いだこの魔法は……ただ光を照らすだけのものではなかった。

 春の日差しのような、優しい光を浴びた屍人ゾンビたちは、次々と昇華されていく。

 まるで、死者を弔うための神術で、浄化されたかのように……。


屍人ゾンビが……還っていくなの……」


 魔導士が扱う魔法……魔力を用いた魔術に浄化の力はない。

 にもかかわらず、屍人ゾンビたちは穏やかな表情で灰燼に帰した。


 ──ありがとう……。


 彼らゾンビが、そう言った気がした。


「だったら! また呼び出せばいいだけなの! ──顕現せよ、怨み持つ魂……」

「──Eclipsis──」


 フィオリエータの詠唱が始まるや否や、アズリーはそこに呪文を重ねる。

 と、忌まわしき霊を呼び出さんとした彼女の魔法は、完成を待たずして掻き消された。


「……そんな……ずるいなの……ずるすぎるなの!」


 邪竜ニルカーラの使徒……その精鋭であるはずの堕徒ダートの顔に焦りの色が見えた。

 邪教徒……狂信者には恐怖という概念がない……。

 もっとも、それはレミィの畏怖のオーラによって覆されてしまった。

 恐怖を超えた畏怖というものがあることを邪教徒たちも知ったことだろう。

 だが、今フィオリエータが感じている焦りは、またそれとは違ったものだった。


 ──なにもできないなの……。


 まだ、アズリーは攻撃らしい攻撃をしていない。

 降りかかる火の粉を払っただけ……攻撃や魔法に対する対処しかしていないのだ。

 もし、このエルフの魔導士が攻撃に転じたら、どうなるのか?

 そのフィオリータの焦り……どこかで感じていた“絶望”は現実のものとなる。


「──変異せよ、霧の……」

「──Flamma──」

「──Glacies──」

「──Tonitru──」

「──Venenum──」

「──Acidum──」


 フィオリータの詠唱よりも早く、アズリーの呪文が先に完成した。

 まるで、そこに複数の術師がいるかのように重なる声……。

 燃え盛る炎、凍て付く氷、荒れ狂う雷、猛毒ガスと強酸の渦、異なる魔法の同時詠唱。

 全ての魔法効果がフィオリータを中心とした一点へと同時に炸裂する。


「きゃぁぁぁ!」


 森の中に、フィオリエータの痛々しい悲鳴が木霊した。

 ローブは焦げ、髪は凍りつき、皮膚にも火傷痕と溶けたような痕が刻まれている。

 地面も抉られ、森の一部も失われているようだが、アズリーは気にした様子もない。


「あ、熱い! 熱い! 灼けるなの!」

「うん……君には毒が効かないみたいだね……火は有効か……」


 複数の属性ダメージを浴び、フィオリエータはその場で悶絶した。

 一方でアズリーは、無表情に結果を分析し、言葉にする。

 無邪気な口調は、実際の振る舞いと大きなギャップを感じさせた。


「うわあぁぁぁ! 殺す殺す殺す殺す殺すぅ! おまえぇ! 絶対殺すなのぉ!」


 肌の露出も気に留めず、フィオリエータはボロボロのローブを脱ぎ捨て立ち上がる。

 その目には、今まで以上の狂気が宿っていた。

 だが、アズリーは怯んだ様子もなく、淡々と応える。


「早く本気を出した方がいいよ……僕は、我が主人マイマスターほど優しくないからね……」

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