第76話:絶望と世界の希望
フェリシアが満面の笑みで指し示す倉庫の入口。
そこには肩に剣を担ぎ、何かを引き摺る人の影が在った。
「よく戻った、ディエゴ! あの裏切り者を誅伐してくれた、か!」
「さすが! 我らがのギルドNo.2であ……る……ん?」
二人の目線の先に立つ、ディエゴらしき者の影。
だが、どうにも……そのシルエットには、違和感があった。
──はて……あの男の剣は……あんなに短かった、か?
──やけに体が……大きく見えるのであるが……。
「お? 姫さんじゃあねぇか……なぁにしてんだ、こんなとこで」
飄々とした口調でレミィに話しかけるその声は、商人たちの知るものではなかった。
「『なぁにしてんだ』ではないのじゃ……貴様こそ、こんなところで何をしておるのじゃ」
光は徐々に、その声の主の姿を明らかにする。
立っていたのは、ディエゴとは似ても似付かぬ、銀髪に褐色肌の筋肉質な大男。
言わずと知れた、
「こ、この者は、いったい……何者、だ!?」
「ええい、次から次へと……一体どうなっているのであるか」
ディエゴではない……その事実を認識した二人の商人にさらに追い撃ちがかかる。
「どうなっているのか、は……私から説明した方がよいでしょうか?」
その大男の背後から、顔を覗かせたのは同士M……ヴィクトルだった。
「な! ヴィクトル・ミュラー……どうして無事なの、だ……」
「ディエゴはどうしたか!? あの男から逃れるなど……」
「あ、ディエゴさんなら……これです」
さらに背後からひょっこり顔を出したアイディスが、ラーズの引き摺る荷物を指差す。
それは完全に意識を失った、盗賊ギルドのNo.2、閃光のディエゴだった。
「ディ……ディエゴ!?」
「ばかな!? No.2が……そんな簡単に……」
切り札の惨状に、二人の商人は声を震わせ
「ああ……おもしれぇ剣士だったぜぇ? 覚悟も引き際も一流だ……ただ……」
「ただ……なん、だ!?」
勿体つけるようなラーズの口ぶりに、商人はキレ気味で急かす。
「自分の武器に使われてるようじゃあ、まだまだ話になんねぇなあ」
と、そう言ってラーズは、抜き身のまま肩に担いでいた剣を地面に向けて投げつけた。
細身の長剣が、商人たちの影を縫い付けるように突き刺さる。
どんな勢いで投げつけられたのか、その刀身は半分ほど地面に埋まっていた。
「ひぃ!?」
「こ、この者は……本当に人間であるか!?」
怯え切った二人の商人は、及び腰になった体を互いに支え合い、その大男を見上げる。
レミィが、頃合いとばかりに口を開こうとしたその時、予言書が光を放つ。
──ぬ? ここに分岐があるというのかえ?
この場の誰もが不思議そうに見つめる中、レミィはポーチから予言書を取り出した。
■31、主犯格を追い詰めた君は……
A:ゆっくりと話を聞くために、帝都へと連れ帰った。→63へ行け
B:早急に話を聞くために、威光を示した。 →106へ行け
──ゆっくり聞くか、急いで聞くか……じゃのう。
とりあえず、この場で知っていることを全て自白させるつもりではあった。
だが、わざわざ予言書が選択を迫るからには、何か裏があるのだろう。
そうなると、先を確認せずに、軽々しく選ぶわけにもいかない。
「こんな連中に竜の威光を……使う必要が……はやぁ!?」
「ん? どしたい? 姫さんよぉ……」
それぞれの未来を少し読み進めたレミィは、慌てて予言書を閉じる。
と、ラーズの言葉にも答えず、躊躇なく全身から畏怖の
「思った以上に時間が無いようでのう……貴様ら、早々に話を聞かせてもらうのじゃ」
フォレスターファミリーとカーペンターグループという中堅どころの商会。
彼らの元へ、ある筋から怪しい儲け話が持ち込まれた
──月光樹の取引……できるように、手伝ってやるなの……。
その誘いは、黒いローブ姿の女性からもたらされたという。
もとより月光樹の伐採量を増やす計画を、ギルドにはずっと掛け合ってきた。
──売上向上、事業拡大のためであれば手段は選ばない
そう考えていた二つの商会にとっては、願ってもない提案だった。
このエル・アスールにおいて、最高の権力を持つ商業ギルド三合会。
トップには三つの大商会が不動の地位を築いていた。
昨今では、新進気鋭の若手が会頭を務めるミュラー商会なる者も頭角を現している。
──これ以上、他の商会に差をつけられてなるものか!
フォレスターとカーペンターは二つ返事でこの提案を受け入れる。
そこからは、驚くほど早い展開で事が進んでいった。
突如、現行の三合会トップのうち、二人が行方不明になる。
と、その混乱に乗じて、二つの商会は新たなトップとして名乗りをあげた。
月光樹の取り扱いに関する先の決定を覆し、保険として便宜上の国境線を引き直す。
伐採した樹はエル・アスール領地内のものだとして、所有権を主張するために……。
エルフとの信頼関係のみで成り立っていた両者の関係。
明確な書面もなく定められていた境界など、あって無いようなものだった。
「これで我らも、歴史に名を残す偉人の仲間入り、ぞ」
「あとは、動くだけ、であるな」
ここに先人が誰も成し得なかった……。
いや、成そうともしなかった、大規模な月光樹の伐採が実行される。
最大の障害と思われた、エルフの森林警備隊は確認されなかった。
黒いローブの女が、どこかで手を回してくれたのだろうか?
何れにせよ、反対勢力だった他のギルドメンバーの声も抑えることができた。
あとは販路の開拓のみ……。
そこで声をかけてきたのが、若きミュラー商会の会頭、ヴィクトルだった。
今、最も注目されている商会の会頭が、自ら商談を持ちかけてきたのである。
──なんとも鼻の利く奴よ、な。
──まぁ、こちらに引き入れておいて損はなかろう。
フォレスターとカーペンターは、販路を持つ商人ギルドのヴィクトルを歓迎する。
野心家の若手商人が、己が利益のために尻尾を振ってきたと思っていたのだろう。
だが結果的に、それは大きな間違いだった。
ヴィクトルはそこで、恐ろしい計画の内容を知ることになる。
月光樹の伐採を手伝うことの引き換えに、黒いローブの女は対価を求めた。
それは、このエル・アスールで、とある教団の信徒を受け入れること。
さらに、その宗派の教えを広めること……。
その教団の名は真竜教……
──教団の教えがどんなものかまでは存じません、が……。
──今更、多少の信者が現れたとて、封じられた邪竜が蘇るわけでもあるまい。
信仰の薄いフォレスターとカーペンターは、何の危機感も抱かず、それを受け入れた。
この邪教徒の受け入れだけでも、帝国にとっては充分な危機である。
だが、ヴィクトルが最も恐れたのは、そこではなかった……。
「同士F、同士C……この月光樹の樹液は、どうするのですか?」
そのヴィクトルの質問に対し、二人は不思議そうな表情で答える。
「樹液……あの臭い液体の処理のことですか、な?」
「なぁに、物好きな仲介人が、全て片付けてくれる手筈になっているのである」
日は徐々に傾きつつあった。
人気の露店は、早々に店じまいを始めている。
夕方には、酒場で今日の売り上げ自慢、買い物自慢が始まるだろう。
騙し騙され、売り売られ、商都の活気は衰えない。
そんな街の喧騒を他所に、暗い森の中を黙々と進行する一団があった。
先頭に立つのはローブ姿の小柄な女性。
その後に、付き従うよう続くのは特徴的な長い耳の亜人種……エルフだ。
エルフたちは一様に大きな樽を抱えている。
そこに会話はなかった……。
少なくとも、この瞬間までは。
「やぁ、お嬢さん……こんな森の奥で、なにしてるの?」
木の影から突如現れたエルフの青年は、先頭の女性に声をかける。
目を瞑り……いや、ただ目が細いのか……その整った顔には微笑みを湛えていた。
驚いたローブ姿の小柄な女性は、飛び退くようにして距離を取り、警戒する。
「おまえ……何者なの?」
エルフの青年は、女性の方は見向きもせずに、その後ろにいる同胞の姿を一瞥した。
そして、少し悲しそうに表情を曇らせ、大きなため息をつく。
「はぁ……残念だなぁ……せっかく、同じエルフの皆に話を聞けると思っていたのに……」
後ろに付き従っていたエルフの一団……。
彼らの瞳には光がなく、生気も感じられなかった。
おそらく、この世ならざる者……
「おまえ! 何者なのか聞いてるなの!」
「大丈夫だよ……ちゃんと僕が、皆の叡智を受け継いでいくからね」
目の前で威嚇する女性を完全に無視して、エルフの青年は独り言のように呟いた。
「フェリさんが教えてくれたから……。『どんな状況でも、冷静さを失わず♪』」
「何を言ってるなの! 無視するんじゃないなの!! ──顕現せよ、渦巻く怨嗟、
ローブ姿の小柄な女性は、エルフの青年に、その苛立ちをぶつける。
詠唱と共に現れたのは、ドス黒い鉤爪を生やした人の手のような何か……。
枯れ枝のように痩せ細った怪しい手は、エルフの青年を引き裂かんと襲いかかる。
この魔法は、生に執着する死者の手を顕現させる……死霊術だ。
「エトさんも言ってたね……。『守りを怠る者に勝ちはない、しっかり防げ』……──Delere──」
だがエルフの青年は特に慌てた様子もなく、その禍々しい手を指先一つで掻き消した。
「あんな短い詠唱だけで!? どういうことなの……」
「そうだった、ラーさんに教わったとこだったのに……。『例え、そいつが敵だとしてもよぅ、戦う相手にゃ敬意を持って名乗りをあげんのが礼儀ってぇもんだ』」
「おまえさっきから……ムカつくなの!」
「ああ、ごめんね……僕もこんな気持ちになったのは初めてだったから……これがムカつくってことなのか……」
そう言って、エルフの青年は、初めて女性の方へと目を向けた。
「僕はアズリー……アズリー・ホープス。
軽く一礼をしながら、柔らかな物腰で名乗りをあげる。
そこから……その糸のような目を見開くと、一転して冷たい口調でこう続けた。
「世界の希望、そして、君たちの絶望だよ」
虹色に輝くその瞳の中には、魔法陣のようなものが見てとれた。
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