第75話:欺瞞と虚構の大商人

「いや違う! 同士Cよ……あの白い肌……人形の質感ではない、ぞ」

「ほほう……であれば、相当高値で売れそうな……上玉であるな」


 レミィの動きと、その肌艶を見た二人は、ようやく相手が人形でないことを認識する。

 一体なんの商売を思いついたのかまでは言及しない……。

 二人の男は下卑た笑いをさらに歪ませ、少女の全身を食い入るように見つめる。


「ここまで来ると清々しいのう……この状況下で商売のことしか考えておらんとは……驚きなのじゃ」


 積み上げられた丸太から、二人の間に降り立ったレミィは、呆れた様子で呟いた。

 その目元を小さな仮面で覆った中年男性おっさんが、いやらしい手つきでにじり寄る。


「お嬢さん……ここはギルドの偉い人しか入れない場所なのだ、よ」

「規則を破った悪い子には、お仕置きが必要であるな」


 おそらく、レミィの言葉は何も聞こえていなかったのだろう。

 この物怖じしない少女が、まさか宗主国の皇女だとは思ってもいないようだ。


「なぁに、言うことを素直に聞いていれば……痛い目は見なくて済む、ぞ」

「うむ、嬢ちゃんの態度次第……であるな」


 レミィは、だんだん面白くなってきた。

 このまま何も知らないふりをして、捕まってみたらどうなるだろう?

 あとで、真実を知ったこの二人はどんな反応を見せるだろうか?


「誰にものを言ってるか、わかってるんですか!? 怪しい仮面のお二人さん!」


 だが、エトスはこの状況が我慢できなかったらしい。


「なんじゃ……せっかく面白くなってきおったのに……」


 倉庫の入口の方から、ずかずかと大股で歩み寄る白い鎧の騎士。

 仮面の奥で目を細めながら、二人の男はその姿を訝しげに見やる。


「ど……どちらの騎士様ですか、な? ここは、我ら商人の大切な財産を保管する、いわば聖域です、ぞ!? 如何に騎士様と言えど……」

「待て! あの鎧の紋章は……帝国の……皇女騎士団のものであるぞ!?」


 上から目線で応対しようとする同士Fの言葉を、同士Cが制する。

 その声を耳にしたエトスは、これ見よがしに紋章をアピールしながら二人に近づいた。


「ご無事ですか! レミィエール皇女殿下!」


 そしてハッキリと二人に聞こえるように、レミィの名と地位を口にする。


「え……今なん、と……?」

「皇女……殿下……であらせられ、られ……」


 仮面越しにもわかるほど目を見開き、二人は明らかに動揺した様子で振り返る。


「命拾いしたのう、貴様ら……わらわに触れた時点で、挽き肉にしてやろうと思っておったのじゃ」





「想定よりねぇ……硬い感触だとは思ったんだよねぇ」


 左手の剣を、大男ラーズの腹部に突き立てたまま、ディエゴは淡々と語る。

 その切先は、あとわずかで資材の裏に隠れていたヴィクトルに届くところだった。

 もし、この位置にラーズが立ち塞がっていなければ、どうなっていたか……。


「き、君……大丈夫ですか!?」

「盗賊ギルドの連中ってぇのが、仕事熱心たぁ聞いちゃあいたが……俺と遊んでる最中に浮気してんじゃあねぇよ」


 ヴィクトルの心配には答えず、ラーズは、ゆっくりとディエゴにそう告げる。

 その表情には、まだ充分に余裕があった。


「いや、恐れ入るねぇ……完全に腹を貫通してるってのにねぇ……」

 口では平静を装っているディエゴも、流石に危機感を覚え始めていた。


 ──いくら斬っても通じねぇ、目眩しも効いてねぇ、おまけに腹を貫いても倒れねぇ。


 当たり前のことを、当たり前に考えれば、あり得ない話なのだ。


「一つ聞いてもいいかねぇ?」

「ああ? なんでぇ?」


 時間稼ぎも兼ねたトークで、ディエゴは、なんとか心を落ち着けようと試みる。


「あの閃光の中で……どうやって俺様の向かう先を見切れたのかねぇ?」

「んなもん、振動でどこ歩いてるかなんざぁわかるだろうがよ」

「なるほど、振動ねぇ……」


 ──あ、ダメなやつだねぇ……。


 聞くんじゃなかった。

 ディエゴは心の底からそう思っていた。


 ──これは一人で対処できる相手じゃない……ここは一旦退くかねぇ。


 逆に開き直ったディエゴは、冷静に状況を整理することができた。

 目的を確実に遂行させるためならば、撤退も厭わない……それがプロの仕事人だ。

 未だ目の前の大男に深々と突き刺さったままの左手の剣を、その体から引き抜く……。

 強く、引き出すように、全力で、全体重をかけて、なんなら足で突っ張って。

 にも関わらず、抜けない。

 よく見れば、腹部からの出血も止まっているように見える。


「こ、これ、なんで抜けないのかねぇ」

「そりゃ、俺が腹で掴んでんだからよぉ……動くわきゃねぇだろが」

「は、腹で掴んでるぅ?」


 聞いたことのない言葉に、思わずディエゴはそのまま伝え返してしまう。


「いや、手で掴むなぁ簡単だがよぉ……二本の剣を、それぞれ掴んでちゃあ両手が塞がっちまう」


 どうも、分かり合えないような話が始まりそうな気はしていた。

 だが、ラーズはそのまま嬉々として腹で掴んだ理由を語り始める。


「それに武器自体は、なかなかの業物みてぇだからよぉ……不用意な掴み方で指落としちまうってぇのも良くねぇだろ……だから上下左右からガチっと押さえられる腹にしたってわけよ」


 いろいろとツッコみたいと思ったのは、ディエゴだけではないだろう。

 その説明を聞いても、納得に至る会話の落とし所が見えてこない。


 ──仕方ないねぇ、この剣は諦め……。


 ここにきてディエゴは……痛恨の失敗をする。

 どれだけ大事な商売道具でも、命には変えられない。

 如何に業物の逸品でも、早々に手放して逃げ出すべきだったのだ。

 そう……この銀髪の獣を相手に、その判断は遅すぎた。

 剣を握りしめ突き出していたディエゴの左腕は、ラーズの大きな手に掴まれる。

 慌ててそれを振り解こうと抵抗するも、微動だにしない。


「さて、捕まっちまったら……“閃光”はどうすんだい?」


 この時点で、ディエゴに、これといった良い解決策は思い浮かばなかった。


 ──これは……覚悟決めなきゃだねぇ……。


 流石は一流の仕事人といったところだろうか?

 そこから、失敗を取り返すための決断は早かった。

 ラーズに敵わないと悟ったディエゴは、逆手の刃で自分の左腕を切断しようと試みる。


 ──命と引き換えに、腕一本で済むのなら安いものだねぇ……。


 自分にそう言い聞かせ、右手の剣を振り下ろした。

 刹那、その決断すら置き去りにする、ラーズの闘技がディエゴを捉える。


 ──裏・閃槌うらせんつい──


 横から掠るように叩き込まれた裏拳は顎を砕き、同時に脳を大きく揺らす。


「なにも腕まで落とすこたぁねぇよ……また遊ぼうぜ」

「へぇ……煉闘士ヴァンデールってのは、意外と……甘い……んだ……ねぇ」


 朦朧とする意識の中、ディエゴは悔しげに捨て台詞を残した。





「確か“規則を破った悪い子には、お仕置きが必要”……だったかのう?」


 蠱惑的な笑みを浮かべ、レミィは二人の商人に軽い威圧をかける。

 竜の威光は使用していない。

 ただ、ジト目で見つめているだけなのだが、その効果は絶大だった。

 百戦錬磨の大商人二人が、蛇に睨まれた蛙……いや竜に睨まれたヒト状態である。


「あ……いや……私どもは、まだなにも、全然お手は触れておりません、ぞ……」

「わ、我々はただ、あの……そう! お召し物が少し乱れておいでだったので……あるからして……」


 目を自由形で往復して泳がせた二人は、苦しい言い訳で取り繕おうと試みる。

 だが、そんな話が聞きたいわけではない。


「この大量の月光樹と……元三合会トップのお二方が行方不明になった件について……いろいろと、お聞かせいただけますか?」

「ああ、なんなら……不敬罪も追加したっていいんだぞ?」


 いつの間にかレミィの傍に立っていたフェリシアとエトスが二人に詰め寄る。

 切り札のディエゴは、ここにはいない……。

 この状況から逃亡を図ることは難しいだろう。

 だが、ディエゴなら……必ずあの裏切り者の死体を持ち帰ってくるはずだ。


 ──であれ、ば!


「お待ちください、皇女殿、下! 私共は、あの男の謀略に乗せられたのです、ぞ」


 突然、膝をついて祈るような姿勢でレミィを仰ぎ、言い訳を始めた。

 もう一人も、その意図を察したか、まるで口裏を合わせていたかのように熱弁する。


「そ、そうなのです……恐ろしい男でありますな……あのミュラー商会の会頭は……」


 そう言って、二人の男はヴィクトルにすべての罪をなすりつけようとする。

 死人に口無し……どうせディエゴに殺されることは間違いないと確信して。


「お前ら……まだそんなこと言ってんのか?」


 この往生際の悪い二人の言葉に、エトスは苛立ちをぶつけた。

 だが、それを制するかのように、フェリシアが間に入る。

 と、まるで名所案内でもするかのような仕草で、倉庫の入口を指し示した。


「では、ご本人に伺ってみては如何でしょうか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る