第73話:評価と心の声

「あの者は!? 知り合いであるか!?」

「いや、その子は……」

「どういうことですか、な、同士M! ここには我らが同士以外、進入不可となっていたはずです、が?」


 同士Fは慌てて、目だけを覆うような仮面を鞄から引っ張り出し、顔を隠す。

 同様に同士Cも、懐から同じような仮面を取り出し身につけた。

 今更、そんな申し訳程度の仮面で、誤魔化せる状況ではないのだが……。


「いや、旦那さん方……こいつは盗賊ギルドで見かけたことがあるねぇ……見かけただけで名前も知らねぇけどねぇ」


 三合会の重鎮たちがざわつく中、アイディスを捕らえた細身の剣士が口をひらく。

 ダンディな口髭に鼻の上の特徴的な傷、そして腰に携えた2本の長剣……。


「……まさか、閃光のディエゴ……さん?」

「おや、俺様を知ってたとは光栄だねぇ……で、さっきチョビ髭オヤジっつったのはこの口かねぇ?」


 その姿を改めて目にしたアイディスは、震える声でその名を呟く。

 ディエゴと呼ばれたその男は、張り付いた笑顔を浮かべ、侵入者の手首を捻り上げた。


いてててっ!」

 そして柔らかい物腰のまま、頬に白刃を突きつける。

 いつ剣を抜いたのか、周囲の誰にも、まったく見えなかった。

 アイディスは、死を覚悟した……。


 ──この世に、怖いものなんてない。


 そう思っていた少年が、まさか、この短期間に2度も死の恐怖に直面するとは……。


「お待ちください!」


 そこに割り込んできたのは、他ならぬヴィクトルだった。


「おや? ミュラー商会の……いや、ここでは同士Mでしたかねぇ」


 少しニヤけた顔で、ディエゴはヴィクトルの方を見やる。


「その子の件は私が……直接責任を取りましょう」


 そう言ってヴィクトルは、ゆっくりとその場に歩み寄った。


「あんたんとこのネズミだしねぇ……始末、できるんだねぇ?」

「この程度のトラブルに対処できなければ、商会の会頭なんて務まりませんよ……」


 ヴィクトルは慌てた様子もなく、あくまで冷静な答えを返す。

 ディエゴは捻り上げていた手を緩め、そのままアイディスを突き飛ばした。

 ちょうど、その胸元に飛び込んでいくような形で倒れ込む。

 そこでアイディスが見たヴィクトルの表情は、想像よりもずっと穏やかだった。


「だ、旦那サマ……」


 こんな場所で、非合法な商品の取引をしようとしていた、欲深い悪徳商人?

 いや、あんな面接の一言で自分のことを信じ、側仕えとしてくれた、お人好し?

 仮初めの主従関係ではあったが、アイディスはヴィクトルのことが嫌いではなかった。

 悪人と決めつけておきながら、心のどこかで間違いであって欲しいとも思っていた。

 そんなアイディスの葛藤を払拭するかのように、ヴィクトルは耳元でこう囁く。


「さぁ、ここから逃げますよ……」





 ──アイディス・アンドレイア……貧民街出身。

 ──依頼達成率20%程度……逃げ足と隠れ身はそこそこ。

 ──特技は……少し記憶力がいいかもしれない?

 ──性格は臆病にして怠惰、向上心なく、成長は期待できない。


「なるほど……あまり優秀な子ではないようですね」


 ギルドメンバーが記された帳簿に目を通しながら、ヴィクトルは一人呟く。

 皇女殿下に、盗賊ギルドの実態を漏らした者は誰なのか……。

 諜報部に確認したところ、すぐにその対象者は割り出された。


「まったく、どんな曲者が手引きしたのかと思えば……こんな駆け出しのひよっこでしたか」


 この街には、ギルドの手の者が数多く潜んでいる。

 浮浪者、商人、衛兵、役人、果ては通りすがりの観光客に至るまで……。

 街の至る所に居る、その“眼”から逃れることはできない。

 おそらく路地裏でレミィが巻き込まれた、あの出来事も情報は掴んでいるのだろう。


 ──ですが……これくらいの子の方が、かえって警戒されないかもしれませんね……。


 帳簿を机の上に投げ出すと、そのまま両肘をついて目を瞑る。


「……そうですね、皇女殿下への情報提供は……この子を使うことにしましょう」


 ヴィクトルは少し考えてから、自分に言い聞かせるようにして言葉を口にした。

 そうと決まれば、取るべき次の一手は決まっている。

 この、駆け出しのひよっこに、上手く伝令役を担ってもらうだけだ。


「さて……どういう名目でお呼び出ししましょうか……」


 そう言って本店の方へと足を運んだヴィクトルの見つめる先に、その子は居た。

 番頭と……何かを話しているようだ。


「とにかく、会頭にそんなお時間はない。露天商の者にでも丁稚として雇ってもらうことだ……ほら、話は終わり……帰りなさい」

「いえ、ここエル・アスールで……いや大陸全土で最高の商人が集まるのは、このミュラー商会です! 僕は最高の商人を目指したいんです!」


 ──いいですね、わざわざそちらから、来てくれましたか……。


 ヴィクトルは、あまりに思い通りの展開に思わず怪しい笑みを浮かべる。

 商業ギルドを陥れ、この国ひいては帝国全土の品位を損ないかねない不忠者……。

 あの革新派の連中を成敗するための切り札が、自らこちらへ出向いてくれたのだ。

 ヴィクトルは、最高の営業スマイルで、その切り札を迎え入れる。


「なるほど……では、最高の商人とはどう言ったものか……君の考えは?」





「まったく……帳簿に記された評価など、アテにできませんね」

「だ、旦那サマ?」


 アイディスには、ヴィクトルの言葉の意味が理解できなかった。


「──顕現せよ、火弾──」


 短い呪文を詠唱したヴィクトルの手に、小さな火の玉が顕れる。

 と、それをアイディスではなく、ディエゴの方に撃ち放つ。


「おっと! どういうつもりですかねぇ?」


 二つ名に“閃光”を冠する、盗賊ギルドの中でも戦闘能力に長けたこの男。

 ディエゴは、その不意打ちを難なく躱わすと、改めて二人の方へと剣を向ける。

 その刹那、ヴィクトルは体勢を整え、アイディスを抱えて倉庫の外へと駆け出した。


「え!? ええっ!?」

「臆病にして怠惰、向上心なく、成長は期待できない……そんな貴方なら、危険を冒してまで、深入りはしないだろうと……思っていたのですが……」


 ここにきてヴィクトルは、自分の判断に誤りがあったということを認識する。


「まさか、ここまで仕事熱心だったとは……」

「え……あ……それは……」


 そう言われて初めて気づいた、自分自身の変化。

 たった一人、危険な場所に忍び込んでの情報収集……。

 果たして、今までの自分なら、こんな依頼を最後まで完遂しただろうか?

 ここまで上手くいっていたから……それはそう。

 ちょっとだけ自信がついたから……それもそう。

 でも一番の理由は……。


 ──いろいろ情報を聞けて“助かったのじゃ”。


 あの時、欲しかった言葉をくれたから。

 誰かに、褒められること……認められること……必要とされること。

 誰かのために役に立ったと胸を張って言える……その体験をさせてもらったから。


「なにか、アイディスくんの中で、変化が起きるような出来事が……あったのですね」


 その心中を察したかのように、ヴィクトルは優しい声をかける。


「はい……ボクは……ボクは、もっと役に立ちたかったんです」


 アイディスは、涙交じりにその本音を吐露する。

 臆病者、役立たず、一族の恥……自分を蔑む言葉なら、いくらでも思い出せた。

 100年が過ぎたあたりから、もうどうでもよくなってきた。

 貧民街で怠惰に過ぎていく毎日。

 どうしてこんなにエルフの寿命は無駄に永いのか……そう思っていた。

 そして、つい昨日のことだ。

 いつものように盗んで奪って適当に過ごしていたところで、突然現れた皇女殿下。

 見下すでもなく、憐れむでもなく、彼女は同じ目線で話してくれた。

 だから、もう一度……。


「さて……鬼ごっこはここまでだねぇ!」


 追跡者は、感傷に浸る暇も与えてはくれない。

 次の曲がり角を過ぎれば、人通りの多い道へと出ることができる。

 その、あと一歩というところで、閃光のディエゴは二人の前に立ちはだかった。

 多少、魔術を嗜むとはいえ、所詮は商人……本職の剣士に敵うはずもない。

 万事休すといったところで、アイディスは思わぬ行動に出る。


「だ、旦那サマには、手を出させないぞ!」


 ヴィクトルの腕をすり抜けると、アイディスはディエゴに向かって短剣を構えた。


「いや、笑わせるねぇ……そんな怯えた状態で、俺様とやろうってんだねぇ?」

「アイディスくん無理です! 君が勝てる相手じゃない!」


 手足の震えは止まらない。

 ヴィクトルの叫び声も、ハッキリとは聞こえない。

 でも、ここでやらなければ、また何のために生きているのか見えなくなってしまう。


「やれやれ、面倒だねぇ」


 呆れたような口ぶりで、ディエゴがその二つの剣を交差するように振り下ろす。

 と、その直後に、アイディスの両腕から鮮血が迸った。


「うわぁっ!」

「アイディスくん!」


 アイディスの悲鳴と、ヴィクトルの悲痛な叫びがこだまする。


「もう、やめとくんだねぇ……今なら、命だけは助けてやってもいいんだがねぇ」


 そう言いながら、ディエゴはその二つの切先をアイディスの眼前へと向ける。

 だが斬り付けられた当人は、その痛みに堪えながら軽口を叩く。


「へへ……なぁんだ、閃光っていうから、どんなに速いのかと思ってたら……目で見えるくらいなんだね……」

「……そうかい……じゃぁ次は手加減なしでやってやるかねぇ」


 そのアイディスの挑発に、ディエゴの表情から薄ら笑いが消え失せた。


「ほらよぉ! これが“閃光”だ!」


 低く構え、交差するように腰に当てた両手を一気に開いて、刃が二つの円弧を描く。

 2枚の刃が斜め十字の軌跡を残し、五体を斬り刻む……はずだった。


「おいおい……こいつが“閃光”だってぇのかい?」


 だが、その刃は、突然現れた銀髪褐色肌の大男にあっさりと止められる。

 あろうことか、指で挟むように……雑な扱いで……。


「え? あれ? ボク生きてる?」


 思わず、アイディスは自分の生死を確認する。


「ありえ……ねぇ……俺様の剣を!?」


 そしてディエゴは、目の前で起きたありえない出来事に驚きを露わにする。


「ちょうど暇ぁしてたんだ、同じ“閃コウ”ってぇ技ぁ持ってんなら……ちょいと、俺の遊びに付き合えよ」


 ふらっと通りかかったところで目にした、それなりの腕を持つ剣士。

 ブルードの作業を待つことに飽きていたラーズは、その暇つぶしに目を輝かせた。

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