第72話:影と幻の金属
レミィたちとの邂逅を経て後、アイディスは再びミュラー商会の本部へと戻っていた。
完璧な潜入に、レミィたちもきっと驚いていたことだろうと一人ドヤ顔で浸る。
「旦那サマ、このあとのご予定は?」
「いや、今日はここまででいいよ。私は、これから“大事な会合”に出なければならないからね」
何気なく、アイディスは引き続き同行しようと予定を尋ねる。
そこで、ヴィクトルの口から、聞き捨てならない言葉が発せられた。
──大事な会合……これは怪しいな……。
「へ……へー、そ、そうなんですねー。それは……何の会合なんですか? 旦那サマ」
できる限り自然に……本人はそのつもりで、それとなく探りをいれる。
どんな秘密を隠しているのか……あるいは何も隠していないのか……。
「南地区の職人街にある倉庫で、取引先の方と……おっと、これ以上は秘密ですよ」
そう簡単に大商会の会頭が、尻尾を掴ませてくれるとは思っていなかった。
だがヴィクトルは、あっさりとその情報をアイディスに伝える。
詳細こそ誤魔化したものの、ご丁寧に会合の場所までおまけをつけて……。
──有力な情報ゲットだね……高く売れちゃいそうだなぁ。
思わぬ成果に皮算用を始める。
こうして容易に事が運んでしまうと、さらに欲が出てくるのも致し方なし。
傲りと慢心は油断を呼び、自身の能力が正しく評価できなくなってしまう。
──待てよ……もしかしたら、これ、もっと大きな情報が得られる絶好のチャンス?
もしアイディスの手元に、予言書が存在していたならば……。
■思わぬ追加情報を得た君は……
A:素直に帰って、レミィたちに情報を伝えに向かった。 →宿へ行け
B:従ったふりをして、ヴィクトルの後を尾行した。 →南地区へ行け
その選択の先にある未来を確認することが、できたのかもしれない。
だがそれは、レミィにだけ許された……禁断の力。
欲望に従ったアイディスの選択が、どんな結果に繋がるのか……。
その答えを知る者は、ここには誰一人として居なかった。
鍛治師の炉から漂う熱気、大工が釘を打つ音、細工師が煮詰める革の匂い……。
肌に、耳に、鼻に、そこかしこから職人たちの熱量が伝わってくる。
昼時の南地区……職人街は、活気に満ち溢れていた。
──こんな昼間っから悪巧みの会合なんて……会頭サマは大胆だなぁ……。
すでにアイディスの中で、ヴィクトルは悪人に設定されているらしい。
側仕えとして雇われたのが昨日の夕方……まだ半日程度しか経っていない。
そんな短時間で、相手の
ましてや相手は、百戦錬磨の交渉人にして人たらし……大商会の会頭である。
一朝一夕で、素人同然のアイディスに、その本性が見抜けるとは思えない。
ただ、アイディスには、そう考えるだけの根拠もあった。
──……ずーっと、月光樹の話だったしなぁ……。
この半日、ヴィクトルの後をついて回っていた間、ずっと聞かされていた話がある。
それは、極秘裏に月光樹を伐採し密輸するという計画の概要。
国の管理下にある月光樹は、無許可での伐採はもちろん売買も禁じられている。
そのことはアイディスにとっても常識の範疇だ。
情報屋なら誰もが欲しがるであろう、国を揺るがす大事件の情報。
ところどころ濁されたものの、保管場所から輸送ルートまで上手く聞き出し……。
いや、聞き出したのではなく、相手から勝手に情報提供があったというべきか。
それもあって、月光樹密輸計画……と勝手に名付けた、この所業。
アイディスはミュラー商会会頭ヴィクトルが首謀者である、と結論づけたようだ。
──やっぱボクって、情報屋の素質あるんだなぁ……。
ここまで、ことが上手く運んでしまったアイディスは、完全に慢心しきっていた。
さらに運良く……いや運悪く、そこに拍車をかける要因も重なってしまった。
──あれ? 会頭サマ……今日はかなり急いでるな……でも!
物陰からヴィクトルの様子を伺っていたアイディスは、両手で印を組む。
そして、小声で何事かを呟くとその姿が、溶けるように影の中へと消えた。
影となった少年は、誰の目にも触れることなく、標的の後を追っていく……。
──へへーん、隠密行動なら……ボクに敵う奴なんていないんだよね。
今まで、盗賊ギルドではこれといった成果は出せていなかった。
その能力をうまく活かせず、ただ臆病者と罵られてきた、少年の特技……。
隠密行動に特化した、自慢の技……それは。
──無影無踪──
またの名を“影渡り”……ごく一部のダークエルフだけが知る、秘奥義である。
「お待たせしました……フォレ……いや同士F、同士C」
「おお同士M、お待ちしておりました、ぞ」
「遅かったであるな、同士M……」
南地区、職人街の離れにある、とある倉庫。
そこには、台車に積んだままの丸太が大量に運び込まれていた。
もちろん、ただの丸太ではない。
黒褐色の独特な木目、淡く光を放つ樹皮、そして倉庫内に漂う甘い香り。
おそらく、これらは全て月光樹から伐り出されたものだ。
「失礼いたしました……少々、一人になるのに手間取りまして」
「まぁ、今最も注目を浴びている商会ですからな……引く手
「ぐはは、結構なご身分であるな」
そこで密談するのは、3人の男性陣。
一人は、薄くなった髪を帽子で覆う、猫背気味な人間の壮年男性、同士F。
もう一人は、白髪混じりの角刈りに短い髭、筋肉質なドワーフの男性、同士C。
そして、もうひとりはミュラー商会のヴィクトル……同士Mである。
ただ、この場にはまだ、隠れ潜んでいる者が居た。
──あれ……フォレスターファミリーとカーペンターグループの……まさか!?
影を渡り、尾行してきたアイディスは、倉庫の隅でその様子を伺っていた。
そこで目にした、ヴィクトルの取引相手……それは、誰もが知る人物。
──……新しく、三合会のトップになった二人じゃん!
「さて、商談といきましょうか」
「私としては、一旦外部を経由してから、こちらに回してもらえれ、ば」
「うちは、ブツの仕入れ分だけもらえれば充分……まぁ、それなりに苦労したところは考慮してもらう必要があるな」
同士Mの言葉を皮切りに、商談が始まる。
アイディスはここで認識を改めた。
ヴィクトルは単独の首謀者ではない……三合会のトップと共謀している。
「これは、
アイディスは、小声でそう呟く。
と、その背後から、突然声をかけられる。
「そうさねぇ……おまえさん、
いつの間にか、アイディスの近くに、フードを目深に被った男が立っていた。
そう、この場にはアイディス以外にも、隠れ潜んでいる者が居たのだ。
「えっ!? やばっ……」
慌てて、逃走しようと試みるも間に合わず、アイディスは捕えられてしまった。
「ん、なにか騒々しいであるな」
「盗賊ギルドから、監視役は連れてきているのですが……な」
商談の最中、倉庫の片隅から聞こえた音に、密談していた3人は動きを止める。
「……何事ですか?」
「いえいえ、すいませんねぇ……どうもネズミが一匹忍び込んでいたようでねぇ」
「離せよ! このチョビ髭オヤジ!」
聞きなれたその声、そしてその姿に、ヴィクトルの顔から血の気が引く。
「アイディスくん!? どうしてここに……」
「で、ブルードのおっさんよう……」
「……今度はどうした?」
職人街を
顎髭を摩りながら、金属の加工屋を物色するブルードに対し、ラーズが声をかける。
「いや、そいつぁこっちのセリフだぜ……カタナの修理はどうなってんだ?」
「それは心配ない……何が必要かは直接聴いた」
ラーズの問いかけは、怒りや苛立ちというより、呆れに近いものだった。
それを受けて、ブルードは不思議な答えを返す。
「直接聴いたぁ? 俺ぁ何も聞かれた覚えがねぇんだが……」
「お前さんに聞いても意味がない……カタナに聴いた」
「はぁ?」
職人の価値観……いや世界観というべきだろうか?
ブルードが口にした言葉に、ラーズは思わず不信感を露わにする。
無機物に話を聴いたと言われれば、そう返したくもなるだろう。
だが、ブルードは落ち着いた様子で、諭すように話を続けた。
「ワシには、お前さんらの武術や戦技なんぞさっぱりわからん……だが、武器防具、
「あぁ……まぁ、言いてえこたぁわかるんだが……」
「あった!」
少し落ち着いたラーズが言葉を挟んだところで、突如ブルードが店先に駆け寄る。
そして、古びた加工屋の店頭に置かれていた、白い金属の塊を掴んだ。
「っておい、おっさん!?」
「この街になら……職人街にならあると思ったが、当たりだ」
ドワーフ職人の大きな掌の上では、実に、ほんの小さな金属の塊……。
その小さな塊を愛でるようにして、ブルードは髭の下で口角を上げる。
「見ろ、
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