第66話:自信と慈悲の心
「は? オマエが……皇女?」
「うむ、
目の前に現れ、突然自分は皇女であると名乗る幼い少女……。
だが、その少女……レミィの言葉には、それを信じさせるだけの説得力があった。
噂に違わぬその容貌、雪のように白い肌、輝く白金の髪……そして、その存在感。
自然と身に纏う不思議な魅力に、少年は神々しさすら感じてしまう。
──皇族の徽章に、この見た目……コイツ、マジで“あの”皇女サマなのか……。
身につけている装備も含め、児戯で説明のつくようなものではない。
そこに疑問もないではないが、今は否定する材料を肯定が上回っている。
「で? その皇女サマが、ボクに何か用かい?」
少年はレミィが本物であると認識した上で、敢えて態度を改めようとはしなかった。
盗賊稼業は、相手にナメられたら負けなのだ。
だが、当のレミィは気にした様子もなく、後ろ手に組んだまま話を続ける。
「うむ、貴様に、いろいろと話を聞きたくてのう」
少年は、レミィのこの言葉の意味を図りかねていた。
周囲には、いくつか人の気配もあるように感じる。
──こんな路地裏で護衛もなしに、皇族のお嬢サマが独りってことはないよなぁ……。
「あー、悪いけど、さっきの財布ならもう無いよ……返せって言われても、無理だからね」
本能から面倒事を察した少年は、早々に話を切り上げようと先に断りをいれる。
本当のことを言ってしまえば、これ以上追求されることもないだろう。
下手に逆らって、隠れている護衛たちに、いきなり襲いかかられるのは勘弁願いたい。
そんなことを考えていた少年に返された応えは、無視することのできない内容だった。
「うむ、それは
「はぁ!? オマエがボクからスったって言うのか!?」
「“スった”? 特に吸ったつもりは無いのじゃが、奪ったという意味ならそうなのじゃ」
にわかに信じられるような言葉ではなかった。
皇女である……という言葉よりも、よっぽど疑ってしまうその内容。
なまじ皇女であるということには確信がある分、余計に信じ難い。
少年は、この街で十年以上の時を生きてきた。
その恵まれない生まれを恨みはしつつも、生きるために技術を磨き続けてきた。
誰にも気づかれないように、誰にも見つからないように……。
幾多の修羅場を潜り抜け辿り着いた手先の早業、そして気配を隠す隠密の妙技。
それがこんな少女に見破られ、やり返されたなど、信じられるはずもない。
改めて少年はレミィの方に向き直り、じっと見つめる。
曲がりなりにも裏社会を生き抜く者……相手を見る目には自信があった。
「……嘘を、ついてる目じゃねぇな……」
「ふむ……これは返しておくのじゃ」
レミィは、その事実を補完するかのように、取り上げたアクセサリを少年に返す。
確かに、見覚えのある品々だった。
「あー、マジかよぉ……もう自信なくすなぁ……」
自分が財布をスったと思い込んでいた時に、鞄の中身まで取られていたという事実。
盗賊稼業は、相手にナメられたら負け……完敗である。
「はいはい、もういいよ……護衛の人も出てきてくれて……大人しく捕まるからさ」
観念した様子で、その場にガックリと肩を落とし、両手を前に差し出す少年。
だが当然ながら、この周囲にレミィの護衛など居るはずもなく……。
「いや、誰に話しかけておるのか知らんが、ここには
「え? じゃぁ……この気配は……?」
と、少年が疑問を口にしたところで、周囲から複数の男たちがゾロゾロと姿を現した。
如何にも賊といった風体の、柄の悪い連中が8人ほど……。
「アイディス……随分いい身なりの嬢ちゃん、連れてきたじゃねぇか、へへ、俺ちゃんもおこぼれに与らせてくれよう、へへ」
「げ……最悪……」
目の前に現れた小汚い男。
年齢は……30代半ばといったところだろうか?
無精髭と傷んで縺れた黒髪がいっそう不潔感を際立たせる。
少年は、これ以上ないというほどの拒絶感を露わにして、男の前から後ずさる。
「そう嫌そうな顔すんなアイディス君よう、へへ、同じ盗賊ギルドの仲間じゃねぇか、へへ」
「一緒にすんな! ボクはオマエらみたいに、弱い者から奪ったりしないし、殺しも、誘拐も、薬もやってない!」
見ただけで殴りたくなるような不快な表情で、少年を煽る小汚い男。
対する少年は、そこに強い拒絶感を示す。
このやりとりを聞く限り、相手は殺しも、誘拐も、薬もやっているのだろう。
「だーから、いつまで経っても半人前なんじゃないか? へへ、なぁ、おめえら?」
──ちげぇねや!──
──腕もイマイチだし、向いてないんじゃーねーのー?──
──ダークエルフのくせに、臆病だからなぁー。──
小汚い男に同意するように、周囲の男たちも野次を飛ばす。
あまり種族は関係ないような気もするが、そこまで語彙力も無いのだろう。
「ところで、貴様の名はアイディスでよかったかえ?」
そんな頭も柄も悪い連中には目もくれず、レミィは少年の名を確認する。
「え? いや、それ今聞くこと?」
「うむ……今、
あまりの唐突さに、思わず問い返す少年。
もちろん、レミィは自分のペースを崩さない。
「まぁ、どうでも良かろう。で、アイディスとやら……ちと聞きたいのじゃが……」
そのまま、唖然とする少年……アイディスと話を続ける。
「おいおいおいおい、お嬢ちゃん? 自分の立場がわかってんのかい? へへ」
あまりにもぞんざいに存在を無視された小汚い男は、そこに割り込んできた。
「貴様はなぜ、そのような粗悪品のアクセサリを集めておったのじゃ?」
「ちょ、いや……オマエさ!?」
だが、レミィは一切その言葉に反応を見せない。
依然としてアイディスの方を向いたまま、さきほどのアクセサリを指差し問いかける。
この状況下でも全く動じず、無視をし続けるレミィを見て、アイディスは混乱した。
「チッ……無視すんなよ、へへ、お兄さんにもお話し……してくれ、よっ!」
その様子に腹を立てた小汚い男は、凄むようにして二人の方へと近づいていく。
と、その短い足を振り上げ、靴底でアイディスの胸元に蹴りを入れた。
「ぐぁ……!」
レミィの行動に気を取られていたアイディスは、そのまま後ろに蹴り倒される。
レミィは、自分に危害が及ばないと判断したところで、特に行動をしなかった。
油断していたわけではない……とはいえ、やや驚かされたのも事実。
──まさか、仲間をいきなり蹴り倒すような真似をするとは……のう。
その、あまりに無作法で暴力的な行動は、少しばかりレミィの機嫌を損ねたようだ。
「此奴は、仲間だったのではないのかえ?」
「やっとこっち向いてくれたかい、お嬢ちゃん……へへ……へ?」
「……此奴は……仲間だったのでは……ないのかえ?」
言葉を区切りながら、レミィは小汚い男に圧を返す。
全くの“無”と言ってもいい、その表情からは、感情を読み取ることが難しい。
だが、溢れ出す威圧感は明らかな怒りを顕している。
「
この瞬間、レミィを中心とした周囲一帯の生命体は皆、死を覚悟することとなった。
少年には、怖いものなどなかった。
ダークエルフとして、この世界に生を享け100年以上の歳月。
物心つく前に両親を亡くし、この街で孤児として生きてきた。
人が……奪われ、蹂躙され、殺されるところを何度も目にしてきた……。
もちろん、自分自身が同じ目に遭いそうになることもあった。
あの頃に味わった生き地獄よりも怖いものなど、今更あるはずがない。
そう、思い込んでいた。
だが、それは間違いだったと唐突に思い知らされることになる。
「こ、このガキ……いや……来るな! しっ……死ぃぃ!」
「ボス! ヤバいよ……なんかヤバいよ……ヤバいのがヤバいよ!」
おそらくまだ成人すらしていないであろう少女の一瞥、一喝に、慌てふためく男たち。
自分の知らない恐怖が、まだこの世には存在した……。
何か一つでも選択を誤れば、確実に訪れるであろう“死”が、そこに立っているのだ。
「オマエ……いったい……」
「へ……へへ、お嬢ちゃん……い、威勢がいいねぇ……へへ」
次々と男たちが戦意喪失する中、ボスらしき小汚い男はレミィの前に立った。
強がりなのか……あるいは耐えられるだけの胆力があったのか……。
余談だが、あらゆる生物にとって、相手の力量を測る力というのは重要な能力である。
目の前に相対する者が、自分の手に負える相手なのかどうなのか見極めること。
これができなければ、自然界で生き残ることは極めて難しいだろう。
「へへ……ああ、さっきの話……そのダークエルフの半端者な……へへ、そんなの仲間じゃねぇよ!」
及び腰のまま、小汚い男はレミィを捕まえようと飛びかかる。
先の“竜の威光”は、ある意味レミィの慈悲とも言える。
相手に“逃げても良い”という選択肢を与える、弱者に対する慈悲の心。
だが、そこで逃げ出すことなく、立ち向かおうとすればどうなるのか?
答えはこうだ。
「うむ、ならば用はないのじゃ」
迫り来る小汚い男の眼前に、レミィは右手をそっと差し出す。
と、思い切り引き絞った中指で、その額を撃ち抜くように弾いた。
バチンッと、大型動物の硬い皮膚を鞭で打った時のような、いい音が鳴り響く。
そのまま一回、二回、三回転しながら、小汚い男は路地裏から外に放り出された。
その額には、メイスで頭部を強打したような跡が残っている
もちろん、これは竜の何某ではない……単なる強烈なデコピンだ。
「弁えよ……自分の力量が、わからんのかえ?」
冷たく言い放つレミィの言葉を受け、男たちはボスを抱え一目散に逃げ出して行った。
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