第64話:馬車と剣の新生

「で、これはなんじゃ?」

「馬車を改修したと言ったはずだぞ?」


 いざ商業大国エル・アスールへと出立の朝。

 皇女宮の正門前には、見慣れぬ金属の塊があった。

 金属の塊……といっても周囲には装飾が施されており、扉のようなものも見える。

 全高はラーズよりも高い、一般的な家で一階部分の天井くらいだろうか。

 幅は人間の大人が4人並んで余裕に座れる程度、長さはその幅の3倍ほど。

 そしてこの金属の塊が、ただの置物でないと一目でわかる、その特徴……。

 それは前後に備え付けられた、合計六つの車輪である。


「どうした? 此奴ラーズが同乗しても充分な大きさだろう?」

「うむ……そうじゃのう……充分すぎるほど大きいのう……」


 唖然とするレミィに、ブルードは煙管の煙を燻らせながら応えた。

 馬車というよりは、陸上にある船といったほうが近いかもしれない。

 中はちょっとした部屋くらいのスペースがあるのではないだろうか?


「以前の馬車も……目立って仕方のない意匠ではあったがのう……このサイズは想定外なのじゃ……」

「魔法で、内装だけ広げることもできたがな。そんな無粋なことはせん」


 妙なこだわりを見せるブルードの言葉に、レミィも呆れた様子で応える。


「いや、そもそもこんなもの引ける馬がるのかえ?」

「心配いらん、ある程度は自走できる」


 この場に居る誰もが思っていた、もっともな疑問。

 だが、ブルードからは想像もしていなかった答えが返される。


「え? ブルードさん、これ自分で走るんですか?」

「マジかよ、おっさん……どうやって動かすんだ?」

「これは興味深いですね。僕にも動かせますか?」


 男性陣は皆、興味津々と言った様子でブルードに詰め寄った。


「ふん、知りたいか? こっちへ来い」


 その反応に気をよくしたのか、ブルードは少し笑みを浮かべながら御者席につく。

 と、そのまま3人の男性陣に馬車の操縦をレクチャーし始めた。


「此奴らの琴線がわからんのじゃ……」

「皆さん、オトコノコですから♪」





「ぐぬぬ……これは確かに快適なのじゃ……」


 ミスリル製の装甲はそのままに、充分な広さが確保された客車キャリッジ

 そして地面からの衝撃を吸収するよう、車輪に施された緩衝装置。

 然程興味のなかったレミィも驚くほど、新生皇女専用馬車改での旅路は快適であった。


「すごいですねブルードさん……全然揺れない……」

「ふん、尻が痛いのはかなわんからな」


 あまりの静穏性に感動したエトスは、ブルードを尊敬の眼差しで見つめる。


「僕の言うことも聞いてくれるなんて、かしこいお馬さんです」


 初めての馬車に、御者席ではアズリーが興奮気味に声を上げる。

 ある程度の自走能力はあるということだったが、現状は2頭立ての馬で引いていた。

 客車キャリッジのみで走る姿は、夜にでも見ればホラーでしかないだろう。

 材質の軽さと自走能力も相まって、馬たちにたいした負担はかかっていないらしい。


「まぁ……あの物々しい6頭立ての馬車よりゃあ、こっちのほうがマシだな」


 窮屈さもなく、充分に全身を伸ばせる喜びを味わいながら、ラーズが満足げに呟く。


「皆様、お茶は如何ですか?」


 フェリシアもご機嫌でお茶の準備をし始めた。

 ここまで揺れがないと、馬車……というよりはもはや、移動する住居である。


「あ、それはそうと殿下……あの呪印の方はもう片付いたんですよね?」


 ふと、馬車の快適さを満喫していたレミィに、エトスは思い出したように問いかける。

 不意をつかれて驚きもしたが、そこには真面目な様子で向き直った。


「うむ。その件は、魔導省から報告を受けておるのじゃ」


 報告によれば、あの呪印は特定の条件下で対象を凶暴化させるというものらしい。

 その条件とは……もちろん新月の夜。

 事前の調査でもわかっていた精神への影響とはこれのことだろう。

 凶暴化した対象は自我を失い、誰かが制御できるような状態にはない。

 そこで出てくるのが、あの首枷だ。

 ブルードの制作したオリジナルの首枷は、対象を落ち着かせる効果を付与したもの。

 だが、邪教徒の用意したそれは、痛みでそれを捩じ伏せるためのものだった。

 猛獣使いよろしく、その凶暴化した“新月の子”らを飼い慣らすつもりだったのだろう。

 レミィは、その事の顛末を改めて皆に伝えた。


「で……その“新月の子”とかいうのを育成する企ては……ひとまず解決したってことでいいんでしょうか?」

「ぬー、まぁ今のところは、そういうことになるかのう?」


 はっきりと言い切ることはできない。

 だが、少なくとも呪印を刻まれていた子らが救われたことは間違いないだろう。

 その話を聞いていたフェリシアにも、心なしか安堵の表情が窺えた。


 ──イチルのこともあったからのう……まずはひと段落なのじゃ。


我が主人マイマスター、なにか大きな街が見えてきましたよ!」


 安堵のため息をつくレミィのもとに、御者席からアズリーの歓声が届く。

 その声に促され、一行が窓の外を見ると、そこには賑やかな街の風景が広がっていた

 小高い丘の上から見下ろす形で目にしたその街の姿は、なんとも表現し難い景色。

 どこの国でもあり、どこの国でもない……。

 まるで、あらゆる文化が混じり合ったかのような、色とりどりの不思議な世界。


「思った以上に大きいのう……これが、商業大国エル・アスールの中央都市ティエンドラかえ」





「ちょいと、そこのお兄さん! うちに寄ってらっしゃいな」

「いい宝石そろってるぞ……見ていけよ」

「まぁ〜可愛らしいお人形さんみたいな子! うちのお洋服でも〜っと可愛くなりましょう〜」

有角種ホーンド……オマエニ仕事……アル」


 街に一歩踏み出した途端、周囲から商人たちの威勢の良い声が飛び交ってくる。

 商品を道端に広げる露天商もあれば、しっかりと店舗を構えた老舗もあった。

 店構えこそ違うものの、互いに歴とした商人であり、いがみ合っている様子もない。

 それぞれの顧客層自体が違うということを、しっかりと認識しているのだろう。

 玉石混交、銅貨1枚で買えるものから、白金貨100枚でも買えないものまで……。

 食品、衣料、日用品から嗜好品、そして……情報!

 なんでも揃う夢の街、大陸最大にして最重要な交易拠点。

 一行は僅かな時間で、商業大国の名に恥じぬ、商人たちの歓待をうけることになった。


「とても活気に溢れていますね、レミィ様♪」

「そうじゃのう……あのまま馬車で突っ込んでおれば、何人轢き殺しておったかわからんのじゃ」

「あぶなかったね、我が主人マイマスター

「いや殿下、物騒なこといわないでください……アズリーも乗るんじゃないよ」


 妙なテンションで盛り上がるレミィたちに対し、エトスは冷静にツッコんだ。

 今回の視察に際し、レミィは以前にも名を借りた、ミュラー商会に身を寄せていた。

 あの皇族の徽章が記された物々しい馬車も、今は商会の倉庫にある。


「でも、殿下……今回は身分もなにも隠さないで大丈夫なんですか?」

「この商人の反応を見る限り……誰か一人でも気づいておったかえ?」


 身分こそ隠していないが、公に訪問を告知しているわけでもない。

 領内とはいえ、本来は皇族がこのような少人数で外遊することなどあり得ない。

 一般臣民たちは、ここに皇女殿下が居るなど思いもよらないだろう。

 ちなみにラーズとブルードは、なにか話があるとのことで、今日は待機している。

 この二人がいないと、エトスのレミィに対する過保護発言はブレーキが効かない。


「まぁ、そう言われますと……返す言葉もないんですが……とはいえ殿下は……」


 そんなエトスの言葉を掻き消すように、レミィは次の目標を皆に伝える。


「ともあれ、まずは噂の行方不明事件の情報から探すかのう?」





「お前さん、その腰に下げてるモン……使ってないらしいな」

「あぁ、コイツかい? まぁ、ちょいと事情があってねぇ」


 馬車の荷物を片付けていたラーズに対し、珍しくブルードの方から声がかかる。

 その言葉に、ラーズは自分の腰に帯びた、やや反り身の剣を軽く手で叩いて応えた。


「そいつは、シミターではないな……ただのロングソードでもない……」

「まぁ、縁あって……とある人物から譲り受けたモンでね」


 ブルードは鋭い目で、そこにある特異な意匠の剣を見定める。

 その目線に気づいているのかいないのか、ラーズは淡々と荷物を片付け続けた。


「……どうしたい? おっさん、この剣が気になるのかい?」


 僅かな沈黙を挟んで、根負けしたラーズはブルードへと問い返す。

 睨みつけるように、その剣を凝視していたブルードは目線も動かさずに答えた。


「カタナ、か……そんなモン扱えるやつがこっちの大陸にいるとはな」

「へぇ、コイツの名前知ってんのかい……さすがワルトヘイムの技師ってぇとこか」


 ブルードは腕組みをしたまま、剣を凝視し続けている。

 表情の変化しないドワーフの圧に耐えかねたラーズは、観念したように話し始めた。


「いや……おっさんと会う前に、コイツで堕徒ダートを斬ったことがあんだがよ……そん時に、刃こぼれさせちまってな……」

「なるほど……お前さんほどの腕でそうなったんなら、それほど相手が強かったということだろう」


 武器の損傷は自らの落ち度であると言わんばかりに、ラーズは沈んだ表情でそう語る。

 それに対し、ブルードは理解を示した上で、否定する言葉を返した。

 このドワーフは気休めを言うような男ではないと、ラーズも信頼は置いている。

 だが、そこに続いた言葉には驚かずにいられなかった。


「ワシなら、そこから打ち直して、元の……いや、それ以上の状態にしてやれる」

「はぁ!? いや、おっさん……コイツがどういう代物シロモンか、わかってるってぇんなら……」

「ワシならできる!」


 ラーズに反論を許さぬ圧と勢いで、ブルードが食い気味に応えた。


「お嬢のこれからを考えるなら、切り札は多い方がいい……お前さんも愛用の武器を使えた方がいいだろう?」


 真剣な眼差しで、そう告げるブルードに対し、ラーズは一瞬躊躇する。

 だが最後には、その熱量に押され、自分の相棒を預けることに同意した。


「わーったよ……よろしく頼むぜ、おっさん」

「ハッ、悪いようにはせん」


 意を決したラーズから、愛刀を受け取る。

 それを手にしたブルードは、ようやく表情を綻ばせた。


「カタナを打てる機会なんてものは、そうそうあるものではないからな」

「へへ、そんなこったろうと思ったぜ」


 技師の好奇心を隠そうともしないブルードに、ラーズは苦笑するしかなかった。

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